7.4Km 2021-04-09
ソウル特別市 鐘路区 彰義門路118
「彰義門(チャンイムン)」は城郭の北小門で、「紫霞門(チャハムン)」という愛称でも呼ばれています。北大門である粛靖門(スッチョンムン)は常に閉鎖されており、その果たすべき役割を果たせていなかったため、この彰義門が代わりにその役割を果たしていました。そのため、人々は彰義門のことを北門と呼んでいました。
城の北側の郊外へ出たり、門近くの洗剣亭や北漢山へ行く場合にはこの門が関門となるため、利用量は少なくありませんでした。昔、彰義門の近くには紫色の霞が多くかかっていたため、彰義門の外は「紫霞の外」とも呼ばれていました。
彰義門は4つの小門のうち、その原形を唯一、現在まで残している門です。彰義門は、軒の下に木で作られた木製の鶏「木鶏(モッケ)」が掛けられているところが特徴的です。この鶏の由来は、風水の考えにあります。門の外の地勢がムカデと似た相で、その地勢を抑えるためには、ムカデと相克の関係である鶏を置かなければならないという言われから、木鶏が掛けられています。
彰義門に関する歴史で、仁祖反正(インジョパンジョン)という事件を語らずにはいられないでしょう。仁祖反正とは、朝鮮時代の1623年、李貴(イ・ギ)ら西人勢力が第15代王の光海君や集権党の李爾瞻(イ・イチョム)などの大北派を追い出し、綾陽君(ヌンヤングン)を王に就かせた反乱です。1623年3月12日、李貴、金濡(キム・ユ)、金自点(キム・ジャジョム)、李适(イ・グァル)らは反正計画を遂行する過程で計画の一部漏れはしましたが、予定通りに実行に移し、反乱軍は彰義門に向かって進軍し、宮殿の占領に成功しました。これに驚いた光王君王は、宮殿の後門から逃げ、医官である安国臣(アン・グクシン)の家に隠れていましたが、後に島流しとなりました。そして、綾陽君が王となるのですが、綾陽君とは第16代王の仁祖(インジョ)のことです。
時は流れ、第21代王の英祖(ヨンジョ)はこの事件を記念し、彰義門の城門と門楼を改築し、反乱功臣たちの名前を板に刻み掛けました。彰義門の門楼に掛けられた板は、今なお門楼に掛けられています。
7.4Km 2024-01-04
ソウル特別市チュン区ウルチロ157
ソウル乙支路(ウルチロ)にあるカフェ「ホランイ」は、レトロでありながらヒップな雰囲気。アンティークな家具や額縁、虎をコンセプトにした印象的な小物が調和して独特の雰囲気を醸し出しています。店内はもちろん屋外にもテーブルが設けられていますが、あまり広くないのでいつもほぼ満席で賑わっています。代表メニューはホランイラテとフルーツサンド。ホランイラテは香ばしく、甘い後味が印象的。旬の果物が丸ごと入ったフルーツサンドは、なめらかな生クリームとマッチして新鮮な味わいです。
7.4Km 2022-12-27
ソウル特別市チョンノ区サムチョンロ18
錦湖美術館(KUMHO MUSEUM)の歴史は1989年にソウル特別市鐘路区(チョンノグ)貫勲洞(クァヌンドン)に開館した「錦湖(クムホ)ギャラリー」までさかのぼります。
このギャラリーは錦湖アシアナグループが新しいアーティスのト発掘と同時に、支援を行い、力のある新鋭作家をはじめ現在活躍中の作家の展示を開催、同時代の美術を診断・展望する企画展を通じて、韓国の美術文化発展に寄与する目的で設立されました。
その後1996年には現在の同区司諫洞(サガンドン)に新たな美術館を建設、「錦湖美術館(KUMHO MUSEUM)」として拡張移転し、現在の錦湖美術館となりました。
7.4Km 2024-03-18
ソウル特別市チョンノ区インサドンギル35-4 仁寺洞マル本館4~6階
仁寺洞(インサドン)マルアートセンター内にあるキムチ博物館です。キムチの文化、歴史、変遷史、効能などに関する展示を観覧し、映像でキムチの漬け方を学び、様々な種類のキムチを試食することができます。個人や団体向けの体験プログラムがあり、参加にはメールでの予約が必要です。
7.4Km 2021-09-01
ソウル特別市 鐘路区 水標路20キル 9
+82-2-2275-9968
この店はソウル特別市のチョンノに位置した韓食専門店です。電気式鶏の丸焼きも逸品です。代表的なメニューはアワビ入りサムゲタンです。