2020-05-06
全羅南道 木浦市 大義洞
+82-61-270-8598
* 李舜臣将軍の戦術とカンガンスルレの伝説が宿る場所 *
露積峰(ノチョッポン)は全羅南道(チョルラナムド)木浦市(モッポシ)儒達山(ユダルサン)にある巨石の頂をいいます。
この頂は壬辰倭乱(日本で言う「文禄・慶長の役」)の際、忠武公(チュンムゴン)李舜臣(イ・スンシン)将軍が敵を撃退するため利用したことで有名で、李舜臣将軍の地形を利用した高度な心理戦が垣間見える場所です。
壬辰倭乱の際、李舜臣将軍率いる陣営は、軍事的に劣勢な状況を挽回するため、藁を編みこの露積峰の岩を覆うように被せました。この藁を覆った岩がまさに軍糧米の俵を積み上げた露積みの俵のように見え、あたかも軍糧米が大量に備蓄されているかのように敵陣に錯覚させたといいます。
このほかには、住民らに軍服を着させ、露積峰の周囲をずっと回るように指示し、この様子が敵陣にまさに大軍がいるかのように思わせたといいます。また同時に近くを流れる栄山江(ヨンサンガン)に白土の粉を撒き、米のとぎ汁が河口に流れていくかのように見せかけることで、下流にいる倭敵に李舜臣将軍率いる自軍の軍勢を誇示、これを見た倭将が兵士を転じさせ撤退したと言われています。
当時、露積峰の周囲を回る戦術はその後の文化芸術に昇華し、大勢の人で円を描き踊る韓国伝統舞踊・カンガンスルレに発展したという伝説が残っています。
2024-04-08
チョンブク特別自治道スンチャン郡スンチャン邑ペギャギル29
淳昌(スンチャン)は、コチュジャンで有名な韓国の田舎町です。コチュジャン職人の説明を聞きながらコチュジャンの作り方を習い、手作りのコチュジャンで調理したトッポッキとコチュジャンを入れて混ぜてから食べる山菜ビビンバが味わえます。宿泊施設と食堂、セミナー室などの付帯施設を完備しています。
2021-03-26
ソウル特別市 鐘路区 梨花荘キル 81
+82-2-2148-1842
ソウル特別市鐘路区(チョンノグ)の大学路(テハンノ)にある韓国放送通信大学本館の建物。この建物は大韓帝国時代、工業伝習所本館として建てられた建物です。
この建物は大韓帝国の財務を総括する官庁・度支部(タクチブ)の建築所が設計、日本人の吉田謙造が施工を担当し、1907年着工、翌1908年に竣工しました。
工業伝習所は大韓帝国(1897~1910年)時代、商工業振興政策の一環としてて設立され、染織、製織、製紙、金銀細工、木工などの近代技術を教育する機関でした。
工業伝習所は1906年に発足し、元々貨幣の造幣を行っていた典圜局(チョナングク)機械試験所があった東崇洞(トンスンドン)の敷地を確保し、本館及び付属の建物を建築しました。
工業伝習所は1910年の日帝強占期(1910~1945年)がはじまると、統監府所管から朝鮮総督府所管となり、1912年中央試験場が設置されると中央試験場付設の機関となりました。つづいて1916年4月に創設された京城工業専門学校にその流れは引き継がれ、工業伝習所としての時代に幕が下ろされました。
旧・工業伝習所本館の建物は2階建てのルネッサンス様式の建物で、左右対称をなすH字型をした木造建物です。
大韓帝国時代に建てられた木造建築としては唯一その原型を良好な状態で留めている建物で、大韓帝国度支部が設計した数少ない現存する建物としても歴史的価値が高い建物となっています。
* 面積 - 999平方メートル
2024-02-29
キョンギ道ファソン市トンタンスンファンデロ69
東灘(トンタン)湖公園は、松防川(ソンバンチョン)の流れを堰き止めて造られた人工湖公園で、住宅地の真ん中に造成されています。湖に沿って広々とした芝生広場やピクニック広場などが整えられている都心のウェルネス空間です。遊歩道、運動設備、水遊び場があり、多彩なアクティビティが可能です。毎年5月から9月にかけて、夜景をより美しく演出するマルチメディア噴水ショー「ルナーショー」も広く知られています。
2020-06-16
仁川広域市 江華郡 西島面 注文島キル 256-1
+82-32-760-6474
江華島(カンファド)は、朝鮮時代末期に入り、外国勢力による度重なる侵略を受けた島。
1866年・高宗(コジョン)3年には、丙寅洋擾(ピョンインヤンヨ)が起き、フランス艦隊が鼎足山城(チョンジョクサンソン)の戦闘で破れ撤退するまでの1か月間ほど江華島に駐屯し、1871年の辛未洋擾(シンミヤンヨ)の際には、アメリカ艦隊が江華島にある草芝鎮(チョジジン)、徳津鎮(トクチンジン)や広城堡(クァンソンボ)を次々に陥落させました。
このように江華島は19世紀末、韓国が欧米各国に門戸を開く時期、その最前線にあった場所で、それゆえに西洋人宣教師の活動も活発に行われていました。
そんな宣教師の手により自ら建築したり、宣教師の影響により当時、教会・聖堂がいくつか建てられましたが、江華島には現在でも、1900年に建てられた聖公会江華聖堂、1906年に建てられた江華温水里(オンスリ)聖公会教会、そして西島(ソド)中央教会の三つの建物が残っています。
中でも西島中央教会は1923年2月に信者らが教会を建てるために献金を行い建築を開始した建物で、翌1924年7月、韓屋造りの礼拝堂が完成しました。
1978年には注文(チュムン)教会から西島教会と名称を変更し、現在では大韓基督教監理会所属の教会となっています。
西島教会の建物は優れた建築技術、高い美的価値を持つ建物ではありませんが、韓国の伝統的な木造建築物の構造様式を生かした教会を建てたという意味で大きな意義がある建物となっています。
2020-05-12
釜山広域市 東区 鄭公壇路17番キル 17
釜山鎮(プサンジン)日新(イルシン)女学校は、近代的な女性教育機関として、オーストラリア長老教宣教会女性伝道部が1895年10月5日、釜山・佐川洞(チャチョンドン)に一間しかない草葺き屋根の建物に修業年限3か年の小学課程学校を開設したのが始まりです。
その後1905年に建てられた2階建て煉瓦造りの校舎は、現在に至るまで残っており、2001年まで釜山長老会神学校の建物としても使われていました。
釜山鎮日新女学校は、現在同じ釜山広域市の金井区(クムジョング)釜谷洞(プゴクドン)にある東莱(トンネ)女子高等学校の前身でもあり、また1919年に起きた3・1独立運動の拠点となった場所でもあります。
2020-05-12
釜山広域市 中区 龍頭山キル 37-55
[館守屋]
草梁倭館(チョリャンウェグァン)の長である館守が滞在した場所・館守屋(クァンスオク=館守家[クァンスガ])。
当時、龍頭山(ヨンドゥサン)の東側の麓が最初に市街地として発達しましたが、これは船が着く船着場に近かったことが影響しています。
日本の人々は船で釜山に上陸し、館守屋を通って通商の場であり日本人居留地であった倭館へと向かい、海側に面した龍頭山東側の麓にあるここ、倭館を中心に居住し始めました。
なお、館守屋があった場所には現在でも石の階段が残っています。
[草梁倭館址]
草梁倭館は日本と朝鮮の交易において中心的な役割を果たした場所です。
龍頭山の東側の麓に造られた草梁倭館は、敷地内に神社をはじめ日本人らの便宜施設がたくさんありました。
現在は公園に入る3か所の道が交わる場所に草梁倭館址という碑石が建てられており、古の時代にここに草梁倭館があったことが分かります。古地図を手に、草梁倭館がどんな場所だったのか探してみるのもおすすめです。
2024-02-01
チュンチョンナム道チョンヤン郡チョンサン面チョンジャンホギル24
2009年に設けられた天庄湖(チョンジャンホ)吊橋は青陽(チョンヤン)郡を代表する長さ207メートルの吊橋。橋の途中に青陽の特産品であるクコの実と唐辛子をかたどった高さ16メートルの主塔があり、目を引きます。その下を過ぎると幅1.5メートルの吊橋が始まり、20メートルほど歩いていくと上下左右に橋が揺れ、ちょっとしたスリルが味わえます。吊橋は30~40センチメートルほど揺れるように設計されています。橋を渡り切ると、展望台や七甲山へ向かう登山道が続いており、山歩きが苦手な人は、黄龍亭まで天庄湖のほとりを散歩することもできます。天庄湖吊橋のある天庄湖は、七甲山の東麓末端に位置しています。青陽の名勝の一つに数えられるほどの絶景で、七甲山頂上へと続く登山道が整備されており、天庄湖と吊橋、豊かな森とこぢんまりした渓谷を満喫できるという別の魅力もあります。他に、夜間開場とともに天庄湖吊橋の新しい魅力に触れることもできます。
2024-03-05
プサン広域市トンレ区ミョンリュン洞サン48-2
東莱(トンレ)邑城址は、高麗末期と朝鮮初期にわたって築かれた城で、1592年の壬辰倭乱のとき、官・民・軍が一体となって日本軍と戦った最大の激戦地でした。1731年には東莱地域の重要性を考慮し、壬辰倭乱の時の城よりはるかに大規模な邑城が築かれましたが、今はその痕跡だけが残っています。現在、北門、人生門、東将台、西将台、北将台が復元されています。
2023-08-08
ソウル特別市ノウォン区ファランロ608
京春線森の道最終区間に位置し、ソウル最後の簡易駅だった旧花郎台駅を公園に生まれ変わらせたスポットです。実際に運行されていた汽車が展示されている他、ノウォン光の庭園、駅舎展示館、タイムミュージアム、カフェなどがあります。ノウォン光の庭園では夜にライトアップされる光トンネルなど計10コースのさまざまな光のオブジェが楽しめます。