2021-03-25
慶尚北道 盈徳郡 江口面 海上公園キル120-7
+82-54-730-6790
「三思海上(サムサヘサン)公園」はズワイガニで有名な盈徳郡に位置しています。東海が一望できる景色の美しいところで、週末になると家族連れでにぎわいます。園内には慶北100周年を記念して作られた慶北大鐘があり、29トンにもなります。他に公演会場やテーマランド、食堂、売店などがあります。
2023-08-08
ソウル特別市チュン区チルペロ5
+82-2-3396-5852
西小門(ソソムン)歴史公園は現在公園となっていますが、元々は「西小門外十字路処刑地」であった場所です。この場所では東学農民運動の指導者、旧大韓帝国末期の西小門戦闘の軍人など社会に改革を起こした勢力に参加した人々をはじめ、1801年辛酉迫害から1866年の丙寅迫害に至るまで多くのカトリック信者が処刑されました。処刑されたカトリック信者のうち44人が聖人となり韓国最大のカトリックの聖地として知られています。
西小門、別名・昭義門(ソイムン)・昭徳門(ソドクムン)は、阿峴(アヒョン)や南大門外にあった七牌(チルペ)市場へ通じる門で、早い時期から人々であふれている場所でした。朝鮮時代の死刑執行は多くの人々に警戒心を植え付け、犯罪を未然に防ぐ目的で人々の往来が多い場所で行われました。この西小門の外もこのような理由で朝鮮時代前期の1416(太宗16)年にソウルの主要な刑場として指定されました。この刑場の位置は西小門の外にある急な坂道の下、現在の西小門歴史公園のそばにあった圯橋(イギョ)の南端の砂地だった場所といわれています。
1999年5月15日には高さ15メートルの主塔と13メートルの左右対称塔の3つの塔からなる殉教者顕揚塔が建立されました。塔の基壇の上はガラスで仕切り、水が流れるようにしたオブジェがありますが、これは迫害と死の象徴である刀と生命の象徴である水を対比させたものです。主塔の前面には殉教の惨状を形状化した青銅彫刻が取り付けられています。
2013年からソウル特別市中区により地下4階から地上1階までの展示記念館及び追慕スペースがある西小門聖地歴史博物館の建設を開始し、2019年6月から一般に公開をしています。
2020-07-14
ソウル特別市 江北区 徳陵路42キル49
+82-2-901-6923
「梧桐近隣公園(オドングンリンゴンウォン)」はソウル特別市の江北区と城北区にかけて位置し、江北樊洞、弥阿洞の他、5つの洞と城北区にかかる大公園で緑豊かなところです。梧桐公園には区民体育館や人工芝球場、テニスコートなどがあり、近くに住む住民の休息と運動のための場所として利用されています。
2022-09-19
チョンラナム道スンチョン市チャンデギル102
全羅南道の順天市内にある興輪寺は、韓国の仏教曹渓宗華厳寺布教堂で市民の憩いの場である竹島峰公園に位置しています。1984年以前まで国弓矢場として使われていた所に新しく建物を移転し法堂を作り、釈迦牟尼仏を祀っています。近年作られた布教堂は城堡文化財などではありませんが地域に密着した存在で信者でなくても気軽に出入りすることができる所となっています。
2021-06-25
全羅南道 潭陽郡 昌平面 トルダムキル9-22
昌平スローシティ「サムジネ村」は1510年頃に形成された村で、東の方には月峰山、南側にはクッス峰がそびえています。村の前を流れる川の様子が鳳凰が羽を伸ばして取り囲んでいる形に見えることから三支川(サムジネ)と呼ばれています。
「サムジネ村」は2007年、韓国初のスローシティに指定されており、自然のなかでスローフードやスローアートを体験し、スローな暮らしを追求します。
食べ物:薬草定食、田舎菜園定食、タケノコのナムル、市場クッパ、田舎定食
周辺観光地:竹緑園、メタセコイア並木道、瀟灑園 など
2024-09-20
ソウル特別市 鐘路区 成均館路31
文廟は儒教を集大成した孔子をはじめ、昔の聖賢たちの位牌を祭って祭祀をした位牌堂であり、国立の最高教育機関とも言われています。中国が唐の時代、孔子が文宣王に追封されたことにより文宣王廟と呼ばれましたが、元代以降現在の文廟となりました。明倫堂の前には天然記念物のイチョウの木があり、春、秋には孔子をはじめ聖賢の祭祀をおこなっています。
2020-02-20
京畿道 坡州市 坡平面 花石亭路152-72
+82-31-952-9233
花石亭は元々高麗末の儒学者であった吉再が、官職をやめて郷里に帰り後学を養成した所でしたが彼の死後、彼を追慕する意味を込めて建てられた書院です。その後、手付かずのまま一時廃墟になりましたが康平公 李明晨が世宗25年(1443年)に東屋を建て、1478年に李宜碩が修理し李叔咸が花石亭と命名した由緒正しい場所と言われています。花石亭の周辺にはケヤキの木が鬱蒼と生え、その下を流れる臨津江には朝夕船が通ったり、夜には漁業する灯火が美しかったと言われていますが、現在は臨津江に鉄格子があるため遮っており、今も残るケヤキだけが当時の様子を寂しげに物語っています。
2021-07-30
ソウル特別市 江南 永東大路131キル26
+82-2-3423-6248
「清潭(チョンダム)公園」は清潭洞にあるこぢんまりした公園で、都心にありながらも緑豊かな憩いの空間です。軽く運動できるよう運動器具が設置されており、多くの市民が利用しています。
2023-05-10
チョンラナム道コクソン郡チュッコク面テアンロ622-215
鳳頭山(ポンドゥサン=別名・桐裏山=トンニサン)の麓にある泰安寺(テアンサ)は、新羅景徳王元(742)年に神僧3人によって建立されました。その後、文聖王9(847)年に慧徹(ヘチョル)国師によって禅宗寺院として再び開山され、九山禅門のひとつである桐裏山派(トンニサンパ)を形成するに至りました。
高麗太祖の時代には慧徹大師がこの寺に入り132間の規模の建物を建立し大規模なお寺となり、桐裏山派の中心的な寺院となりました。
高麗時代初頭には松広寺(ソングァンサ)、華岩寺(ファアムサ)がすべてこの寺の末寺でした。
1925年には文人・言論人などとして知られる崔南善(チェ・ナムソン)がここを訪れて「新羅以来の名のある寺である。また海東(ヘドン)において禅宗の寺としては最初に建立された寺である。古初の神域のようである」と評しました。
韓国戦争(1950~53年・休戦)の時に大雄殿をはじめ、15棟の建物が焼失してしまいました。その後、修理を行い現在に至ります。
境内には慧徹国師舎利塔(宝物)、広慈大師塔(宝物)など5点の宝物があり、桐裏山渓谷の素晴らしい場所に建てられた凌波閣(地方有形文化財)も見所のひとつです。
特に、寺の境内に入りおよそ2.3キロメートルに及ぶ道路の両側にある鬱蒼とした森や渓谷はとても美しく、秋になると紅葉の風景が大変美しい場所です。
現在、泰安寺では宝物など文化財9点を所蔵しています。また、泰安寺までの1.8キロメートルの渓谷は、春は新緑、夏は涼しげな渓谷や鬱蒼と生い茂る緑、秋は深く色を染める紅葉が美しい散策路として知られています。
2024-09-20
チョンブク特別自治道 高敞郡 高敞邑 桐里路 100
+82-63-560-2943
パンソリの集大成、国文学史に関して優れた功績を残した桐里申在孝(1812~1884)の古宅です。パンソリ博物館のすぐ後ろにあり、裏庭は桐里国楽団(桐里は申在孝の号)と牟陽城(倭寇の侵入に備え、1453年に建てられた自然石の城郭。別名高敞邑城)に当たります。重要民俗資料に指定されている申在孝の古宅は1850年頃に建てられ、現在全面5間、側面2間の規模となっておりサランチェと桐の木、井戸などが残っています。