普信閣(보신각 터) - エリア情報 - 韓国旅行情報

普信閣(보신각 터)

9.0Km    2024-03-05

ソウル特別市チョンノ区チョンロ54

普信閣(ポシンガク)は鐘閣(チョンガク)とも呼ばれています。朝鮮(1392~1897)時代に時間を知らせる鐘があった場所です。韓国戦争(1950~1953)中に燃えてしまい、1979年に再建されました。もともとあった鐘は景福宮(キョンボックン)に移され、1985年に新しい鐘が作られました。毎年1月1日0時に新年の鐘つきが行われ、多くの人が集まって新年の願い事を祈ります。

ソウル南山国楽堂(서울남산국악당)

ソウル南山国楽堂(서울남산국악당)

9.0Km    2020-09-09

ソウル特別市 中区 退渓路34キル28

南山コル韓屋村にある「ソウル南山国楽堂(ソウルナムサングガクダン)」は、2007年11月に開館した伝統家屋で国楽を楽しめる国楽専用公演場です。
ソウル南山国楽堂は、330席の規模で音響や照明、舞台設備など国楽公演に適した最適の施設を持ち、電気音響を使用しないで伝統国楽の自然音響を鑑賞できる韓国唯一の会場として他と差別化を図っています。
また国楽器や伝統芸術講座、青少年文化特別活動など多様な体験プログラムを運営し、ソウル市民がいつでも国楽に触れて楽しめる場を提供しています。

チャルパジンメミル西村(잘빠진메밀 서촌)

9.0Km    2024-03-18

ソウル特別市チョンノ区チャハムンロ11ギル4
+82-70-4142-1214

チャルパジンメミル西村(ソチョン)は、混ぜそば、豚のゆで肉、マッコリが味わえる西村の韓国料理店で、100%そば粉のみを使用し、機械により冷水で捏ねたそばは、スプラウトと一緒に味付けして混ぜるか、だし汁に入れて食べます。「チャルパジン酒肴」を頼んでマッコリを添えて食べることをお勧めします。

[事後免税店] GS25・チュングトェゲ(中区退渓)店(GS25중구퇴계점)

9.0Km    2024-06-27

ソウル特別市チュン区トェゲロ180

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Baan Khun Kwan( 반쿤콴(B.K.K) )

Baan Khun Kwan( 반쿤콴(B.K.K) )

9.0Km    2021-09-01

ソウル特別市 鐘路区 鐘路10キル 20
+82-2-725-1688

タイ風のインテリアが施されたレストランです。 代表的なメニューは牛肉フォーです。ソウル特別市のジョンノ区に位置したタイ料理専門店です。

SEOUL WAVE ARTCENTER(서울웨이브아트센터)

9.0Km    2024-10-10

ソウル特別市ソチョ区チャムォンロ145-35

SEOUL WAVE ARTCENTER(ソウルウェーブアートセンター)は水と陸、天と地、人と自然、江南と江北、そして人と人が出会う漢江(ハンガン)と同化する最も美しい空間です。2020年1月にオープンし、ソウルと漢江の美しさと芸術文化を知ってもらうためのスポットとして常に新しく、皆に愛される展示コンテンツを提供しています。

通仁市場(통인시장)

9.0Km    2023-07-13

ソウル特別市チョンノ区チャハムンロ15ギル18

通仁(トンイン)市場は、日帝強占期の1941年6月、孝子洞(ヒョジャドン)周辺に住んでいた日本人向けに開設された公設市場が母体になっています。
6.25戦争(韓国戦争)以降、西村(ソチョン)地区の急激な人口増加に対応するため、公設市場周辺に露天や商店が軒を連ねるようになり、次第に市場として形をなすようになりました。現在、全体で75店舗ある通仁市場には、食堂や惣菜店など食品関連の店舗が最も多く、次いで青果、鮮魚など農水産物の販売が多くなっています。この他、肌着や靴を販売する店、洋服のリフォームや靴の修繕を行う店などもあります。

[事後免税店] ウトゥム50眼鏡(으뜸50안경)

9.0Km    2024-06-27

ソウル特別市ソチョ区シンバンポロ205 バンポショッピングタウン6棟1階

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RADOST ( 라도스트 )

RADOST ( 라도스트 )

9.0Km    2021-10-08

ソウル特別市 鐘路区 郵征局路2キル 17
+82-2-734-8945

鐘路の会社員が仕事の後によく訪れる名店です。代表的なメニューは骨なしタッカンジョンです。ソウル特別市のジョンノ区に位置した韓食専門店です。

光化門(광화문)

光化門(광화문)

9.0Km    2024-08-28

ソウル特別市チョンノ区サジクロ161

「光化門(クァンファムン)」は景福宮の南門であり、宮城の正門です。光化門は国王が頻繁に出入りする正門でもありましたが、景福宮が朝鮮の王が住む宮廷であったため他の宮殿の正門に比べて規模と格式の面でもとても雄大で華麗でした。また東西の塀の終わりに各東十字閣と西十字閣が設置され、朝鮮5大宮殿の中で唯一、宮門形式となっています。
景福宮の創建当時には特別な名前はなく、宮制によって「午門」と呼ばれたり、1395年に鄭道伝(チョン・ドジョン)によって「正門」と名前を変えましたが、1426年に景福宮を修理するとともに、集賢殿(高麗以来、朝鮮初期にわたって宮廷に設置された学問研究機関)によって「光化門」と名づけられました。
韓国戦争の時に爆撃を受けて門楼が壊れて石垣は弾痕だらけとなりました。1968年、破壊された門楼を建て直して再建されましたが再建した光化門は鉄筋コンクリートで造られ、もとの場所よりも14.5メートルほど後方に建てられました。このように原型を失った光化門を復元しようと2006年から光化門の撤去作業は始まり、3年8ヶ月の復元工事を経て2010年8月15日に工事が終了しました。
花崗岩でずっしりとした基壇を造り、その上に2階の門楼を建て、基壇にある3つのアーチ型の出入り口は景福宮が朝鮮の宮殿であるという威厳を見せています。