観光 - 韓国旅行情報

閑麗海上国立公園(梧桐島)(한려해상국립공원(오동도))

閑麗海上国立公園(梧桐島)(한려해상국립공원(오동도))

2025-07-03

チョンラナム道ヨス市オドンドロ222

海岸の奇岩絶壁と椿の木々が絶景を織りなす、麗水(ヨス)沖にある島です。防波堤が陸地と繋がっているため、歩いたりトンベク列車に乗って島に入ることができます。島に生い茂る椿は1月に花が咲き始めて3月には満開を迎え、壮観な景色が満喫できます。散策路や灯台、音楽噴水公園、裸足公園が整備されています。梧桐島(オドンド)を一周したり、麗水沖を観覧できる遊覧船が運航しています。

パラダイススパ・トゴ(道高) (파라다이스 스파 도고)

パラダイススパ・トゴ(道高) (파라다이스 스파 도고)

2024-11-21

チュンチョンナムド道アサン市トゴ面トゴオンチョンロ176
+82-41-537-7100

保養温泉に指定されたパラダイススパ・トゴは、パラダイスグループが温泉の故郷であるチュンチョンナム(忠清南)道アサン(牙山)にオープンした大型休養施設です。同スパは韓国行政安全部からチュンチョン(忠清)道第1号の国民保養温泉施設に指定されました。延べ面積24,622㎡、最大5,000人が収容可能で、水治療も兼ねるバーデプールや年中温かい硫黄温泉でサウナを楽しめる大浴場と、様々な水遊び施設を揃えています。特にシーズンごとに変わる多彩なテーマの屋外イベントスパが大人気です。冬季には健康のためのウコギ風呂、ショウガ風呂、ミカンの皮を利用した風呂などを楽しめます。温泉の他にもキムチ作りや柿狩り、牧場体験などを同時に楽しめるように週末の異色パッケージ・プログラムも用意しています。

スパランド・センタムシティ (스파랜드 센텀시티)

スパランド・センタムシティ (스파랜드 센텀시티)

2024-12-10

プサン広域市ヘウンデ区センタムナムデロ35
+82-1668-2850

スパランドは韓国伝統の入浴方式と日本で楽しむスーパー銭湯のような入浴を満喫できる場所です。地下1,000mで引き上げた炭酸泉と食塩泉を活用して顧客の好みに合わせたサービスを提供しています。2階建ての室内空間と屋外スパで構成されており、キッズ風呂をはじめ、22種類の風呂と13種の多様なチムジルバン、サウナ、空を見上げられる屋外の足湯などが揃っています。特に古代ローマの公衆浴場を再現した「ロマンサウナ」、フィンランドの伝統サウナを体験できる「乾式サウナ」、ヒマラヤ岩塩サウナの「塩房」など、世界各国の有名サウナスタイルを取り入れています。
スパランドは100%天然温泉水をそれぞれ違った温度で提供することでその効果を倍増させています。高温浴では体温を素早く上昇させることができ、中温浴ではゆったりと入浴が楽しめます。外壁から降り注ぐ自然の光、ホテル並みのエアリングシステムを備え、2種類の温泉水を活用した大浴場で、都心で溜まった疲れを取って健康的な入浴を楽しむことができます。

嶋潭三峰(도담삼봉)

嶋潭三峰(도담삼봉)

2024-03-15

チュンチョンブク道タニャン郡メポ邑サンボンロ644
+82-42-422-3037

嶋潭(トダム)三峰とは、南漢江(ナムハンガン)にそびえる3つの岩峰を指します。三峰は将軍(チャングン)峰、妻(チョ)峰、妾(チョプ)峰と名付けられており、最も大きい将軍峰には先人たちが風流を楽しんだ東屋の三嶋亭(サムドジョン)が建っています。近くの嶋潭三峰観光地には三峰ストーリー館、黄布帆船、遊覧船の船着場、休憩所などの施設があるので、そちらに立ち寄ってみるのもおすすめです。

九曲滝(구곡폭포)

九曲滝(구곡폭포)

2023-03-20

カンウォン道チュンチョン市ナムサン面カンチョングゴクギル254

春川・烽火山の麓にある高さ約50メートルの滝で、江村エリアの代表的な観光スポットの一つです。九つに曲がって落ちる滝であることから九曲滝(クゴクポクポ)と名付けられ、別名「クグリ滝」とも呼ばれます。奇岩怪石をつたって流れ落ちる滝は、壮観をなしています。夏場には涼しげな流れが暑さを吹き飛ばし、冬場には巨大な氷壁が壮大な見どころを提供します。冬はアイスクライミングを楽しむ人々が大勢集まります。チケット売り場から九曲滝までの山道は緩やかで、徒歩20分ほどかかります。森と渓谷の中を歩きやすい散策コースです。九曲滝入口から右手に伸びる山道に沿って40分ほど登ると、盆地に広がるムンベ村に出ます。山登りの後にここで味わう山菜ビビンバと地酒は逸品です。九曲滝観光地内に造られた国民余暇キャンプ場で一晩ゆっくり過ごすのもいいでしょう。

体験プログラム
アイスクライミング(冬季のみ利用可能)

画岩洞窟(江原古生代国家地質公園)(화암동굴(강원고생대 국가지질공원))

画岩洞窟(江原古生代国家地質公園)(화암동굴(강원고생대 국가지질공원))

2021-10-15

江原道 旌善郡 画岩面 画岩洞窟キル12

画岩洞窟(ファアムドングル)は日帝強占期に金の採掘を行っていた泉布(チョンポ)鉱山です。採掘中、地下にあった石灰洞窟が発見され、現在はテーマ型洞窟観光地へと生まれ変わりました。画岩洞窟内部では大型乳石、石柱、鍾乳石、石花、曲石、洞窟珊瑚など数多くの石灰生成物を見ることができる他、近くには昔の金鉱村の様子を再現した泉布金鉱村もあります。

出典:江原古生代国家地質公園

武陵渓谷(武陵渓谷名勝地)(무릉계곡(무릉계곡명승지))

武陵渓谷(武陵渓谷名勝地)(무릉계곡(무릉계곡명승지))

2020-07-01

江原道 東海市 三和路 538
+82-33-539-3700

頭陀山(トゥタサン)や青玉山(チョンオクサン)の麓にある武陵(ムルン)渓谷は、虎巌沼(ホアムソ)からおよそ4km上流の龍湫(ヨンチュ)瀑布までの渓谷を指します。
広々とした平たい河岸の岩肌や岩の間を流れる渓流が落ち合いできた大きな池のような淀みなどが素晴らしい武陵渓谷には数百人が座れるほどの大きさがある武陵盤石(磐石)をはじめ渓谷美が際立つ景色の素晴らしい場所が数々あり、三和寺(サマサ/サムファサ)、鶴巣台(ハクソデ)、玉流洞(オンニュドン)、仙女湯(ソンニョタン)など、双瀑布、龍湫瀑布に至るまで息を呑むような美しい景色が広がります。
別名・武陵桃源(ムルントウォン)と呼ばれるこの場所は高麗時代に高麗時代の文臣・動安居士(トンアンコサ)李承休(イ・スンヒュ)が生活をしながら歴史詩「帝王韻紀」を著したことでも有名な場所で、朝鮮時代の第14代の王・宣祖(ソンジョ=即位1567~1608年)の治世の時期に、三陟府使・金孝元(キム・ヒョウォン)がその名を付けたといいます。
数多くの奇岩怪石がある渓谷は絶景をなしており、まるで仙境に来たかのような感覚に襲われます。 朝鮮時代初期の四大名筆家のひとりとして知られている蓬莱(ポンネ)楊士彦(ヤン・サオン)の石刻や学者・文臣として知られる梅月堂(メウォルダン)金時習(キム・シスプ)をはじめ数多くの詩人墨客らの詩がおよそ1500坪あまりの武陵磐石(盤石)に刻まれています。

光化門広場(광화문광장)

2024-08-05

ソウル特別市チョンノ区セジョンデロ172

2022年8月に新たな姿にリノベーションされ、一般開放された光化門(クァンファムン)広場。600年の歴史を持つソウルの中心にある通り、世宗路のかつての姿である六曹通りの復元を通じ、歴史・文化体験空間として生まれ変わりました。入口の「光化門の歴史をよみがえらせる広場」には月台(ウォルテ)が再現され、悪霊を祓うという想像上の動物ヘテ像が復元されました。また、世宗路公園周辺エリアの「六曹通りの風景を再現した広場」には、かつて漢陽の中心だった六曹通りの面影を再現し、ジオラマも設置されています。景福宮や北岳山などの美しい自然景観を望みながら散策するのにぴったりです。

フェニックスパーク ブルーキャニオン(휘닉스 블루캐니언)

2022-12-26

カンウォン道ピョンチャン郡ポンピョン面テギロ174

「ブルーキャニオン」は、江原道・平昌郡にあるフェニックスパーク内に設けられた地中海の雰囲気漂うウォーターパークです。江原道の澄んだ空気と渓谷のきれいな水を利用したブルーキャニオンには、さまざまな水遊び空間が用意されています。

王仁博士遺跡地(왕인박사유적지)

2024-02-02

チョンラナム道ヨンアム郡クンソ面ワンインロ440

王仁博士遺跡地(ワンインパクサユジョクチ)は鳩林村(クリムマウル)の東、ムンピル峰の麓にあり、王仁(ワンイン:百済の学者)が脚光を浴びたことにより彼に関連する遺跡物を復元した場所で、王仁墓(祠堂)、内三門、外三門、文山斎、養士斎、展示館、王仁像などから成っています。この中でも王仁墓(約82.5平方メートル)には、肖像画と位牌が安置されており、毎年祭祀が執り行われます。王仁博士の誕生した地である聖基洞や博士が飲んだと伝えられている聖泉もあり、誕生した地の横には遺虚碑が建っています。また、月出山の中腹には博士が勉強をしたと伝えられている冊堀や文山齋、養士齋があります。文山齋や養士齋には博士が勉強をしながら故郷の人材を育てた場所で、毎年3月3日には王仁博士の追慕祭を行ったといいます。冊堀の前にある王仁博士の石人像は博士の厚徳を称えるために建てたものといわれています。聖基洞の西にあるトルジョン峠は博士が日本を発つときに同僚や門下生たちとの別れを惜しみ、故郷を振り返って見たことからその名前が付けられました。

王仁博士は百済人として日本の応神天皇の招待により、論語10冊、千字文1冊を持って日本に渡り、その経書の知識により応神天皇の信任を受け皇太子の師匠になったといわれています。これが日本文化を開く重要な契機となりました。日本の古事記には和邇吉師、日本書紀には王仁という彼の名前が登場します。王仁博士は論語や千字文を伝えただけでなく、技術工芸の伝授、日本歌謡の創始などに貢献し、政治顧問となり百済文化の伝授を通し、日本の飛鳥文化に影響を与えました。