慶州蘿井(경주 나정) - エリア情報 - 韓国旅行情報

慶州蘿井(경주 나정)

慶州蘿井(경주 나정)

2.4Km    3153     2020-04-06

慶尚北道 慶州市 塔洞
+82-54-779-6100

王陵(王の墓)から東南を眺めると、松林が生い茂りその中に小さな石碑を保存するための建物があります。その横にある井戸が蘿井(ナジョン)です。『三国史記』や『三国遺事』にはこの井戸端で新羅の初代王である、朴赫居世が生まれたという伝説があります。紀元前69年のある日、高墟村長の蘇伐公が井戸端で白い馬が横たわっているのをみつけます。不思議に思いその場所へと行くと、馬はおらず代わりに大きな卵がありました。その卵から男の子が生まれ、13歳になった年(紀元前57年)に6部の村長らが彼を王様に選びました。そして、その国の名前を徐羅伐(ソラボル)と名づけます。ここには今でも井戸が残っており、朝鮮時代の純祖王3年(1803年)、初代王について記録した碑(高さ2.25メートル、幅45センチ、厚さ21センチ)もあります。

慶州 月城(半月城)(경주 월성(반월성))

慶州 月城(半月城)(경주 월성(반월성))

2.6Km    17377     2021-06-25

慶尚北道 慶州市 仁旺洞

新羅の宮(金城)があった城で、丘の上に土と石を混ぜて半月状に積んで造られた城です。半月状に造られたことから半月城(パンウォルソン)または月城(ウォルソン)と呼ばれています。
韓国の有名な歴史書である『三国遺事』によると、新羅の4代大王・昔脱解は、この地が慶州で一番の明堂(王が臣下の謁見を受ける宮殿)であることを知り、ある貴族からこの地を奪い半月城を築いたといわれています。このことがきっかけで、新羅の第2代大王だった南解王に気に入られ、第4代大王の地位を手に入れたそうです。その後、新羅最後の王である第56代敬順王までの約900年間、この地は新羅を統治した重要な役割を果たしました。今では華麗で荘厳だった宮廷の姿はなく、空き地と化していますが、新羅時代には数多くの建築物が存在していたと伝えられています。

慶州韓屋1番街[韓国観光品質認証](경주한옥1번가[한국관광 품질인증]/Korea Quality)

慶州韓屋1番街[韓国観光品質認証](경주한옥1번가[한국관광 품질인증]/Korea Quality)

2.8Km    1073     2023-10-25

キョンサンブクト キョンジュシ チョヌォン1(イル)ギル 20
+82-10-9505-5367

慶州市のチョンウォン村の入り口に位置している「慶州韓屋1番街」は、伝統の美しさを保ちながら、利便性を高めた韓屋ステイであります。客室ごとにトイレとバスルームを備え、共用キッチンで簡単な飲食も可能であります。キッチンとバスルームを一緒に使える一軒家の客室もあります。全客室は高級寝具を備えた韓室で構成されています。きれいに手入れして作った広い庭には、昔の人々の姿を飾った人形と伝統造形物がいくつかあります。雁鴨池、瞻星台、慶州博物館などの周辺観光地からも遠くないです。 

慶州東宮と月池(경주 동궁과 월지)

2.8Km    47992     2024-02-28

キョンサンブク道キョンジュ市ウォンファロ102

慶州(キョンジュ)東宮と月池は、新羅時代の王宮の別宮があった場所です。他の付属建物と一緒に王子が暮らす東宮として使用され、国の慶事があるときや貴賓をもてなす際に、ここで宴会が開かれたそうです。新羅の敬順王が甄萱に攻め込まれた後、931年に高麗の太祖・王建を招いて差し迫った状況を訴え出、宴会を催した場所でもあります。新羅が三国を統一した後、文武王14年(674年)に大きな池が掘られ、池の真ん中に3つの島と池の北東に12の峰の山が造られ、ここに美しい花や木々を植えて珍しい鳥や動物を飼ったと伝えられています。高麗時代の『三国史記』には臨海殿についての記録だけがあり、池については何の記録もありません。その後、新羅が滅びて高麗時代と朝鮮時代を経てここが廃墟になると、詩人墨客が池を見て「華やかだった王宮は跡形もなくなり、雁と鴨だけが飛び交う」と寂しい詩を詠んだことから、ここが「雁鴨池」と呼ばれるようになったと伝えられています。その後、1980年代に「月池」という文字が刻まれた土器の破片が発掘され、ここが元々は「月の映る池」という意味から「月池」と呼ばれていた事実が確認されたため、「雁鴨池」から「東宮と月池」に名称が変わりました。

月精橋(월정교)

2.8Km    1053     2023-03-21

キョンサンブク道キョンジュ市キョドン274

月精橋(ウォルジョンギョ)は、慶尚北道(キョンサンプクド)慶州市(キョンジュシ)校洞(キョドン)にある統一新羅時代に架けられた橋です。この橋は朝鮮時代に失われてしまいましたが、2018年4月、韓国国内最大級の木造橋として復元されました。
『三国史記』によれば、この月精橋は、統一新羅時代の760年に造られたと記録されており、慶州月城(ウォルソン)と南山(ナムサン)を結ぶ橋でした。1984年11月26日から1986年9月8日まで、2回にわたって復元工事のための情報収集及び発掘調査を行い、その結果、建設当時の月精橋が木造の橋であったことが初めて判明しました。この調査をもとに復元のための設計図を引き、出来上がった設計図を基に2008年から2013年まで復元工事を実施、全長66.15メートル、幅13メートル、高さ6メートルの橋が復元されました。2016年4月からは橋の両端の2つの門楼の建設が始まり、2018年4月に完成しました。門楼の2階には出土した遺物や橋の建築の歴史を紹介するデジタル展示館があり、月精橋の歴史や復元の過程の映像を見ることができます。慶州市の新羅王京8大核心遺跡復元整備事業のなかで初めて完了した月精橋復元事業は、今後行われる皇龍寺(ファンニョンサ)、新羅王宮、チョクセム地区、新羅坊里制などの復元整備工事の参考になるものとみられます。

ワダムジョン (와담정)

ワダムジョン (와담정)

2.8Km    1035     2024-08-01

キョンサンブクト キョンジュシ チョヌォン1(イル)ギル 18
+82-54-772-5400、 +82-10-6571-3412

慶州市のチョンウォン村にある「ワダムジョン」は、伝統的な趣と雰囲気を保ちながら、利便性を高めた韓屋のペンションであります。客室ごとに冷暖房施設とトイレ兼用のバスルームを備え、共用キッチンで簡単な炊事が可能であります。キッチンとバスルームを一緒に使える一軒家の客室もあります。広い庭には伝統的な風景を盛り込んだ小さな造形物が設置されています。チェギ蹴り·投壷などの伝統遊び体験ができるし、慶州の歴史遺跡の月城地区、国立慶州博物館などの観光地からも遠くないです。 

慶州 南山 神仙庵磨崖菩薩半跏像(경주 남산 신선암 마애보살반가상)

慶州 南山 神仙庵磨崖菩薩半跏像(경주 남산 신선암 마애보살반가상)

2.9Km    25428     2021-07-26

慶尚北道 慶州市 南山洞

慶州の南山は遺物、遺跡の宝庫と言えます。ここに行くと三国時代から統一新羅後期までの仏像すべてを見ることができます。そのうちのひとつ磨崖菩薩半跏像は高さ1.4メートルで七仏庵の上にまっすぐに立っている南側の岩に刻まれています。まるで雲の上に座っているかのように見えます。頭に三面宝冠をかぶっていて菩薩像であることがわかります。表情が豊満で目をそっと閉じて考え深い姿で雲の上の世界から衆生を見ているようです。右手には花を持っていて、左手を胸元まであげて説法する様子を表現しています。天衣はとても薄く、身体の屈曲が見えて衣服のすそは台座を覆っています。統一新羅時代8世紀後半の作品であるとみられています。

瑶石宮(요석궁)

瑶石宮(요석궁)

2.9Km    10410     2022-07-04

キョンサンブク道キョンジュ市キョチョンアンギル19-4

新羅・武烈王の娘・瑤石姫が暮らしていた宮廷跡に、朝鮮時代、慶州の「崔富者」が門を構えたのが、瑶石宮(ヨソックン)です。また、日帝強占期に国を奪われ、鬱憤を慰めあった多くの独立運動家たちが隠れ住んだ場所でもあります。「崔富者」家門の兄弟は、独立運動の先頭に立ち、独立のために資金を援助し、解放後は全ての財産を社会へ還元した事で全国民から尊敬されました。当時、「崔富者」宅を訪れた客人たちが「崔富者」家の伝統家庭料理の素晴らしさを伝え広め、現在も世界各国の大使や歴代大統領、各界の著名人がこの名家に伝わる伝統の家庭料理を堪能するため、瑶石宮を訪れます。

鶏林宮 (계림궁)

鶏林宮 (계림궁)

2.9Km    14176     2024-08-01

キョンサンブクト キョンジュシ ポソクロ 932
+82-54-776-8122

「鷄林宮」は、慶州の五陵の向かい側にある韓屋ペンションで、鷄林は新羅時代の慶州金氏の始祖のキム·アルジの誕生説話が込められた森であります。慶州の中心地から少し離れて、ゆったりと泊まれます。庭の横にある小屋2軒は、事前問い合わせが必要で、バーベキューの施設も事前予約が必要であります。伝統釜の火起こし、板跳びなどの伝統文化体験が用意されており、慶州の五陵の散歩も楽しめます。近隣に半月城、瞻星台、大陵苑など周辺観光地があります。