2024-10-24
キョンサンブク道アンドン市ワリョン面クンジャリギル29
安東君子(アンドン・クンジャ)村は、韓国の伝統家屋である韓屋約20軒が密集している村で、烏川(オチョン)遺跡地とも呼ばれています。朝鮮時代に多くの学者がここから輩出され、君子(学徳の高い人)が多く住んでいるとして君子村と呼ばれるようになりました。国家遺産に指定された濯清亭(タクチョンジョン)故宅、光山金(クァンサンキム)氏祠堂、枕洛亭(チムナクチョン)などがあります。韓屋ステイをしながら伝統的な故宅や伝統文化を体験できます。
2021-07-14
慶尚北道 安東市 法興洞7-9
安東(アンドン)法興寺址(ポブンサジ)七層塼塔(チルチュンチョンタプ)は韓国で最も大きく由緒ある統一新羅時代の七層塼塔です。
高さは17メートル、基壇部は7.5mあります。この一帯の地名を法興里(ポブンニ)と呼んでいることから、統一新羅時代に創建されたという法興寺(ポブンサ)に建てられた塼塔と推定されます。
この塔は1487(成宗18)年に改築されたことがあると記録に残っています。
基壇は単層の方形の形をしており、地表面に八部衆像や四天王像を彫り上げた花崗石の板石を1面に6枚ずつはめ込んでいます。また、南面の中央には階段も設けています。
八部衆像や四天王像の彫刻手法から推定して、それぞれ制作年度に違いがあるほか、はめ込まれている板石の順序も規則的ではありません。その上、基壇上面は斜めに丸くセメントを塗られており、過去にこのように単層基壇側面に多くの彫像をはめ込み配置した例がないため、どの程度この塼塔が造られた当時の原型がとどめられているのかは疑問なところがあります。
七層塼塔の構造
塔身の部分は各層を長さ約28cm、幅約14cm、厚さ約6cmの濃い灰色の模様ない寺院などで使われる土を高温で焼き上げ石版のようにした塼石(チョンドル)を互い違いに積み重ねています。
一番下の段の初層屋身はとても高く、南面の中央下半分には花崗石で枠を作り小さい厨子・龕室(カムシル)を作っています。内部は上部を紡錘形にし、1面48cmの方形の穴が上に空けられ、仏塔の心柱を通す擦柱孔(チャルジュゴン)が見えます。
2層目の屋身は1段目の初層屋身の高さに比べ、およそ4分の1の高さと随分低くなりますが、3段目以降の屋身についてはさほど大きさが変わらないので、7層になっている高さでも全体的に安定感を感じます。
各段の屋根のようになっている屋蓋石は塼塔特有の形をしており、軒の上部が薄い板が何層にも重なっている形式となっているため反りはなく水平で、各段の屋蓋の幅は石塔の基礎部分に比べ上に行くほど顕著に狭くなっていきます。
各段の塔身に積まれた薄板の高さは1段目の初層屋身が9段、2段目からは8段、7段、6段、5段、3段となっています。その各段の屋根のようになっている部分は1段目の初層屋身が12段、2段目からは10段、9段、8段、7段、6段、5段となっており、上の層に行くほど少しずつ少なくなる構造となっています。
現在、各段の屋根の傾斜面・落水面(ナクスミョン)にはごく一部に瓦を葺いた部分が見とめられ、塼塔が造られる前に木塔が存在したといわれる塼塔は落水面が設けられるなど木塔を模倣したものと見られます。
仏塔の最上部に付けられる金具の相輪は現在、その金具の下部にある露盤のみが残っている状態です。
慶尚南道安東に残る邑の記録・邑誌「永嘉誌(ヨンガジ)」によると「府東五里」にあるという法興寺塼塔がこの塼塔であると推定されています。
また、法興寺塼塔については「上有金銅之飾 李股撤面納官鋳成客舎所用什物」という記録があり、元々は金銅相輪があったものと見られます。
2021-09-14
江原道 江陵市 雲亭キル 63
船橋荘(ソンギョジャン)は、江原道(カンウォンド)地域で最もよい状態で残されている品格を感じる上流階級・士大夫(サデブ)の家屋です。
江陵市(カンヌンシ)から鏡浦(キョンポ)方面に4キロメートル程離れたところにある船橋荘は、朝鮮時代の上流階級の邸宅を代表する建造物で、国家指定重要民俗資料(現・国家民俗文化財)に指定されました。
船橋荘という名前は、鏡浦湖が現在の水面より広かった時代、湖の出入りに船を利用していたことから、この地域を船橋の村(船橋里=ソンギョリ)と呼んでいたことに由来しています。
船橋荘は朝鮮時代後期・朝鮮王朝第21代の王・英祖(ヨンジョ・1694~1776年)の時代の1703年、孝寧大君(ヒョリョンデグン)の子孫・李乃蕃(イ・ネボン/1703~1781年)が、イタチの群れを追いかけていたところ偶然見つけた風水地理的に素晴らしい土地・明堂(ミョンダン)に建てた邸宅で、現在でもその子孫が住んでいます。
延面積は1,051.24平方メートル(318坪)で、敷地入口の大門の左右に建つ長い行廊(ヘンナン=伝統的な屋敷で表門の両側にある部屋で、仕える者が居住)に囲まれた母屋や舎廊(サラン)チェ、東別堂(トンビョルダン)という家族が集まる部屋や祖先を祀る家廟(カミョ)などが整然と残っています。
門外には数百坪の広さを誇る池に浮かぶ活来亭(ファルレジョン)という東屋があり、また美しい庭もある完璧なまでの邸宅となっています。
船橋荘は建物のみならず、朝鮮時代後期の暮らしぶりや生活用品を研究する上でも大変貴重な史料となっており、周辺の景観と相まって、素晴らしい風景の場所です。
船橋荘の舎廊チェの建物は悦話堂(ヨラダン/ヨルファダン)と呼ばれ、この建物には朝鮮王朝の歴代の王の事績を詠った叙事詩『龍飛御天歌(ヨンビオチョンガ)』や高麗史など、数千冊に及ぶ書籍、書、絵画が収められています。
*母屋
母屋は1700年代に世宗(セジョン)大王の兄にあたる孝寧大君の10代目の子孫・李乃蕃が建立した建物で、船橋荘の建物の中で最も庶民的な造りとなっています。居間とその向かいの部屋の間には広い板の間があり、さらに台所が居間と床続きとなっています。
*悦話堂
悦話堂は男主人専用の舎廊チェの建物として李乃蕃の子孫・李厚(イ・フ)が純祖15(1815)年に建てました。
建物の悦話堂という名称は、中国の詩人・陶淵明の散文『帰去来辞』にある「悅親戚之情話」という一文からとって名づけたと言われています。
悦話堂は三段になった長台石の基礎に建てられた楼閣形式の建物で、非常に風情のある造りとなっています。
*東別堂
東別堂は母屋につながる形で主人専用に建てられた別棟の建物で、李厚の子孫に当たる李根宇(イ・グヌ)が1920年に建てた「フ」の字型の建物です。東側に2室、西側に1室のオンドル部屋を設け、建物前面には広々とした板の間が、建物後方と東側には小さな縁側があります。
*活来亭
活来亭は船橋荘の庭内に掘られた人工の池の中に造られた東屋で、純祖16(1816)年、悦話堂に次ぎ建てられました。活来亭という名称は、朱熹の漢詩『観書有感』の一文「爲有頭源活水来」から取られたものと言われています。活来亭の建物は、池の中に石の杭を打ち池の上に浮いているように建てた「フ」の字型の楼閣形式の東屋です。活来亭は側面の各柱とのすべての間が4枚からなる格子戸となっており、部屋と板の間をつなぐ廊下の脇には客人をもてなす茶室もあります。
*その他
母屋と悦話堂の間にある書斎と書庫を兼ねて使われていた西別堂(ソビョルダン)は、過去、焼失の憂き目にあいましたが、1996年復元に漕ぎつけました。建物の正面には行廊チェの建物があり、また建物の横には元々倉庫として使われていたものの、開化期になり西洋から入ってきた新しい学問を教育した東進学校(トンジンハッキョ)の跡があります。
2024-04-07
チョンブク特別自治道 全州市 完山区 パラムセェヌンキル 89
全州市の東南に位置する寒碧堂の裏に僧岩山という山があり、その山の険しい峰に天主教(カトリック教)の聖地「致命者山」があります。岩の上に高さ4メートルの石で造られた十字架があり、その横の崖のところに聖堂が建られました。この聖地は世界で唯一の童貞夫婦(性関係を持たない夫婦)である柳重哲(洗礼名ヨハン)と李順伊(洗礼名ルガルダ)とその家族が眠っている場所です。
1800年代のキリスト教の迫害期に家族7人が殉教し、ここに葬られています。そのうちの一人・柳恒倹は、完州郡伊西面チョナム部落で生まれ、全羅道で最初の天主教の信者として斬首されました。息子の重哲とその妻の順伊は篤実な信仰生活を送るため童貞夫婦を貫き、結婚して4年で斬刑に処されました。寒碧堂の周辺からも致命者山の十字架が見え、聖地として造成されてからは巡礼者がひっきりなしに訪れる名所となりました。柳重哲と李順伊の墓が頂上に安置されており、頂上の崖には花崗岩でできた記念聖堂があります。童貞夫婦の殉教者の墓の上には「奇跡の岩(イエス・マリア岩)」もあります。
山の急斜面を登りながら祈りをささげる「ゴルゴダの十字架の道」には、入口から山の頂上までの全区間に花の道がつくられており、散策に最適です。聖地入口には広い休息スペース(モンマルト広場)があり、森の中の駐車場(4,000坪)も整備されています。
特徴
(1)柳恒倹と童貞夫婦殉教者の墓
(2)モンマルト広場
(3)聖堂(海抜300メートルの山の頂上の崖に建てられた記念聖堂)
(4)イエス・マリア岩
(5)ゴルゴダ十字架の道
(6)祈りの花の道
2024-04-08
チョンブク特別自治道チョンジュ市ワンサン区チョンジュチョンドンロ74
芸郷・芸都と呼ばれる全州(チョンジュ)。この芸郷・芸都の雰囲気を味わいたい方におすすめの場所がここ、「全州市 剛庵書芸館」です。
全州のシンボル・豊南門(プンナムムン)、慶基殿(キョンギジョン)、東には梧木台(オモクテ)、郷校(ヒャンギョ)、寒碧堂(ハンビョクタン)などがある校洞(キョドン)全州川沿いに1995年オープンした「全州市剛庵書芸館」は、芸術をこよなく愛する人々で常にあふれている場所です。
代々、書芸の伝統を受け継いできた、地元全州生まれで書芸界の大家・剛庵(カンアム)宋成鏞(ソン・ソンヨン=1913~1999年)の志を引き継ぎ建てられたこの剛庵書芸館は、朝鮮時代後期の文臣で書画家でもあった秋史(チュサ)金正喜(キム・ジョンヒ)、朝鮮時代後期の書芸家・蒼巌(チャンアム)李三晩(イ・サムマン)、朝鮮時代中期の画家・壇園(タノン)金弘道(キム・ホンド)の作品や、朝鮮時代後期の儒学者・茶山(タサン)丁若鏞(チョン・ヤギョン)の簡札を含む作品など1162点が展示されている韓国唯一の書芸のみを扱った展示館です。
また、「全州市剛庵書芸館」から200メートルほど北には、近年、東学革命を記念する東学革命記念館が建てられ、東学運動の足跡を垣間見ることができます。
2024-05-23
キョンサンブク道アンドン市プンチョン面ピョンサンギル386
元々、屏山書院(ピョンサンソウォン)は、安東地域の古の地名・豊山県(プンサンヒョン)にあった豊岳書堂(プンアクソダン)と呼ばれていた建物で、高麗時代より儒林(儒学者)の教育機関として使われていました。1572年に朝鮮時代の文臣・西厓(ソエ)柳成龍(ユ・ソンニョン)先生が現在の屏山へ移築しました。1607年に柳成龍先生が他界すると、鄭経世(チョン・ギョンセ)などの地元の儒林らが公議を行い、柳成龍先生の学問や徳行を称えて1613年に尊徳祠(チョンドクサ)を創建、位牌を祀り、その翌年の1614年に屏山書院に改称しました。1620年に儒林らの公論により、退渓(テゲ)李滉(イ・ファン)先生を祀る盧江書院(ヨガンソウォン)へ位牌を移しました。その後、1629年に別の位牌を準備し、尊徳祠に祀り、三男の柳袗(ユ・ジン)を新たに配享(合祀)しました。1863年に王より扁額が下賜され、賜額書院へ格上げとなりました。 屏山書院は先賢の配享や地元での教育の一端を担い、多くの学者を輩出、1868年に興宣大院君(フンソンテウォングン)による書院撤廃令が下った際にもその対象から外され、保護されました。日帝強占期には大掛かりな補修工事が行われ、講堂は1921年、祠堂は1937年にそれぞれ再建されました。
毎年3月中旬ごろの中丁(チュンジョン)と9月の中丁の時期には郷射礼(ヒャンサレ)を執り行っています。
屏山書院は史跡に指定されており、屏山書院には柳成龍先生の文集をはじめ、約1,000種の各種文献が約3,000冊所蔵されています。
2022-12-16
ソウル特別市カンナム区トサンデロ45ギル20
1970年朴正熙元大統領は、島山(トサン)・安昌浩(アン・チャンホ)先生がこの国の自主と独立のために捧げた偉大な愛国精神と民衆の教化のための教育精神を国民の手本とするため、島山公園を設けることを指示しました。これに対しソウル市は1973年江南区新沙洞に約1万坪の公園を造り、忘憂里共同墓地から先生の遺体を移葬するとともに米国ロサンゼルスから夫人イ・ヘリョン女史の遺体を移して合葬しました。
公園内には島山先生記念物として銅像や語録碑などが設置されており、毎年3月10日、ここで興士団および島山記念事業会主管で島山先生の追慕記念行事を行っています。
2022-12-23
カンウォン道カンヌン市チョダンスンドゥブギル89-8
鏡浦海水浴場からで南に少し下ると「スンドゥブ(純豆腐)」と呼ばれる柔らかい豆腐で有名な草堂豆腐村(チョダンドゥブマウル)があります。江陵名物のこのスンドゥブは、東海岸の海のにがりを使って固めたもので、とても柔らかくて香ばしいのが特徴です。この村の名称「草堂」は、韓国の有名小説家であり詩人のホ・ギュン( 許筠 1569~1618)と、その姉である有名女流詩人ホ・ナンソルホン(許蘭雪軒、1563~1589)の父ホ・ヨプ(許曄、1517~1580)の号(本名を呼ぶことを避ける風習により作られた別の呼び名)を取って付けられました。現在この村には彼らが住んだ家の跡地が残っています。
2024-10-22
チョンブク特別自治道チョンジュ市ワンサン区テジョロ44
「慶基殿(キョンギジョン)」は、朝鮮王朝を建国した太祖・李成桂の御真(肖像画)が祀られているところです。朝鮮第3代王・太宗が1410年に全州・慶州・平壌に「御容殿(オヨンジョン)」を創建し、太祖の肖像画を奉安しました。その後、1412(太祖12)年に太祖真殿(テジョチンジョン)と呼ばれるようになりましたが、1442(世宗24)年に全州の御容殿は「慶基殿」、慶州は「集慶殿」、平壌は「永崇殿」と名づけられました。
慶基殿は壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の際に焼けてしまいましたが、1614(光海君6)年に再建されました。建物は本殿・軒・翼廊などからなり、内三門・外三門により仕切られています。
2024-04-08
チョンブク特別自治道 全州市 徳津区 権三得路390
+82-63-239-2607
「徳津(トクジン)公園」は徳津湖の周囲につくられた公園で、7~8月には徳津湖面を蓮の花が埋め尽くすことで有名で「蓮の花祭り」も開かれます。
蓮の花は人ほどの大きさのものもあり、蓮の花でいっぱいの湖を見ると誰しも驚きます。湖を横切るようにかけられている橋も有名で、橋の上から満開の蓮の花を眺めるとどこか別の世界にいるかのようです。また、「蓮の花水辺のステージ」で繰り広げられる噴水ショーも見事です。