2025-12-09
キョンギ道コヤン市トギャン区ヘンジュロ15ボンギル89
徳陽山頂上に築かれた幸州山城(ヘンジュサンソン)は壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の激戦地です。土を利用して積み上げた土築山城で、山頂を取り囲む小規模な内城と谷を囲んだ外城の二重構造となっています。南側には漢江が、東南側には昌陵川が流れ、自然に城を防御する役割をしています。その他、国を危機から救って大きな功績をあげた権慄(クォン・ユル)都元帥の幸州大捷(幸州山城の戦い)を記念するため毎年祭礼行事とさまざまな文化行事が開催されています。
2020-05-14
大田広域市 大徳区 長洞
大徳鶏足山城は、大田市長洞にある鶏足山(海抜420メートル)の頂上に稜線に沿って築造された山頂式の山城です。この山城は百済の時代に築造されたものとされていましたが、1998年~1999年の発掘調査により新羅の時代に築造されたものと明らかになりました。
大田の市街地の東北側にそびえる鶏足山と、南側の食蔵山を結ぶ稜線に沿って大小約30の山城が分布しています。このように多くの山城がこの地域に存在している理由は、大田が新羅の首都を防御する要衝の地であり、戦略的にとても重要な場所であったからです。その中でも規模が大きく、戦略的重要性が如実に表れている山城が鶏足山城です。この山城の西側からは大田の市街地の様子を一望することができます。北側には前哨基地と見える梨峴洞山城と長洞山城があります。南側には山の稜線に沿って迭峴城が建っています。
鶏足山城は、面積51,984平方メートル、鶏足山の稜線に沿って1,037メートルとぐるりと長く築造されています。現在は、近隣住民たちの登山路として利用されるなど、市民たちの休息空間として愛されています。
2020-10-29
江原道 太白市 クワウキル38-33
+82-33-553-9707
太白市黄池洞のクワウ村は、周辺の地形が「9頭の牛が寝そべっているような形」であることから「九臥牛(クワウ)」と呼ばれています。標高800~900メートルにある高原自生植物園は、絶滅の危機に瀕した植物を保護するためにつくられたところで、韓国の植物を身近に感じることができます。ひまわりが満開になる8月には「太白ひまわり祭り」が開催され、絵画展、写真展、環境彫刻展などが行われます。
2021-07-01
大邱広域市 中区 西城路 6-1
+82-53-256-3762
徐相敦(ソ・サンドン)は、朝鮮時代末期の企業家・官僚であり民族独立運動家でもあった人物です。大邱(テグ)で紙の行商や反物商として成功し、政府の検税官となり租税穀の管理なども行いました。
1907年、政府が日本から多額の負債を抱え、国権を失うと考えた徐相敦は、大邱広文社の社長である金光済(キム・グァンジェ)とともに国債報償運動を繰り広げました。
大邱市は、桂山洞の李相和(イ・サンファ)古宅の横にあった徐相敦の生家を復元し、国債報償運動記念公園を造成し、銅像を建てるなど徐相敦の崇高な志を称えています。
2025-01-20
カンウォン特別自治道サムチョク市チュクソルギル37
江原道三陟市の「竹西楼(チュクソル)」は朝鮮時代前期につくられました。
名前の由来については二つの説があります。ひとつはかつて楼閣の東側の竹林に竹蔵寺という寺があったためというものであり、もうひとつは有名な妓生であった竹竹仙女がいた家が楼閣の東側にあったためというものです。朝鮮時代には接待と饗宴の場として使われましたが、その建物は雄壮であり優美な自然景観が周囲を取り巻いていたので数多くの詩人と画家がここを訪ねました。断崖絶壁の上に建てられている竹西楼に登ると目の前を流れる五十川を見下ろすことができますが、このすばらしい展望を手に入れるために岩盤を基礎にした17本の柱で楼閣全体が支えられている点は注目されています。17本のうち9本は岩盤の上に8本は石楚の上に立てられていますが、柱の長さがそれぞれ違っており特徴といえましょう。入り口には樹齢350年の槐の木が横たわり、中に入ると木蓮や竹林が広がり夏に草木が香ります。
2024-05-17
チョンラナム道モクポ市ナムノンロ166-1
カッパウィは、まるで2人の僧がカッ(笠)を被っているように見えることからカッパウィ(笠岩)と呼ばれています。その言い伝えとして、悟りの境地に至った僧が栄山江を渡り羅仏島にあるタッ島へ行く途中、休憩した所に被っていた笠と持っていた杖を置いたものが岩となったとする説、月出山で修行をしていた僧が弟子の僧を連れて木浦に必要な物を調達しに栄山江を渡ろうとしたところ、弟子の僧がはぐれてしまい川を渡りきれず石となって固まってしまったという説があります。また、その他にも木浦で病を患った父親の面倒を見ていた若者が、父親の薬代を稼ぐために家を出たところ、その間に父親が死んでしまい、その若者は自分の親不孝さを謝罪するために食事も取らず笠を被り謝罪し続けていたところ、石になってしまったという説など、いくつもの言い伝えの残る場所となっています。
2023-01-06
大邱広域市 中区 西城路6-1
+82-53-256-3762
大邱桂山洞2街84番地に位置する古宅は、抗日文学家として有名な詩人・李相和(イ・サンファ)が1939年から1943年まで暮らした家です。日帝強占期に民族独立のための抵抗精神を表現した詩人・李相和の思いが残っている場所です。
李相和古宅は、1999年から古宅を保存しようとする市民運動が始まり、軍人共済会が近隣に住商複合アパートを建築しながら古宅を購入し、2005年10月27日に大邱市に古宅を寄付しました。
大邱市は、敷地面積205平方メートル、建築面積64.5平方メートル(1階建て木造建築2棟)の古宅を補修し、古宅保存市民運動本部が募金で集めた財源をもとに古宅内に展示物を設置しました。
李相和古宅は、暗い時代を生きながら日帝に抵抗した民族詩人・李相和の精神を称え、子孫にその精神と文学的功績を継承する教育の場としても活用されています。
2024-09-27
テグ広域市チュン区ククチェボサンロ102ギル50
慶尚北道地域最初のプロテスタント教会、大邱第一教会
高宗32年(1895年)、釜山にあった北長老教の宣教本部が大邱に移り、光武2年(1898年)に瓦屋根の家4棟を教会として使用し始めました。その後、信徒が増えたことにより1908年に韓国の建築様式と西洋の建築様式を融合させた新しい教会が建てられました。1933年には信徒と中央教会からの資金をもとに新たに教会を建て、第一教会と名を改めました。その後、1937年にはイ・ジュヨル勧士が高さ33mの鐘塔を建て、1969年には内部工事をし、1981年には建物の裏手に515.7m²(156坪)の聖殿を拡張しました。
現在、建物の1階は事務室、幼稚園、青少年礼拝室として使用されており、2階全体は礼拝室として使用されています。大邱第一教会は、大邱にある教会の中で最も建物が古く、キリスト教が近代化に寄与した象徴として近代建築史の研究の貴重な資料となっています。
第一教会の歴史的意義
第一教会は、慶尚北道地域に初めて作られたプロテスタントの教会で、宣教師たちが地方を開化させるために近代的な医療および教育を展開する拠点となっていたという点に歴史的意義があります。
また、第一教会の建物の外観は、ゴシック様式の建築的特徴がよく表れていることから、大邱地域の近代建築史研究の貴重な資料となっています。
2024-03-05
プサン広域市トンレ区ウジャンチュンロ155
金剛(クムガン)公園は、東莱(トンレ)温泉地区の近くに位置する金井山(クムジョンサン)の麓にある公園で、鬱蒼とした森と奇岩怪石の崖、渓谷が絶景を織りなしています。歴史が深く、遺跡があちこちに散在しています。金井山に登るロープウェイがあるので、気軽に山に登って釜山市内を眺望することができます。近くに釜山民俗芸術館、釜山海洋自然史博物館、金剛植物園などがあります。
2024-04-08
チョンブク特別自治道ワンジュ郡コサン面コサンヒュヤンリムロ246
高山面五山里にある高山(コサン)自然休養林は、山林浴が楽しめる家族休養地として注目されています。春にはツツジやヤマザクラなどの花が満開になり、夏には青々とした森と渓谷を流れる清らかで冷たい水が暑さを忘れさせてくれます。また、秋に山を真っ赤に染める紅葉はまさに圧巻で、冬の雪景色も見逃せません。