9.0Km 2018-08-04
仁川広域市 中区 新浦路23番キル77
+82-32-760-7862
日本が韓国の金融界を支配する目的で建てた旧仁川日本十八銀行支店は、1890年10月にオープンしました。銀行としての業務がいつまで続いていたのかという記録はなく、1954年には韓国興業銀行の支店となり、現在は中区開港場一帯の近代建築物の現状を紹介する展示館として活用されています。一階建ての古典的な装飾の施された折衷主義の建物で、壁は組積造にモルタル、柱と基壇部は石で仕上げられています。出入口の石柱は非常に精巧で、屋根は木造トラスの上に日本式の瓦を使った寄棟屋根となっており、異国の雰囲気を漂わせています。
9.1Km 2024-02-16
インチョン広域市チュン区クァンドン1ガ
仁川(インチョン)日本風通りは、1883年に仁川港(インチョンハン)と済物浦港(チェムルポハン)の開港により形成された租界エリアで、日本が管轄していました。近代に建てられた和風木造住宅や石造りの建築物が一部保存されています。商店と住宅が組み合わせられた日本特有の木造住宅がカフェや展示館などに改装され、営まれています。近くの観光スポットとしてチャイナタウンや開港場通りがあります。
9.1Km 2023-11-06
インチョン広域市チュン区チェムルリャンロ232ボンアンギル27
1883年の仁川(インチョン)開港以来、126年の歳月の足跡が残る歴史と文化の出会いの場所・開港場通り。
この通りは旧日本領事館の建物である仁川広域市中区(チュング)庁舎をはじめ、旧日本第一銀行仁川支店、旧日本第十八銀行仁川支店、旧日本第五十八銀行仁川支店などの近代建築を見学できる通りです。
この他にも旧日本郵船株式会社の建物や仁川のアートプラットフォーム、済物浦(チェムルポ)倶楽部など歴史の痕跡を自ら見て聴いて感じられるそんな場所です。
開港場通りでは仁川文化観光解説士によるガイドも行なっており、事前予約をすれば専門ガイドによるガイドも可能です。専門ガイドによる、より深い解説を聞きながら歩いて観光を楽しむことができ、家族連れや団体旅行の方々にも好評を博しています。
9.1Km 2018-06-28
仁川広域市 中区 新浦路23番キル 89
日本の第一銀行仁川支店は当初釜山支店の出張所として開設、1899年に仁川支店に昇格し、1909年韓国銀行が設立されると韓国銀行仁川支店となりました。1911年朝鮮銀行に改編されたことにより、同支店も朝鮮銀行仁川支店となりました。
1899年に211.57平方メートル(64坪)の平屋の石造建築であるこの建物は砂・砂利・石灰を除く壁石・石材・セメント・木材など一切の建材を日本から持ち込み、外壁には花崗岩を使用、建物の軒の上には側面に丸い穴が開けられたパラペット欄干が設置されています。建物のデザインは後期ルネッサンス建築様式を模し単純化させたものです。
現在は仁川開港博物館としてこの建物が使われています。
9.1Km 2024-04-28
キョンギ道プチョン市オッキルロ1、3階3170号(オッキル洞、スターフィールドシティプチョン)
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9.1Km 2024-01-05
インチョン広域市チュン区チャイナタウンロ43
チャイナタウンにある中華料理店の中でも、1905年に創業したジャージャー麺発祥の地として名高い共和春(コンファチュン)。もともと共和春が営業していた建物は現在ジャージャー麺博物館として利用されており、2004年に新装開店した現在の建物は共和春本店です。様々なメニューの中でも、ジャージャーソースと麺が別々に出される共和春ジャージャー麺は必食。大きめに切った材料がたっぷり入っており、さらに美味しく楽しめます。ランチコース、カップルコース、ファミリーコースなど、様々なコースメニューも用意されています。
9.1Km 2024-09-25
仁川広域市 西区 陶窯址路 54
+82-32-440-4063
1970年5月に史跡に指定され、地元初の国家指定文化財となった仁川・景西洞緑青瓷窯址(インチョン・キョンソドン・ノクチョンジャヨジ)。
1984年12月9日、この場所に遺跡を保護するための広さ82.6平方メートルの保護幕舎が設置しました。ここで発掘された器種は平鉢、大皿などが主で、たらいのような形をした陶磁器・チャベギ、盤口長頸瓶、甕などが出土しました。釉薬の色は緑褐色や暗緑色で不透明で光沢がなく、表面に斑点のようなものがあるものの、これは釉薬の成分、窯の特殊構造、焼成温度などが影響したものとみられます。
斜面を利用した窯は傾斜度22度ほどの単室窯となっています。この窯址で注目すべき点は、緩やかに傾斜した窯床に、土で作った円形のトジミ(ケットク)と呼ばれる焼台を配置しているのが特徴です。
このトジミは、窯に詰めて焼く際、これから焼こうとする陶磁を置く焼台で、器ひとつひとつをその上に置き、器の底が窯床に直接触れないようにするために設けられたものです。
この焼台の形はあたかも馬のひづめのようなの形をしており、前の部分は分厚く、後ろの部分は薄く低めに作られています。
登り窯のように傾斜した窯の床の上に焼台の分厚い部分を窯の傾斜の下の方に向けて置くと、器が窯の中で傾かず水平を維持することができます。つまり、窯床自体は傾斜がありますが、焼台を置くことにより窯の中に置かれた器が水平を保つように調節できるようになっています。そのため窯の下の方へ行けば行くほど焼台の高さが高くなり、その上に置かれた器が傾かないよう焼台の高さを調整しています。
このような構造の陶窯址は以前には日本でのみ2か所発見されていたにすぎなかったことから日本独自のものと思われていましたが、仁川・景西洞緑青甕窯址が発見されたことにより、今後の研究如何によっては陶窯技術の日本への伝達経緯を明らかにする貴重な史料となることが期待されています。