[事後免税店] PROJECTM(プロジェクトエム)(프로젝트엠) - エリア情報 - 韓国旅行情報

[事後免税店] PROJECTM(プロジェクトエム)(프로젝트엠)

[事後免税店] PROJECTM(プロジェクトエム)(프로젝트엠)

5.0Km    0     2024-06-27

チュンチョンナム道プヨ郡キュアム面ペクチェムンロ387

-

[事後免税店] ASICS(アシックス)・ロッテプヨ(扶余)(아식스 롯데부여)

[事後免税店] ASICS(アシックス)・ロッテプヨ(扶余)(아식스 롯데부여)

5.0Km    0     2024-06-27

チュンチョンナム道プヨ郡キュアム面ペクチェムンロ387、2階(ロッテアウトレット)

-

扶余 加林城(부여 가림성)

9.9Km    20936     2021-08-02

忠清南道 扶余郡 林川面 聖興路97番キル167

「加林城(カリムソン)」は百済東城王が泗沘城を守護するために錦江下流付近に築城したと言われています。加林城の駐車場から南門まで200メートル程度と近いので老若男女だれでも山城の美しい景色を見ることができます。岩の絶壁の横にある階段を登ると石垣の上に生えている巨大な1本の木が見えます。樹齢400年を超えるケヤキの木で「聖興山愛の木」と呼ばれています。この木を背景に『薯童謡』などのドラマが撮影されました。四方が開けていて周辺の風景がパノラマのように見渡すことができます。日の出のイベントが行われる場所でもあります。

論山イチゴおじさん農場(논산 딸기삼촌농장)

論山イチゴおじさん農場(논산 딸기삼촌농장)

13.4Km    18357     2021-05-29

忠清南道 論山市 魯城面 丙舎里423-9

以前はデパートやスーパーと取引していたイチゴおじさん農場ですが、消費者に安くイチゴを提供したいという思いから、現在はイチゴ体験農場を運営しています。ここで栽培されているイチゴは長年にわたる自然農法・エコ農法によって「低農薬認証」を受けています。安全で高品質なイチゴを消費者に届けるため、イチゴおじさん農場は日々努力を続けています。

江景 玉女峰(강경 옥녀봉)

江景 玉女峰(강경 옥녀봉)

13.9Km    33312     2020-03-21

忠清南道 論山市 江景邑 北玉里
+82-41-746-8503

「玉女峰(オンニョボン)」は、論山八景のひとつです。玉女峰にある東屋からの眺めは、遮るものがなく、論山平野を一望できます。また、扶余や益山がパノラマのように目の前に広がり、平野と川、遠くの山々が絵画のような景色を作り出します。昔、この山の麓に流れる川の水は清く、山には木が生い茂り、四方には果てしない野原が広がっており、その景色は非常に美しかったといいます。そのため、明るい満月の日には天女が玉女峰に舞い降り、美しい景色を楽しみ、清らかな川の水で沐浴をしたと伝えられています。また、玉女峰にある烽燧台は全羅北道益山広頭院山の烽燧を受け、皇華山城、 魯城烽燧へ連絡していた所です。その他、ソンジェ亭(東屋)の真下には韓国初のバプティストの礼拝所が位置しており、 聖地巡礼地としても有名です。

江景近代通り(강경근대거리)

14.4Km    0     2024-09-04

チュンチョンナム道ノンサン市カンギョン邑オンニョボンロ30-5

江景(カンギョン)は近代の時期に港を中心に一大経済圏が形成され繁栄した街。
19世紀末から20世紀初頭にかけて、群山港(クンサンハン)が開港し、群山線や湖南線(ホナムソン)、長項線(チャンハンソン)といった鉄道が開通すると、江景における商業の中心地的機能は衰退していきました。
代表的な文化財としては、旧江景労働組合(登録文化財)、旧韓一銀行江景支店(登録文化財)、江景旧 延寿堂乾材薬房(登録文化財)、江景中央初等学校講堂(登録文化財)などがあります。

江景チョッカル市場(강경젓갈시장)

14.5Km    4934     2021-06-17

忠清南道 論山市 江景邑 玉女峰路27番キル30-3
+82-41-745-1985

1930年代、最も賑わいを見せた江景(カンギョン)は、地理的にも内陸の奥まった場所に位置し、陸と海を結ぶ交通の要所として、さまざまな海産物の取引が行われていた街で、韓国全国各地から江景のチョッカル(塩辛)を買い求めに多くの人がやってきました。現在でも韓国全国最大のチョッカルの市場として知られ、さまざまな種類の塩辛を手軽な値段で購入できます。
チョッカルは、魚介類の魚肉や内臓に塩を加え、自然発酵・熟成させることで、無機質、タンパク質、魚脂肪分、アミノ酸などを含む塩辛となります。アミの塩辛やイワシの塩辛が全体の生産量の七割以上を占め、イカナゴを発酵させ作った液体状の塩辛(カナリエクチョ)、貝の塩辛(チョゲチョ)、イシモチの塩辛(ファンソゴチョ)などさまざまな種類の塩辛があり、中でも江景の塩辛は伝統の製法で作られるのが特徴となっています。
江景の塩辛は、栄養分が豊富で、十二分に熟成発酵した深い味わいが特徴で、キムチなどを作る際に加えたり天然調味料として広く使われており、消化吸収もよく、栄養価も高い食品です。
江景では在来式の土窟で熟成発酵させる方式ではなく、現代化された科学的な方法でおよそ摂氏10度から15度を保つことができる低温倉庫内で発酵させる方式を導入しています。発酵熟成期間は大部分が3ヶ月ほどとなっています。この発酵熟成期間は、先人たちが地面の下に甕を埋めたり涼しいところで発酵させたりして100日間発酵させ作った百日酒(ペギルジュ)の製法から見れば、低温で100日間発酵熟成させるということは科学的な意味があります。

論山江景塩辛祭り(논산 강경젓갈축제)

論山江景塩辛祭り(논산 강경젓갈축제)

14.5Km    11688     2023-09-07

チュンチョンナム道ノンサン市クムベクロ45
+82-41-730-2973

「論山江景塩辛祭り(ノンサンカンギョンジョッカルチュッチェ)」は、韓国で最大の塩辛市場として知られる江景(カンギョン)で開催される見どころ、食べどころいっぱいの祭りです。江景の塩辛はすべての材料を原産地から直接仕入れ、昔から伝わる伝統の秘法を用いて現代化された清潔な施設で製造されています。

イベント内容
塩辛グルメ100選、塩辛キムチ漬け、塩辛づくり体験など

七甲山道立公園(칠갑산도립공원)

七甲山道立公園(칠갑산도립공원)

14.6Km    4647     2021-08-13

忠清南道 青陽郡 大峙面 長谷キル 241
+82-41-635-7690

七甲山(標高561メートル)は小高い頂と渓谷がある天然林が生い茂る名山です。
1973年3月6日に道立公園に指定された七甲山道立公園は、面積32.542平方キロメートルを誇り、三つの面(ミョン=韓国の行政区域のひとつ)に広がっています。
七甲山道立公園内には山頂、九十九谷、七甲山荘(崔益鉉銅像、『七甲山』歌謡彫刻品など)、チャンスン公園、天庄湖(チョンジャンホ)、長谷寺(チャンゴクサ)、定慧寺(チョンヘサ)、自然休養林、 道林寺址(トリムサジ)、豆率城(トゥユルソン)などがあります。
特に七甲山は四季の移ろいが明瞭で、春にはチョルチュク(クロフネツツジ)や桜に彩られ艶やかな風景となり、夏には緑生い茂る天然林が人々に癒しをもたらし、また秋には色とりどりの紅葉で彩られ、冬の雪景色は天上の世界にやってきたかのような美しい景色が見られるなど、一年を通じて登山で訪れる人々に七甲山ならではのすばらしさを感じさせてくれる名山です。七甲山には七つの登山路があり、それぞれ特徴があるコースとなっています。登山者に合ったコースを選ぶことができることから、年々登山客が増えています。また国民的な歌ともなった『七甲山』のヒットにより一層七甲山に親近感を抱く人々が増えました。

* 七甲山の由来 *

韓国の人々は古の時代から天と山を崇め奉ってきました。百済はこの山を百済の都に築かれた泗沘城(サビソン)の真北にある鎮山として聖なる山と捉え祭天儀式を行いました。
そのため、山の名称を万物生成の七大原理の七の字と、芽吹くという意味の甲の字を用い、生命の始まりという意味で七甲山と敬い、そう呼んできました。また七人の将帥が現れるという風水地理的に素晴らしい土地・明堂(ミョンダン)がある山とも伝えられています。
忠清南道(チュンチョンナムド)の中央に聳える七甲山の周囲には、東側に兜率城址(トソルソンジ=慈悲城[チャビソン])や道林城址(トリムソンジ)、南側に金剛寺址(クムガンサジ)や天政台(チョンジョンデ)、南西側に定慧寺(チョンヘサ)、西側に長谷寺(チャンゴクサ)など百済の人々の魂が宿る悠久の史跡が数多く点在しています。

七甲山は1973年3月道立公園に指定され、 今では国民的歌謡ともなった『七甲山』の曲とともに、百済の人々の魂が宿る聖なる霊験あらたかな山として知られています。
七甲山は元々、七岳山(チラクサン/チルアクサン)と呼ばれていました。韓国の名山の名称には岳の字が入ることが多く、雪岳山(ソラクサン)、冠岳山(クァナクサン)、月岳山(ウォラクサン)などがその代表です。
歴史的に見ると、朝鮮時代の地理書「東国輿地勝覧」の巻之十八・定山県山川編に「七甲山 左県西十六里有古城其号 慈悲城 又見 青陽県」との記述があり、七甲山は県の西・16里(註:韓国の1里は約400メートル)に位置し、昔の城跡がある場所で、慈悲城(チャビソン)と呼ばれていたことがわかります。
この慈悲城は別名・兜率城(トソルソン)とも呼ばれていました。寺の周辺を城で囲む形となっており、これは全国でも大変珍しい事例です。後世に伝えられている話としては、百済の王子あるいは王族の教育を行っていた寺であったという説や、国家の重大事を執り行ったり外国の使臣をもてなした三国時代の仏教全盛期の遺跡だった説など諸説あります。
ここひとつ注目すべき点は、百済時代に築城した兜率城と、新羅時代の韓国固有の詩歌・郷歌(ヒャンガ)の一つ「兜率歌(トソルガ)」という名称に「兜率」という言葉が共通して入っている点です。兜率は元々、梵語(サンスクリット語)の音訳で、知足、妙足などと意訳され、弥勒菩薩がいる天という意味です。

新羅時代の瑠璃王(ユリワン)5年に詠われたという兜率歌は、三国時代の詩歌の中でも最初の定型詩で、ここに登場する「漆岳(チラク/チルアク)」が今日の七甲山の旧名です。
その後、百済の都が扶余(プヨ)に定められると、 百済時代の山川崇拝思想により、名山大川に祭礼を行う行事が国政の大きな位置を占めるようになりました。このため国を挙げて信仰の対象となった漆岳山の名称を、仏教最高の神聖なる意味を持つ漢字を当てた名称・七甲山に変えたのです。
つまり、「漆」の字を同じ読みの「七」の字、この「七」の文字は天地万物が生成されるという北斗七星にちなんで名付けられた神々「七元星君」あるいは「七星」にも通じる文字で、また「甲」の字は天体の運行の原理となる六十甲子の根本である「甲」の字に由来したと言われています。
また、別の見解では錦江(クムガン)上流の之川(枝川=チチョン)を見下ろす、七人の将帥が輩出されるという甲の字の形をした地形に風水地理的に素晴らしい場所・明堂が七か所あり、七甲山と呼ばれたという説もあります。