観光 - 韓国旅行情報

DMZ安保見学(DMZ 안보견학)

DMZ安保見学(DMZ 안보견학)

2020-08-12

江原道 鉄原郡 東松邑 泰封路 1825

鉄原(チョロン)のDMZ(非武装地帯)安保見学は、江原道(カンウォンド)鉄原地域にあるさまざまな観光スポットを巡るツアーです。
孤石亭(コソクチョン)国民観光地内にある韓国国内最大の安保教育施設で1989年に開館した鉄の三角戦跡館を起点に、北韓が掘った南侵用トンネル・第2トンネル、ソウルから元山(ウォンサン)へ向かう京元線(キョンウォンソン)の機関車が停車した駅で現在では非武装地帯の南にある南方限界線に最も近い駅・月井里(ウォルジョンニ)駅、タンチョウヅルや渡り鳥に関する展示がある鉄原タンチョウヅル館を見学し、最後にDMZ付近のジオラマ模型が置かれ、DMZ内の自然生態・弓裔(クンエ)都城の城郭・平康(ピョンガン)高地・北韓宣伝村を超精密望遠双眼鏡で眺めることができ民族分断の現実を実感できる鉄原平和展望台を観覧するコースとなっています。

南海大橋(남해대교)

南海大橋(남해대교)

2020-08-13

慶尚南道 南海郡 雪川面

済州島(チェジュド)、巨済島(コジェド)、珍島(チンド)の次に韓国で四番目に大きい島・南海島(ナメド)。
昌善(チャンソン)・三千浦(サムチョンポ)大橋開通以前まで、南海島に渡るための橋と言えば、東洋最大の懸垂橋と呼ばれた南海大橋でした。
南海大橋は全長660m、高さ52mの美しい懸垂橋で、1973年に開通し、開通から数十年経った今でも韓国で最も美しい橋として人気があります。
南海大橋が架かっている露梁(ノリャン)海峡の激しい流れは南海の歴史を今に伝える生き証人であり、ここは歴史の舞台でもありました。
露梁海峡は壬辰倭乱(日本で言う「文禄・慶長の役」)最後の戦闘・露梁海戦が勃発した場所として知られ、また高麗時代から朝鮮時代に至るまで数多くの人が配流され流罪地へ渡るため渡し船に乗って海を渡ったのがこの海峡で、人々の恨が宿る場所でもあります。
南海大橋が開通する前、南海島に住む人々は、渡し船に乗ってこの流れの激しい露梁海峡を渡らねばなりませんでした。南海大橋が完成すると、車で1、2分ほどで渡ることができるようになりました。
南海島と陸地を繋ぐ南海大橋を渡ると、桜並木のトンネルが出迎えてくれます。春になると空が見えなくなるほど桜が満開となり、一帯は素晴らしい風景となります。

フィニッシュタワー(피니시타워)

フィニッシュタワー(피니시타워)

2020-08-13

江原道 華川郡 下南面 春華路 3331-50

華川(ファチョン)の新たな名所として急浮上しているフィニッシュタワー(Finish Tower)。
このフィニッシュタワーは高さ20m、幅6m、全長90mの大型鉄骨構造物で、独特な外観が目を引きます。
フィニッシュタワーは「2007年アジアカヌー競技大会」開催時、フィニッシュラインの記録計測及び放送中継のため設置された建築物です。
大会終了後は施設を改造、現在では水上ゴルフ場、展望台休憩室などを兼ね備えた観光スポットとして利用しています。
また、漕艇、カヌーなどの国内大会誘致をはじめ、「華川小舟祭り」の開催場所としても利用されています。

太白警察署 望楼(태백 경찰서 망루)

太白警察署 望楼(태백 경찰서 망루)

2024-09-13

カンウォン特別自治道テベク市チャンソンロ26

太白(テベク)警察署望楼は、韓国戦争(1950~1953年・休戦)当時、軍事防衛のため使われた警察の施設で、1950年代の治安状況を垣間見れる歴史的価値の高い文化財として、2005年、登録文化財に指定されました。
直径4.3m、高さ7mの円筒型の望楼は二階建ての構造となっており、各階には外を監視できる窓が開けられ、長省(チャンソン)の町が360度見下ろせるようになっています。
望楼の床の下には角ばった穴があけられており、ここに梯子をかけて二階とを行き来していました。
戦争や共匪浸透、徹底した監視など韓国現代史における当時の混乱した状況を垣間見ることができる建造物です。

泗川 海ケーブルカー(사천바다 케이블카)

泗川 海ケーブルカー(사천바다 케이블카)

2020-08-13

慶尚南道 泗川市 泗川大路 18

泗川(サチョン)海(パダ)ケーブルカーは、海上、そして山中いずれの場所も通過する韓国初のロープウェイで、海上のみ、あるいは山の中だけでしか楽しめなかった既存のロープウェイとは異なり、ご乗車のお客様の満足度が大変高いロープウェイとなっています。
泗川海ケーブルカーの総延長2.43Kmは韓国国内最長(2019年6月現在)で、およそ25分間、ロープウェイの旅をお楽しみいただけます。山中の角山(カクサン)乗り場で降り展望台に上ると、泗川の街の前に広がる美しい海の風景を眺められます。
ロープウェイのゴンドラからは、海釣りを楽しむ人々が乗船する船が海原に浮かんでいるのが見え、あたかも一枚の水彩画を眺めているかのような気分になります。また、運が良ければ地元に生息するイルカの一種「サンケンイ」(ネズミイルカ)の泳ぐようすもゴンドラから眺められます。
泗川海ケーブルカーは大芳(テバン)乗り場から草養(チョヤン)乗り場、角山乗り場を経て再び大芳停留場に戻ってくるルートとなっており、すべてで42台のキャビン(ゴンドラ)(一般キャビン28台、クリスタルキャビン14台)が運行されています。

長林浦(장림포구)

長林浦(장림포구)

2024-03-13

プサン広域市サハ区チャンニムロ93ボンギル72

長林浦(チャンニムポグ)は、SNSを通じて近年人気急上昇中の釜山(プサン)のホットプレイス。長林の入り江に沿って立ち並ぶカラフルな建物や水辺に停泊している船がベネチアのムラーノ島の風景に似ていることから釜山のベネチア「プネチア」という愛称で呼ばれています。夕陽が美しく、多大浦(タデポ)海水浴場へ向かう途中にあるため、近くの峨嵋山(アミサン)展望台、多大浦夢の夕日噴水などと一緒に観光でき、釜山の新たな避暑地として急浮上している観光スポットです。

線路の森&火の庭園(철길숲 & 불의정원)

2023-12-27

キョンサンブク道ポハン市ナム区

約100年にわたり列車が走っていた南区孝子駅・旧浦項駅間の4.3キロメートル区間が、2015年のKTX浦項駅移転に伴い廃線路となりました。線路は住宅街を貫いて都市林が造成され、水景施設の壁泉、音楽噴水、スチールアート作品などが観光客の目を引き、未来志向的な都市再生とグリーンエコシティづくりのモデルケースとなっています。火の庭園は、浦項線路の森を造成する過程で井戸の掘削中に地下200メートルから噴き出した天然ガスに引火し、その炎が現在に至るまで燃え続けています。当初はそのうち消えるだろうと思われたものの、ずっと燃え続けて消えないため、珍しい見どころとして活用するために火の庭園が設けられました。

浦項クルーズ(포항크루즈)

2020-08-13

慶尚北道 浦項市 南区 希望大路 1040

数十年もの間、都市化により埋め立てられていた東浜内港(トンビンネハン)の水路を、浦項市(ポハンシ)が行った生態復元事業により、ひと昔前の水の流れを取り戻し、兄山江(ヒョンサンガン)と松島橋(ソンドギョ)を結ぶ1.3kmの区間に小さな運河・浦項運河が誕生しました。
韓国国内初の都会の真ん中につくられたこの浦項運河は、都市再生と生態環境の復元をもたらし、韓国最大級の伝統市場・竹島(チュクト)市場のグルメやショッピング、東浜内港、迎日台(ヨンイルデ)展望台、松島海水浴場、POSCOの夜景にづづく浦項の新たな観光名所として注目を集めています。
浦項クルーズはそんな浦項運河を経由して様々な浦項の観光名所を船で巡るクルーズツアーです。

伴鴎亭と黄喜先生遺跡地(반구정과 황희선생유적지)

2024-03-22

キョンギ道パジュ市ムンサン邑パングジョンロ85ボンギル3

伴鴎亭(パングジョン)は、高麗末期と朝鮮初期の文官である黄喜(ファン・ヒ)が領議政(朝鮮時代の最高官職)から辞退し、晩年を過ごした場所で、臨津江(イムジンガン)の下流に建てられた亭です。黄喜先生遺跡地には、黄喜の死後、その死を追悼するために建てられた影堂(ヨンダン)と黄喜の業績についての資料がある景慕斎(キョンモジェ)などがあります。

益山 春浦里 旧日本人農場家屋(익산 춘포리 구 일본인 농장 가옥)

2024-09-25

チョンブク特別自治道 益山市 春浦面 春浦4キル 48

益山春浦里 旧日本人(細川)農場家屋は、全羅北道(チョルラプクド)益山市(イクサンシ)春浦面(チュンポミョン)春浦里にある、かつて日本人が所有していた旧農場の家屋です。
この農場家屋は2005年11月11日に登録文化財に指定され、現在ではアン・サムギル氏の所有となっています。益山春浦里旧日本人農場家屋は1940年代に農場内に建てられた二階建ての木造家屋です。
建築面積106.78平方メートルの日本式の木造家屋で、全羅北道地域を代表する大規模農場・細川農場内にあった建物です。当時のこの建物は細川護熙元日本国内閣総理大臣の祖父・細川護立が所有しており、日本人の小作管理人が住んでいました。全羅北道が農業収奪地域であった当時の春浦の状況が垣間見れる建物となっています。
建物1階は正方形に近い平面となっており、「フ」の字型となった廊下に沿って部屋が配置されています。2階には外の景色が眺められるようバルコニーのように突出した作りの部分もあり、特徴的な外観となっています。
建物の屋根は日本式の瓦屋根葺きの入母屋屋根となっており、外壁は板張りとなっています。
建物内部はその後韓国人が居住しリモデリングされましたが、現在は空き家となっています。
玄関に入ると、すぐ2階へ上がる階段があります。階段の真横には廊下があります。1階は建築当時、畳部屋となっていましたが、その後オンドル部屋となり、また仕切り壁も取り払われるなど大規模な改築がなされました。
しかし、2階部分は建築当時の広々とした畳部屋が残っており、また押入れや床の間も当時そのままに残っています。部屋の手前にはバルコニーのような空間があり、鉄製の欄干を設けています。
益山春浦里旧日本人農場家屋はこの地域の近現代史の一端を垣間見ることができる建物で、一部修理や改築は行われましたが、全体的には原型を留め、郷土史的、居住史的、建築的観点からも重要な価値を持つ建物と言えます。