チャンスプンデンイ村(장수풍뎅이마을) - エリア情報 - 韓国旅行情報

チャンスプンデンイ村(장수풍뎅이마을)

17.8Km    20611     2020-06-26

全羅南道 長興郡 有治面 半月里

チャンスプンデンイ(カブトムシ)村は、長興(チャンフン)ダムの上流に位置する自然豊かな村で、シイタケ栽培を主な収入源としています。キノコ学習場、生態体験場、カブトムシ飼育場などの施設があり、子どもや青少年の教育の場としても活用されています。

農地面積:82.3ヘクタール
山林面積:31.5ヘクタール

王仁博士遺跡地(왕인박사유적지)

王仁博士遺跡地(왕인박사유적지)

17.9Km    26087     2024-02-02

チョンラナム道ヨンアム郡クンソ面ワンインロ440

王仁博士遺跡地(ワンインパクサユジョクチ)は鳩林村(クリムマウル)の東、ムンピル峰の麓にあり、王仁(ワンイン:百済の学者)が脚光を浴びたことにより彼に関連する遺跡物を復元した場所で、王仁墓(祠堂)、内三門、外三門、文山斎、養士斎、展示館、王仁像などから成っています。この中でも王仁墓(約82.5平方メートル)には、肖像画と位牌が安置されており、毎年祭祀が執り行われます。王仁博士の誕生した地である聖基洞や博士が飲んだと伝えられている聖泉もあり、誕生した地の横には遺虚碑が建っています。また、月出山の中腹には博士が勉強をしたと伝えられている冊堀や文山齋、養士齋があります。文山齋や養士齋には博士が勉強をしながら故郷の人材を育てた場所で、毎年3月3日には王仁博士の追慕祭を行ったといいます。冊堀の前にある王仁博士の石人像は博士の厚徳を称えるために建てたものといわれています。聖基洞の西にあるトルジョン峠は博士が日本を発つときに同僚や門下生たちとの別れを惜しみ、故郷を振り返って見たことからその名前が付けられました。

王仁博士は百済人として日本の応神天皇の招待により、論語10冊、千字文1冊を持って日本に渡り、その経書の知識により応神天皇の信任を受け皇太子の師匠になったといわれています。これが日本文化を開く重要な契機となりました。日本の古事記には和邇吉師、日本書紀には王仁という彼の名前が登場します。王仁博士は論語や千字文を伝えただけでなく、技術工芸の伝授、日本歌謡の創始などに貢献し、政治顧問となり百済文化の伝授を通し、日本の飛鳥文化に影響を与えました。

茶談(차담)

茶談(차담)

17.9Km    0     2024-02-20

チョンラナム道ヨンアム郡クンソ面トガプサロ308

茶談(チャダム)は、月出山(ウォルチュルサン)国立公園の道岬寺(トガプサ)入口に位置している韓屋カフェです。看板メニューは牛乳に生人参とハチミツを混ぜて作った人蔘ラテで、ナツメ茶、パッションフルーエード、小豆のかき氷も人気です。お寺でしか味わえないデザートのレンコン・長いも・小豆がパンも販売しています。季節に応じて変化する月出山の雄大な景色を鑑賞しながら心を癒すことができます。

道岬寺(도갑사)

道岬寺(도갑사)

18.0Km    7426     2022-09-26

チョンラナム道ヨンアム郡クンソ面トガプサロ306

全羅南道霊岩郡の山なみが美しく風景がすばらしいため、昔から「湖南の小金剛」と呼ばれる月出山のすそにある「道岬寺(トガプサ、海抜376メートルに位置)」は、1984年に全羅南道の文化財資料として指定された由緒正しい古寺です。
新羅末期に道詵国師により創建されたこの寺には、国宝に指定された道岬寺の解脱門があり、解脱門は現存している韓国の建築物の中でも、珍しい古い建物です。この他、石造如来坐像(宝物)、木造文殊・普賢童子像(宝物)など、多くの文化財を所蔵しています。
道岬寺に向かう道の街路樹は、桜が1キロメートル以上続いており、桜が満開になる春になるととても美しい花のトンネルになります。

務安食堂(무안식당)

18.3Km    17816     2024-02-20

チョンラナム道ムアン郡ムアン邑ミョンソン2ギル36
061-453-1919

務安食堂(ムアンシクタン)は、1976年に開業した韓牛専門レストランです。看板メニューは玉ねぎ韓牛しゃぶしゃぶで、務安で生産された玉ねぎをエサとして食べさせた韓牛を使っています。務安玉ねぎは甘さと香りに優れていて、この玉ねぎを食べさせた務安玉ねぎ韓牛は肉質が柔らかく、香ばしいもので知られています。韓牛ユッケ、韓牛プルゴギも人気が高いです。

雲住寺(운주사)

雲住寺(운주사)

19.7Km    23814     2022-07-05

チョンラナム道ファスン郡トアム面チョンテロ91-44

雲住寺(ウンジュサ)は大韓仏教曹渓宗第21教区・松広寺(ソングァンサ)の末寺です。
新羅時代末期、道詵国師(トソングクサ)が風水地理に基づき、裨補寺刹(ピボサチャル)として建立されたと伝えられています。
裨補寺刹の裨補(ピボ=ひほ)とは「助け補う」という意味で、強い部分は柔軟にし弱い部分は補強することにより自然の流れに逆らうことなく護国と衆生の利益を求めた高僧・道詵の智慧がここ雲住寺に宿っています。

1984年から89年にかけて行われた発掘調査で、金銅仏立像をはじめ、純青磁、象嵌青磁、粉青沙器の破片、瓦などが出土し、これら遺物から判断すると、雲住寺は遅くとも11世紀初頭の高麗時代初期には建立されていたと推定されます。
韓国の著名な地理誌「東国與地誌」に高麗時代の僧侶・恵明(ヘミョン)がおよそ1,000人を動員し千仏千塔(チョンブルチョンタプ)を作り上げたと記録されています。この恵明という僧は970(光宗21)年に灌燭寺(クァンチョクサ)大仏を建立した僧・慧明(ヘミョン)と同一人物とみられ、このことから雲住寺が高麗時代初めに建立されたと見られています。

1984年に「弘治八年」(弘治は明の元号・西暦では1495年)と刻まれた瓦が発見され、朝鮮の元号で燕山君(ヨンサングン)元(1495)年に4回目の重修が行われたと記録があり、雲住寺は朝鮮時代初めまでは実在していたことが分かります。
その後、丁酉再乱(日本でいう「慶長の役」)の際に、倭敵により廃寺となってしまいました。
1800年ごろ朝鮮時代後期の僧である雪潭(ソルダム=自優の号)・自優(チャウ)の手により、倒れた仏像や仏塔を修復、薬師殿などを重建し、現在に至っています。
寺の周辺には91体の石仏(完全な形を維持している石仏50体) や21基の石塔があります。
雲住寺を代表する遺物としては石造仏龕 (宝物)・九層石塔(宝物)・円形多層石塔(宝物)・臥仏などがあります。

白雲茶室(イ・ハニョン茶文化院)(백운차실(이한영 차문화원))

白雲茶室(イ・ハニョン茶文化院)(백운차실(이한영 차문화원))

19.7Km    0     2024-01-24

チョンラナム道カンジン郡ソンジョン面ペグンロ107

イ・ハニョン茶文化院は韓国で最初にお茶の商標「白雲玉版茶」を作ったイ・ハニョン先生の業績を称えるために設けられた場所。朝鮮時代最高の実学者である茶山・丁若鏞(タサン・チョン・ヤギョン)が流刑を終えて帰る時、彼の弟子たちが毎年その年に栽培したお茶と研究成果を茶山に送ると約束した場所でもあります。「お茶がたくさん採れる山」という意味の号「茶山」からもわかるように、丁若鏞はお茶をこよなく愛したといいます。ここでは雀舌茶、月山紅茶などの緑茶と紅茶を用いた茶道体験や、自分でお茶を作ってみる製茶体験が楽しめる他、茶山・丁若鏞が飲んだとされる餅茶も味わえます。

無為寺(무위사)

無為寺(무위사)

19.7Km    28933     2024-09-04

チョンラナム道カンジン郡ソンジョン面ムウィサロ308

全羅南道康津郡城田面の月出山にある「無為寺(ムウィサ)」は10世紀以前に無為甲寺という寺として建立されたもので、長い歴史を持つ古寺です。

ポグムジャリ[韓国観光品質認証](보금자리[한국관광 품질인증]/Korea Quality)

ポグムジャリ[韓国観光品質認証](보금자리[한국관광 품질인증]/Korea Quality)

19.7Km    0     2023-09-01

チョンラナムド カンジングン ソンジョンミョン タルビッハノクキル 55
+82-10-4714-1951

ポグムジャリはチョンラナムド・ポソン・カンジングン・タルビッ韓屋(ハノク)村に位置する静かな韓屋(ハノク)宿だ。 客室は二つで、もう一つの部屋はヒノキを巻いたオンドル部屋で、かまどに火をつけて暖房をする。ヌマルには外のヌマルと亭子につながる別途のドアが付いている。 庭の真ん中に置かれた東屋に座っていると、月出山(ウォルチュルサン)稜線と緑茶畑の緑が一望できる。 ウェルカムティーや茶菓、朝食が無料提供されます。