2022-09-13
キョンギ道パジュ市タンヒョン面ピルスンロ369
「烏頭山(オドゥサン)統一展望台」は1992年にオープンし、2000年7月には訪問客が1,000万人を超え、南北分断の現実を肌で感じられる場所として外国人観光客も数多く訪れる国際的な観光名所となっています。
烏頭山頂上にある統一展望台からは北韓の開城市にある松嶽山と韓国ソウルにある63ビルディングを見ることができます。
烏頭山統一展望台は戦艦の形をした地上5階・地下1階の石造りの建物で建築学的にも評価を受けており、建築を学ぶ学生が見に訪れることもあるほどです。1階・2階の展示館には北韓の暮らしと韓半島の過去、現在、未来が分かる写真や映像資料が準備されています。
2024-02-29
キョンギ道パジュ市クンネ面チェサムタンクルロ210-358
第3地下トンネルは、北韓が韓国を侵攻する目的で作ったトンネルのうち3番目に当たる1978年に見つかりました。今まで見つかった4つのトンネルのうちソウルから最も近いです(約52キロメートル)。総延長1.6キロに幅が2メートルで、1時間当たり約3万名がこのトンネルで移動することができると推定されます。事前予約が必要で、臨津閣(イムジンガク)から出発します。パスポート、外国人登録証などの身分証明書を持参する必要があります。
2025-04-02
キョンギ道パジュ市ムンサン邑イムジンガクロ177
臨津閣(イムジンガク)は韓国戦争の悲劇が残る場所です。戦争の痕跡を見学し、平和の大切さを学ぶことができます。多くの戦争遺物が散在しており、青い芝生が広がる平和ヌリ公園や展示館もあり、多くの観光客が訪れています。
臨津閣一帯は韓国戦争で激戦地となったところです。戦争が始まったころに爆破され、現在まで残っている「臨津江鉄橋」や、共産軍の捕虜となっていた韓国軍と国連軍が自由を求めて渡った「自由の橋」があります。北韓失郷民のために臨津閣が建てられ、臨津閣観光地に指定されました。現在は平和ヌリ、臨津閣平和ゴンドラ、6.25戦争拉北者記念館、遊園地などの新しい施設ができ、大規模な観光スポットとなりました。
戦争遺物
1.臨津閣
2.望拝壇
3.自由の橋
4.京義線チャンダン駅の蒸気機関車
5.参戦記念碑・追慕碑
2024-02-29
キョンギ道パジュ市ムンサン邑イムジンガクロ148-40
板門店(パンムンジョム)は、韓国戦争(1950~1953)の休戦を告げた停戦協定が結ばれた場所です。ソウルから北側にわずか50キロ離れた非武装地帯(DMZ)に位置しています。今でも韓国と北韓が会談をしたり、北韓軍を目の前で見ることもできます。民間人立入禁止区域であるため個別観光は不可能で、国連軍司令部が指定した旅行会社を経由して事前に予約しなければなりません。パスポート、外国人登録証などの身分証明書を持参する必要があります。
2024-09-02
カンウォン道ヤング郡ヘアン面フ里621
※施設工事により2024年9月30日(予定)まで臨時休館
乙支(ウルチ)展望台は楊口(ヤング)の北東27キロメートル、軍事境界線から1キロメートル南の地点にある亥安(ヘアン)盆地の縁をなす加七峰(カチルボン)の尾根にあります。
1987年12月12日、全国経済人連合会(全経連)会長団が陸軍第1862部隊を訪問し安保教育館の建立を申し入れ、1988年5月31日1億2,500万ウォンを部隊に寄託、乙支展望台が建設されました。
乙支展望台は軍事境界線北側にある金剛山(クムガンサン)の毘盧峰(ピロボン)など金剛山の内陸寄り・内金剛(ネクムガン)を一望できる海抜1049メートルを誇る軍事境界線付近の最前線安保観光地で、毎年およそ10万人の観光客が訪れ、安保教育の場として重要な役割を果たしています。
乙支展望台は高さ10メートル、建築面積約324平方メートル(98坪)の2階建て鉄筋コンクリート造の建物で、軍作戦道路として使われていた乙支展望台までの7キロメートルを地元・楊口郡が舗装工事を行い、1998年2月からは一般の観光客を対象に日帰りに限り出入許可が出るようになりました。
2024-03-20
カンウォン特別自治道チョルォン郡トンソン邑ヤンジ里
第2地下トンネル鉄原(チョルォン)は、北韓が韓国を侵攻する目的で作ったトンネルの1つで、1975年に発見されました。総延長は3.5キロメートルですが、一般人が観覧できるのはそのうち500メートルだけです。DMZ平和観光コースでのみ訪問でき、予約が必要です。パスポート、外国人登録証などの身分証を必ず持参しなければなりません。
2021-05-17
江原道 鉄原郡 鉄原邑 トゥルミ路 1882
月井里(ウォルジョンニ)駅は非武装地帯(DMZ)南側限界線に最も近くにある鉄道駅です。
月井里駅にやってくると「鉄馬は走りたい」と書かれた看板のそばに止まったままの列車があります。1950年に勃発した6.25戦争(韓国戦争)当時、北韓軍が撤退する際、先頭の機関車のみを撤収したため、現在は残りの客車部分のみ置き去りにされています。6.25戦争当時最も激烈な戦闘を繰り広げた通称「鉄の三角地帯」にある月井里駅に止まったままの列車は、韓国の分断の歴史を象徴的に物語るシンボルです。
現在鉄原(チョロン)・月井里駅(鉄の三角展望台)は鉄原郡が安保観光コースとして管理しており、毎年数多くの観光客が訪れます。
※民間人統制区域
1953年の休戦以降、南北を分ける軍事分界線(通称「38度線」)を設定、この線を境に南北それぞれ2キロメートルの幅のエリアをDMZ・非武装地帯としお互い軍隊の出入りを統制しています。
韓国はその非武装地帯の南端・南方限界線からさらに南に5~20キロメートル幅の地域を設定、ここを民間人統制区域または民間人出入統制線と呼び、許可なく一般民間人の出入を制限しています。
2023-03-07
カンウォン道チョルォン郡チョルォン邑クムガンサンロ265
労働党舎(ノドンダンサ)は1946年に完成した3階建ての建物で、韓国戦争(1950~53年・休戦)が勃発する前まで北韓の労働党舎として利用された建物です。韓国戦争の時に大きな被害を被り、建物全体が黒くなり砲弾や弾丸の痕が建物のいたるところに残っています。このような姿が韓国戦争や韓国分断の現実を思い起こさせることから、有名歌手のミュージックビデオのロケ地や有名な音楽コンサート会場になったこともあります。現在、鉄原労働党舎は鉄原郡の安保観光コースに組み込まれており、数多くの観光客が訪れています。また、2001年2月には近代文化遺産に登録され、韓国政府の支援を受け建物の保存に当たっています。
2023-12-18
ソウル特別市チョンノ区サムチョンロ107
三清洞(サムチョンドン)の地名は、山と水が清く、人の心もまた清く良いということに由来するという説と、道教の最高神格である太清、上清、玉清を祀る建物「三清殿」に由来するという説があります。
「三清洞道(サムチョンドンギル)」は、景福宮の東から三清トンネルまで続く通りで、昔ながらの趣が残る住宅街のあちこちには個性的なカフェやレストランなどがあります。秋は紅葉が美しく、三清トンネル近くにある三清公園では、自然景観を楽しみながらゆっくりと散歩をする市民の姿も多く見られます。ギャラリー、骨董品屋、博物館が多く、芸術家や文化的な雰囲気を好む人々が集うエリアでもあります。
2024-10-18
ソウル特別市チョンノ区ナクサンギル41
駱山(ナクサン、125メートル)はソウルの内四山の一つで、左青龍にあたる山です。地形がラクダの背中に似ていたため駱駝山、一帯に宮廷に牛乳を供給する王室牧場があったため駝酪山などども呼ばれていました。1960年代以降は市民アパートと住宅が密集して建てられ、駱山本来の姿が失われました。ソウル市は駱山復元計画を立て、その計画の一環として公園化事業が行われ、2002年7月に駱山公園として開園しました。現在の駱山公園は、ソウル漢陽都城と緑の森が調和して美しい風情を感じさせる市民の憩いの場となっており、ソウルで最も美しい夜景が見られるスポットとして脚光を浴びています。