観光 - 韓国旅行情報

三陟海上ケーブルカー(삼척해상케이블카)

三陟海上ケーブルカー(삼척해상케이블카)

2023-06-13

江原道 三陟市 近徳面 三陟路 2154-31

東海(トンへ)の海岸で風光明媚と話題の龍化(ヨンファ)-荘湖(チャンホ)海岸を見下ろすことができるケーブルカー(ロープウエイ)です。

ケーブルカーに乗車するとエメラルドグリーンの海、様々な形をした海岸線の岩場など美しい風景が広がります。ゴンドラの窓から見える東海の海原は水平線に溶け込み、青い空と海の境目がわからないほどです。ケーブルカーからの光景は天候により様々で、快晴の日には画家が描いた美しい水彩画のように、雨が降り曇りの日には自然が描く趣のある水墨画のような光景をみせます。

また龍化、荘湖の二つの海岸を結ぶケーブルカーの真下には海岸線に沿うように散策路があり、空から見た東海の海原を目の前で近くから見ることもできます。


※1日約2,200人乗車可能(龍化駅、荘湖駅それぞれ1,100人乗車可能)

KTスクエア(KT스퀘어)

KTスクエア(KT스퀘어)

2022-09-20

ソウル特別市チョンノ区セジョンデロ178 KT光化門ビルWest1階

韓国の通信大手・KTの複合文化空間で、最新IT機器体験を始め、様々な文化公演が鑑賞できる他、大韓民国における130年の通信史を見ることができるギャラリー130なども楽しめます。

錦南路(금남로)

錦南路(금남로)

2023-11-13

クァンジュ広域市トン区クムナムロ一帯

光州広域市東区にある2.3キロメートルの道で、錦南路1~5街で構成されています。このうち錦南路1街の旧全南道庁から旧光州銀行交差点518メートルは5·18光州民主化運動など韓国の現代史に触れられるところとして2011年8月30日光州市により「ユネスコ民主人権路」に指定されました。

江景 玉女峰(강경 옥녀봉)

江景 玉女峰(강경 옥녀봉)

2020-03-21

忠清南道 論山市 江景邑 北玉里
+82-41-746-8503

「玉女峰(オンニョボン)」は、論山八景のひとつです。玉女峰にある東屋からの眺めは、遮るものがなく、論山平野を一望できます。また、扶余や益山がパノラマのように目の前に広がり、平野と川、遠くの山々が絵画のような景色を作り出します。昔、この山の麓に流れる川の水は清く、山には木が生い茂り、四方には果てしない野原が広がっており、その景色は非常に美しかったといいます。そのため、明るい満月の日には天女が玉女峰に舞い降り、美しい景色を楽しみ、清らかな川の水で沐浴をしたと伝えられています。また、玉女峰にある烽燧台は全羅北道益山広頭院山の烽燧を受け、皇華山城、 魯城烽燧へ連絡していた所です。その他、ソンジェ亭(東屋)の真下には韓国初のバプティストの礼拝所が位置しており、 聖地巡礼地としても有名です。

始興ケッコル生態公園(시흥 갯골생태공원)

始興ケッコル生態公園(시흥 갯골생태공원)

2021-06-14

京畿道 始興市 東西路 287

始興(シフン)ケッコル生態公園は京畿道(キョンギド)唯一の内湾干潟と昔ながらの塩田の趣を感じられる美しい公園です。
ここではシチメンソウ、マツナ、アッケシソウといった塩生植物やアシハラガニなどを観察できます。
始興ケッコル(感潮水路)は美しい景観とその生態の素晴らしさにより始興市の生態環境1等級地域に指定されており、また2012年2月には国家海洋湿地保護地域にも指定されました。

正南津ヒノキの森ウッドランド(정남진 편백숲 우드랜드)

正南津ヒノキの森ウッドランド(정남진 편백숲 우드랜드)

2023-01-17

チョンラナム道チャンフン郡チャンフン邑ウッドランドギル180

山・海・川のある美しい生態村・長興郡にある「ヒノキの森ウッドランド」は、爽やかな風、ヒノキが立ち並ぶ最高の環境を誇ります。木材文化体験館、伝統韓屋などの宿泊施設、生態建築体験場、全南木工芸センター、治癒の森、チムジルバンなどさまざまな施設を備えています。

アルトゥル飛行場及び旧日本軍飛行機格納庫(알뜨르비행장 및 일본군 비행기 격납고)

アルトゥル飛行場及び旧日本軍飛行機格納庫(알뜨르비행장 및 일본군 비행기 격납고)

2020-02-18

済州特別自治道 西帰浦市 大静邑 上摹里

第二次世界大戦当時、日本軍が済州道民を強制動員し建設した戦闘機格納庫です。
飛行場、管制塔、対空砲陣地、格納庫などが残っており、これら施設を見学することができます。
(注/アルトゥル飛行場のアルトゥルとは「下の原野」という意味)

またこの近くにある1948年に起きた済州4・3事件の遺跡地や松岳山(ソンアクサン)日本軍海岸絶壁戦地洞窟とともに、旧日本軍の戦争遺跡や韓国の悲劇的な現代史の遺跡を体験することができます。

旧宝城旅館(구 보성여관)

2018-05-18

全羅南道 宝城郡 筏橋邑 太白山脈キル 19
+82-61-858-7528

旧宝城旅館は1935年建設された日本式2階建ての建物で、日本の木造建築の特徴をよく留めている保存価値が高い建造物です。

韓国の大河小説「太白山脈」が映画化された際、反乱軍討伐隊長・林万洙(イム・マンス)と隊員らが宿泊した南道旅館の実際のモデルとなった旅館です。2004年には登録文化財第132号に指定されました。2008年になると文化遺産国民信託がこの宝城旅館を買い上げ、2011年老朽化した宝城旅館の復元工事が完了しました。

特に「旧宝城旅館」は建築物としてだけではなく、宝城郡筏橋(ポルギョ)における近現代歴史文化遺産の重要な拠点としての価値もまた高いところです。

太白山脈の小説の背景となったその時代にもこの建物は旅館として利用され、実際の旅館の屋号も宝城旅館でした。小説では林万洙と隊員らが一時宿舎として利用していました。

板張りの外壁、トタン葺きの屋根、典型的な日本式で建てられた2階建ての建物は昔の姿そのものです。
日本人は日帝強占期、全国にこのような木造の建物を数多く建築しましたが、現在に至る間までに数多くのこのような日本式の建物が保存されることなく取り壊され、コンクリート作りの建物に取って代わられました。

今日まで旅館や商店として使われてきた建物ですが、2004年近代建築史上及び生活史上、価値が高いと評価され、登録文化財に指定されました。

* 面積: 敷地529平方メートル(約169坪)/ 建築面積 416平方メートル(約126坪)
* 構造:木造及び煉瓦造2棟(日本式2階建1棟、韓式平屋1棟) 

尹伊桑生家(윤이상 생가)

2018-05-09

慶尚南道 統営市 中央路 27
+82+55-650-4681

尹伊桑(ユン・イサン)は世界的な音楽家として活動、存命時にすでに世界5大作曲家に数えられ、約150曲の音楽作品を残しました。

尹伊桑は西洋音楽のあらゆる伝統を完全に吸収した上に東洋の哲学的な思想や国楽の音楽を見事にまで融合させ、人類の音楽史に足跡を残した業績を打ち立てたとして高い評価を受けています。

1956年フランス・パリを経てドイツ・ベルリンに留学、1959年にはダルムシュタット音楽祭で「7つの楽器のための音楽」を発表し大きな反響がありました。

欧州の音楽会に頭角を現した最中、北韓とのつながりの嫌疑で数多くの在独韓国人が逮捕された東ベルリン事件に巻き込まれ韓国の当時の軍事政権の秘密要員によって拉致されソウルの西大門刑務所に収監、その後、死刑の求刑に対し無期懲役の判決を受けるに至りました。しかし、ストラビンスキー、カラヤン、クレンペアー、リゲティ、シュトックハウゼン、アラウなど世界的に有名な芸術家らが率先して救命運動を展開、釈放後にはドイツに再び渡りドイツ国籍を取得しました。

1972年ミュンヘンオリンピック開幕祝賀オペラ「沈清(シムジョン)」をはじめ、数多くの作品を通じて全世界に大きな影響と名声をとどろかせ、1977年から1987年まではベルリン芸術大学の作曲科教授として後学を養成しました。

南北和解のため1990年南北統一音楽祭を主管するなど音楽を通じた統一運動にも献身しました。
1995年11月3日、生前の願いもむなしく、故郷・統営(トンヨン)訪問、そして帰国を遂げることなく一生を終えました。

尹伊桑先生の音楽世界を永遠に讃えるため、尹伊桑先生の生家や隣接する地域の道を2001年2月尹伊桑通りと命名し、様々なオブジェを設置・管理しており、2010年3月、生家があった統営市道泉洞(トチョンドン)の周辺敷地には尹伊桑記念館が開館しました。


麗水 栗村駅(여수 율촌역)

2018-04-26

全羅南道 麗水市 栗村面 タンモリキル 18

 全羅線は当初、私鉄の全北鉄道株式会社の手によって1914年2月に着工、同年11月に裡里(現在の益山駅)~全州間が開通しました。

その後、朝鮮総督府の鉄道建設政策の変更により1931年10月全州~谷城間、1933年10月谷城~南原間、そして1936年12月16日には南原-順天間が相次いで伸延開通し、順天駅で1922年7月にすでに光州-麗水間に開通していた光州線(当時)と繋がりました。

栗村駅は1930年12月25日南朝鮮鉄道株式会社の営業開始と同時に建設され、一般運送営業を開始しました。
駅舎の左側に待合室が配置され、中央部には駅務室があり、その横に付属室の保管庫(倉庫)が突出した形態で繋がっており、L字型の形をしています。 主な木構造は大部分原型そのままをとどめており、特に屋根は寄棟屋根造りで、待合室、事務所、宿直室の順で屋根の高さを低くしてあります。
建物の造りと外観はすでに登録文化財として登録済みの慶全線の元倉(ウォンチャン)駅と似ており、時期的にも同じ時期に建てられ1930年初期の駅舎として近代鉄道建築史上、価値が高いものとなっています。