2020-01-08
ソウル特別市 江南区 栗峴洞
炭川(タンチョン)は、京畿道(キョンギド)龍仁市(ヨンインシ)・城南市(ソンナムシ)を流れ、ソウル特別市を経て漢江(ハンガン)に注ぐ漢江の支流のひとつで、流域面積302平方キロメートル、総延長35.6kmに達する準用河川です。
炭川の中流域にある城南市は、市の中心部を流れる25kmの炭川流域とともに開発が進む地域です。炭川を蘇らせる汎市民連帯では、市民の環境保護意識を高め、これを実践に移せるよう、炭川の汚染の実態を調査・分析、それをもとに対策を提案していく活動を行っています。また同時に、炭川を自浄能力がある「自然型河川」にし、子どもたちが心置きなく遊べる河川へと生まれ変わらせることを目標に1999年6月20日、八つの民間環境団体を発足させました。
炭川と呼ばれるようになったのには浄水のため炭を川に入れた、朝鮮時代にこの川の住んでいた南怡(ナミ)将軍の子孫の人物の号に炭の字が入っておりその場所の地名・炭里(タルリ)に由来するなど諸説ありますが、このような言い伝えも残っています。
ある日、閻魔(えんま)様が冥土の使者に十八万年を生きたという東方朔(とうほうさく=中国前漢の文学者。伝説で非常に長寿であったとされている人物)を捕まえてくることを命じました。
しかし東方朔は姿を隠すことにかけては誰にも引けをとらず、冥土の使者も、なすすべがなくなかなか探し出すことができません。
困り果てた冥土の使者は謀をめぐらしこの川の近くで歯が白くなるという理由をつけて炭をしゃぶる奇行に出ました。すると、この使者の不思議な姿を見たある通りがかりの人が 「自分が十八万年も生きているが、こんな風に炭をしゃぶっている人間は初めて見た」と使者に語ったことから、冥土の使者はその人物が十八万年生きたという東方朔であることを見破り捕まえて、閻魔様がいる冥土へと連れて行くことができました。
その時から炭の川という意味の純粋な韓国語「スンネ」あるいは同じ意味の漢字表現・炭川と呼ぶようになったということです。
2025-07-03
チョンラナム道モクポ市ヘヤンデハクロ240
木浦(モクポ)海上ケーブルカーは北港を出発して儒達山(ユダルサン)頂上から90度回転し、木浦と多島海(タドヘ)の上を通り過ぎ、高下島(コハド)まで行けるケーブルカーです。3.23キロメートルに及ぶ路線は往復で40分がかかります。北港、儒達山、高下島の3つの乗り場にはカフェ、レストラン、屋上庭園などがあります。
2025-04-03
インチョン広域市カンファ郡キルサン面チャンフンロ217
江華(カンファ)リュージュは特別な動力装置なしに特殊製作されたカートに乗って、地面の傾斜と重力だけを利用してコースを滑り降りるダイナミックな体験レジャースポーツ施設です。方向調整とブレーキ操作が可能で、保護具を着用し、子どもから大人まで誰でも安全に楽しむことができます。トラックの規模は延長1.8km/lineの計2コース(オーシャンコース、バレーコース)で、東洋最大規模を誇り、コースごとに楽しさを倍増させる360 º 回転コース、区間別トンネル、落車区間が配置されています。
2025-08-13
カンウォン特別自治道フェンソン郡トゥンネ面カンビョンロヨンラン6ギル115
江原道(カンウォンド)横城郡(フェンソングン)にある酒泉江(チュチョンガン)自然休養林は酒泉江の河畔のおよそ230ヘクタールの山林に造成された自然休養林です。この酒泉江自然休養林は広大な自然林と韓国初の川辺に造られた休養林という点で他にはない特長があります。嶺東(ヨンドン)高速道路の屯内(トゥンネ)インターチェンジからおよそ4キロメートル圏内にあり、ソウル首都圏からも交通の便がよい立地条件にあります。南西には雉岳山(チアクサン)国立公園があり、北東にはウェリーヒリーパーク(旧・現代ソンウリゾート)やフェニックス平昌(ピョンチャン)があります。休養林には森の中の学校(研修院)、森の中の家、キャンプ場、森の中の教室、遊び場、ミニサッカー場、バレーボールコート、体力鍛錬場があり、家族連れ、職場の仲間、様々な団体の集まりなどにおすすめです。
2020-09-08
京畿道 漣川郡 新西面 高台山キル4
「新炭里(シンタンニ)駅」は京元線の大光里駅と白馬高地駅との間にある駅で、1913年7月10日から営業を開始しました。1945年から一時、北韓に所属していましたが、1951年に再び韓国側に所属が変更されました。1971年に鉄道中断点の表示板が設置されました。以前は韓国側最北端の終着駅でしたが、2012年11月20日に延長されて白馬高地駅が開通したことから大光里駅と白馬高地駅との間に位置しています。KORAIL首都圏東部本部所属で、京畿道漣川郡新西面高台山キル4(大光里169-2)にあり、近くには高台山があります。
2025-07-11
インチョン広域市ヨンス区コンベンシアデロ160
高層ビルの森のなかに自然を盛り込んだ公園、松島(ソンド)セントラルパークはニューヨークのセントラルパークをモチーフにしています。また海水を利用した海水公園であり、韓国の地形的特性を生かした都市公園となっています。人工水路には水上タクシー、カヌーなど水上レジャー施設が備わっており、公園の随所で多様な文化と芸術を満喫できる、松島のランドマークであり休息空間です。
サンセット庭園:セントラルパークの西端に位置し、ウェストボートハウス、水辺ステージ、子ども庭園、キューブ造形物などの見どころで構成された休息空間
感性庭園:世界120ヶ国を象徴する仮面で各国固有の民族情緒を反映した作品「地球村の顔」をはじめ、観察デッキなどの施設からなる景観観察空間
チョジウォン:小便小僧銅像、観察デッキ、湿地園、蛍の家などさまざまなオブジェと公共美術作品が鑑賞できる複合芸術空間
散策庭園:のんびりと草を食むシカに出会える伝統テーマ空間
テラス庭園:国連広場、イーストボートハウス、民俗ノリマダンなどがあり、年中多彩なイベントが開かれる文化芸術空間
2022-09-27
ソウル特別市チュン区フェヒョン洞2ガ10-1
1999年5月に開館したソウルアニメーションセンターではアニメーション、キャラクターなどコンテンツを基盤に、文化体験サービスの提供、教育、制作支援、ソウルゲームコンテンツセンター、メディアコンテンツセンターの運営などさまざまな文化コンテンツ関連事業を行っています。またショッピングスペースのチェミランや近くにある漫画の通り・チェミ路もおすすめのスポットです。
2024-04-08
チョンブク特別自治道クンサン市キョンチョン4ギル14
京岩洞(キョンアムドン)線路村(チョルキルマウル)は、現在の全羅北道(チョルラプクド)群山市(クンサンシ)京岩洞に1944年操業開始した「北鮮製紙化学工業」(現・ペーパーコリア)の新たな工場と旧・群山駅を結ぶおよそ2.5kmの線路沿いの町を総称した名前です。この町がある行政区域名から京岩洞線路村と呼ぶようになりました。
日帝強占期(1910~1945年)末期の1944年に敷設されたこの工場引込線周辺には工場稼動とともに次第に人々が集まりはじめ、1970年代になると本格的に町が形成されていきました。
京岩洞のこの線路は日帝強占期末期の1944年、新聞用紙の原材料を製紙工場に運び込むために敷設された工場専用引込線で、1950年代中盤までは「北鮮製紙鉄道」と呼ばれていました。1970年代初めまでは「高麗製紙鉄道」、その後は「世大(セデ)製紙線」あるいは「世豊(セプン)鉄道」と呼ばれていましたが、世豊グループの倒産により新たに買収・継続会社となった会社の名前を取って「ペーパーコリア線」と呼ばれ、現在では元々あった工場も移転し廃線となっています。
2022-12-26
大田広域市 東区 東大田路 110番キル 182
+82-42-251-6672
大田(テジョン)広域市・東区八景に選ばれた大洞(テドン)ハヌル公園は2009年12月、ムジゲ(虹)プロジェクト事業の一環として造成された公園です。
大洞ハヌル公園は標高およそ127メートルの場所にこの公園を象徴する風車があり、風車の前からはすがすがしい大田の全景を一望でき、また夜景も素晴らしいことで有名です。
公園にはベンチや東屋もあり、都会の雑踏を離れ、穏やかなひと時を過ごせます。
ハヌル公園へと続く道には壁画村やテーマカフェ村があり、近年、大田を代表するホットスポットとして注目を集めています。
2024-09-20
慶尚北道 義城郡 金城面 草田1キル
* 召文国の墳墓群と推定される義城金城山古墳群 *
金城山(クムソンサン)古墳群は慶尚北道(キョンサンプクド)義城郡(ウィソングン)金城面(クムソンミョン)大里里(テリリ)、塔里里(タムニリ)、鶴尾里(ハンミリ)一帯にあるおよそ200基あまりの墳墓群のことで、この古墳群から出土した遺物は5世紀から6世紀 のものと推定されています。
直径は15mから19m、高さは2mから4mほどの中型墳、直径10m未満の小型墳が数多く密集しており、円形封土墳が大部分を占めます。
1960年に国立中央博物館、1965年に慶煕大学校博物館が発掘・調査を行いました。調査の結果、盛土の形は封口を中心に水平短縮状態になっていることがわかりました。封口を作る際に使われた土は純粋な粘土で、その量もまた大変多かったことがわかりました。しかし使われた土の大部分がこの地域で産出される土や色とは異なり、他地域から運び込まれた来たものと推定されます。このことから古墳を造るために大変多くの労働力を費やしたものと見られ、政治的に影響力のある統治者によってこの古墳が造られたものであることが分かります。
* 金城山古墳群と三韓・召文国 *
金城山古墳群は三韓時代の部族国家・召文国(チョムングク)のものであると見られています。召文国は三韓時代の部族国家であった小国で、現在の慶尚北道義城郡金城面一帯に都を置いていましたが、185(新羅・伐休王2)年、新羅に併合されたと伝えられています。
しかし、召文国が実在したという記録は三国史記に短く言及されているのみで、文献資料はほとんど残っていません。金城山古墳は召文国の都とみられている場所にあり、義城地方の当時の勢力や社会構造、義城地域と新羅との関係を理解する上で重要な史料となっています。