7.7Km 2024-03-18
ソウル特別市チョンノ区チョンノ1ギル50
+82-2-722-7557
ハニルグァン光化門(クァンファムン)は、1939年創業の老舗韓国料理店で、看板メニューは真鍮製の鉄板で焼く秘伝のタレに漬け込んだ肉汁たっぷりのソウル式ロースプルゴギで、緑豆のピンデトクやところてんの和え物と様々なおかずが付きます。韓牛サーロイン焼き、伝統カルビ焼き、カルビタン、ユッケジャン、宮中ビビンバ、ソウル冷麺なども人気メニューです。
7.7Km 2024-03-15
ソウル特別市チョンノ区サミルデロ17ギル18
+82-2-3210-0808
良縁火炉(ヤンヨンファロ)は、鐘路(チョンノ)に位置し、韓国式バーベキューの真髄を味わえるお店です。看板メニューは炭の香りが付いた肉汁たっぷりの熟成厚切りサムギョプサル焼きで、他に豚肉は肩ロース焼き、ロースかぶり焼き、豚トロ焼き、牛は霜降り牛肉焼き、ユッケなどのメニューがあります。スタッフが直接炭火で肉を焼いてくれます。
7.7Km 2021-08-27
ソウル特別市 鐘路区 ウジョングクロ29
+82-2-738-1769
韓国ドラマによく登場する屋台のような雰囲気で食事ができる店です。代表的なメニューはヌタウナギです。ソウル特別市のジョンノ区に位置した韓食専門店です。
7.7Km 2021-09-01
ソウル特別市鐘路区チャハムンロ68-10
ソウル地下鉄3号線キョンボックン駅と近い西村にある韓屋、ハウンアジェ(下隠斎)は「隠者の居所」という意味を持つ、「映画と休息」をテーマにしたユニークな宿である。近代風韓屋の典型的な形をしていて、小さい庭をL字に囲んでいる。一棟貸し切りで、クイーンサイズベッドのある寝室、キッチン、映画室、2つのトイレで構成されているゆったり休める空間である。宿泊定員は2人だが、最大4人まで利用でき、余分な寝具も使える。
映画室には「BOSS」スピーカー、プロジェクター、スクリーンがある。さらに移動可能なフットバスまで。キッチンには冷蔵庫、コーヒードリッパー、トースター、電気ケトル、食器などがあり、簡単な料理ができる。平日に2泊以上泊まる場合は総額の10%を割引。タオル交換及び掃除サービスは3泊以上の場合のみ提供される。
宿の近くに通仁市場、景福宮、昌徳宮、三清洞など主要観光地がある。
7.7Km 2021-11-12
ソウル特別市 鐘路区 紫霞門路16キル 5-5
CA' DEL LUPO(カデルルーポ)はソウル特別市鐘路区(チョンノグ)孝子洞(ヒョジャドン)のイタリアンレストランです。CA' DEL LUPOはイタリアンレストランですが店舗は韓屋で、人々の固定観念を破るように洋の東西が融合しており、東洋の温かさと西洋のスタイリッシュな雰囲気を兼ね備えています。
7.7Km 2023-08-10
ソウル特別市チョンノ区ヒョジャロ33
2007年から芸術空間として運営されてきた「通義洞ポアン旅館」は、1942年から2005年まで約60年間、多くの旅人が滞在した憩いの場でした。ばらく止まっていた場所の固有機能を蘇らせ、韓国近代文学の主要拠点のひとつだったポアン旅館の文化的な遺産を引き継いで2017年、文化を生産し享受するクリエイターのために「BOANSTAY」がオープンしました。
カフェ(33MARKET)、書店(BOANBOOKS)、展示スペース(BOAN1942)が含まれた複合文化芸術空間BOAN1942の3階4階にあるBOANSTAYは、カルチャーノマドのための最も理想的な臨時居住形態を具現するためにつくられました。ソウルの交通の要地であり文化・歴史の中心地である西村(ソチョン)に位置するBOANSTAYは、都市のスカイラインと対照的な北岳山と景福宮、青瓦台、西村の韓屋など周辺の特色ある風景が観賞できる魅力を持っており客室はゆったりくつろげるシンプルな構造と色あいを土台に韓国を代表する現代アーティストとデザイナーの作品・家具が用いられています。
出典:BOANSTAY
7.7Km 2021-03-31
ソウル特別市 中区 忠武路 46
+82-2-305-1255
この店はソウル特別市のウルチロに位置した韓食専門店です。代表的なメニューは豚カツです。韓国人に人気のトンカツをお出しするお店です。
7.7Km 2021-08-27
ソウル特別市 鐘路区 鐘路14キル 30
+82-2-722-9222
ソウル特別市のチョンゲチョンに位置したバーベキュー専門店です。韓国式BBQ専門店です。おすすめは牛肉焼きです。
7.7Km 2024-08-28
ソウル特別市チョンノ区サジクロ161
「光化門(クァンファムン)」は景福宮の南門であり、宮城の正門です。光化門は国王が頻繁に出入りする正門でもありましたが、景福宮が朝鮮の王が住む宮廷であったため他の宮殿の正門に比べて規模と格式の面でもとても雄大で華麗でした。また東西の塀の終わりに各東十字閣と西十字閣が設置され、朝鮮5大宮殿の中で唯一、宮門形式となっています。
景福宮の創建当時には特別な名前はなく、宮制によって「午門」と呼ばれたり、1395年に鄭道伝(チョン・ドジョン)によって「正門」と名前を変えましたが、1426年に景福宮を修理するとともに、集賢殿(高麗以来、朝鮮初期にわたって宮廷に設置された学問研究機関)によって「光化門」と名づけられました。
韓国戦争の時に爆撃を受けて門楼が壊れて石垣は弾痕だらけとなりました。1968年、破壊された門楼を建て直して再建されましたが再建した光化門は鉄筋コンクリートで造られ、もとの場所よりも14.5メートルほど後方に建てられました。このように原型を失った光化門を復元しようと2006年から光化門の撤去作業は始まり、3年8ヶ月の復元工事を経て2010年8月15日に工事が終了しました。
花崗岩でずっしりとした基壇を造り、その上に2階の門楼を建て、基壇にある3つのアーチ型の出入り口は景福宮が朝鮮の宮殿であるという威厳を見せています。