山清 伝・仇衡王陵(산청 전 구형왕릉)

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説明

伝・仇衡王陵(チョン・クヒョンワンヌン=仇衡王陵と伝えられている王陵という意)は伽倻(カヤ)の第10代の王・ 仇衡王(クヒョンワン)の墓として後世に伝えられている積石塚で、仇衡王は仇亥(クヘ)あるいは譲王(ヤンワン)とも呼ばれています。伽倻の王・仇衡王はその後の新羅の将軍・金庾信(キム・ユシン)の曽祖父にあたる人物です。521年に伽耶国の王に即位し、532年新羅の法興王(ポプンワン)に領土を明け渡すまで11年間、王の座に在位しました。

この墓を巡り、石塔であるという説と、王陵であるという説の二つの説があります。この石積塚を塔と見る見解はこれと似たものが安東(アンドン)と義城(ウィソン)地方に分布していることを根拠にしています。
一方、王陵であるという根拠は韓国全土を網羅した地理誌「東国輿地勝覧」の山陰県山川條のところに「県の40里(注:韓国の1里は約400m)の山中に石で積まれた九龍があるが、四面にすべて段々となっておりが、世俗には王陵と伝えられている」という記録があります。

この墓に王名を付けた記録は朝鮮時代の文人・洪儀泳(ホン・ウィヨン=1750~1815年)の「王山尋陵記」(ワンサンシムヌンギ)に初めて登場しますが、墓の西側に王山寺(ワンサンサ)という寺があり、寺に伝えられている「王山寺記」に仇衡王陵という記録があったといいます。

一般の墓とは違い、傾斜のある丘の中腹にすべてで高さ7.15mの階段式の石段をなしています。前から見ると7段になった石積みで、後ろからは急な傾斜をそのまま利用して作られているため、平地に作られたピラミッド型の階段状の石積みとは異なった形となっています。墓の最上部は楕円形に石が積まれています。

 積石塚の真正面には「駕洛国譲王陵(カラックク・ヤンワンヌン)」と書かれた碑石があり、そのそばには石造物がいくつかありますが、これは近年に建てられたもので王陵の時代のものとは異なります。

朝鮮時代末期の正祖17(1793)年には、王山寺で長年伝承されてきた木箱から発見された仇衡王と王妃の肖像画、衣、弓などを収蔵するため、「徳譲殿(トギャンジョン)」という殿閣を建立、今日でも春や秋になると祭祀を執り行っています。




[詳細解説]
仇衡王陵と伝えられているこの積石塚・伝仇衡王陵は、駕洛編年記(カラクピョンニョンギ)によれば、新羅時代の法興王19(532)年、仇衡王が方丈山(パンジャンサン)の太王宮(テワングン)で亡くなり譲王(ヤンワン)という諡号(贈名)を追号しそこに埋葬されたということから、駕洛国第10代譲王の陵と言われています。譲王は新羅の王との戦いに敗れ、戦死したとも伝えられています。

この墓は一般の墳墓とは異なり、石積みの階段状になった方形をしており、西から東へと下る斜面に雑石で築造しています。
正面は7段となっていますが、後面は斜面に作られていることもあり前面に比べ傾斜があり段数も少なくなっています。石礫は正面からみても直線に積まれてはおらず、やや曲がった形で積まれ、また四隅も明確な形で作られておらず、最も上の部分は土を盛り上げて作る封墳のように楕円の半球型の形に石が積まれています。
前面中央から一番高いところまでの高さは7.15mほどあり、何の目的で作られたかは定かではありませんが第4段の東側に幅40cm、高さ40cm、深さ68cmの小さな仏像や位牌などを安置する龕室(カムシル)が設けられています。

この石積塚の周りには同じような雑石で高さ1mほどの塀が築かれており、また石積塚の真正面には「駕洛国譲王陵」と刻まれた石碑が建っています。さらに、その石碑の前には供え物などを置く平たい床石や石灯篭の一種・長明灯(チャンミョンドゥン)もあります。
その左右には文人石・武人石・石獣がそれぞれ一対ずつありますが、これら石造物は最近建てられたものであり石積塚とは年代的に大きな差がある石造物です。

この石積塚をめぐっては従来石塔という説と王陵という二つの説が提起されてきました。まず、これを石塔とする説はこのような形態の石塔が安東や義城地方に分布していることを根拠に挙げています。
一方、王陵とする説は「東国輿地勝覧」の山陰県山川條に「王山(ワンサン)」についての記述があり、その 脚注に「県の40里の山中に石で積んだ九龍があるが、四方すべての面が段々となっており、世間には王陵と伝えられている」という記録があります。
この墓を仇衡王陵という名称で初めて言及したのは洪儀泳(ホン・ウィヨン=1750~1815年)の ≪王山尋陵記(ワンサンシムヌンギ)≫でのことですが、近くにある王山寺(ワンサンサ)に伝えられている≪山寺記巻(シンサギグォン)≫に仇衡王陵と書かれていたといいます。
他の史料≪山清県遺誌≫によれば、正祖22(1798年)初めて王陵について言及したと記録している書物は、洪儀泳の ≪王山尋陵記≫で、これを根拠に王陵と判断したと思われます。伝えられるところでは、およそ200年前に村の人々が山に登り、祈雨祭(雨乞い)を行ったところ雨が降り、下山した王山寺で雨宿りをしていると、本堂の梁の上に正体不明の大きな木箱を見つけ、これを梁から下ろして中を見てみると、その中から仇衡王やその王妃の肖像画や服、弓、刀などの遺物とともに名僧・担渶(タンヨン)が記した王山寺記を発見、これを手掛かりに王陵を探し出すことができたといいます。
この時発見されたこれら遺物を所蔵するために朝鮮時代後期の正祖17(1793)年に徳譲殿を建て、それ以降毎年春と秋に追慕祭を執り行っています。


お問い合わせ

山清郡 +82-55-970-6411


ホームページ

山清文化観光 http://www.sancheong.go.kr/tour/index.do (韓国語)
文化財庁 http://www.cha.go.kr(日本語あり)


ご利用案内

お問い合わせおよびご案内 : +82-55-970-6441

駐車場施設 : あり

休みの日 : 年中無休


詳細情報

Night-time Hike Restriction Notice
登山客の安全確保及び山火事防止のため夜間の立入制限あり

Tour Course Information
仇衡王陵 - 東医宝鑑村(韓方博物館、韓方テーマ公園、国璽文化院、山薬草タウン)- 生草国際彫刻公園 - 生草古墳群 - 鏡湖江ラフティング

Restrooms
あり

Admission Fees
無料

位置

慶尚南道 山清郡 今西面 仇衡王陵路

昭陽湖マッククス屋通り(소양호 막국수거리)

昭陽湖マッククス屋通り(소양호 막국수거리)

2025-11-03

カンウォン特別自治道チュンチョン市シンブク邑チョンジョン里

そば殻(外皮)を除いた粗挽きそば粉で作った麺を使った料理、マッククス(混ぜそば)。昔、春川(チュンチョン)地方で特別なお客さんが訪ねてくるともてなしたそばは、韓国戦争直後には生活苦解消のために各所でこれを作って商売し大衆化しました。江原道(カンウォンド)春川の昭陽湖(ソヤンホ)付近はマッククス屋通りとして知られています。地元民もわざわざ訪れるグルメ店が集まっており、週末はもちろん平日もお客さんで賑わいます。マッククスはキムチや水キムチの汁と混ぜたり、野菜や薬味ダレと和えて酢、からし、出汁を加えて食べても美味。江原道のもうひとつの郷土料理であるそば粉チヂミやそば粉の薄皮巻きと一緒に味わうのもよいでしょう。

パムリダンギル(밤리단길)

パムリダンギル(밤리단길)

2025-11-03

キョンギ道コヤン市イルサンドン区チョンバルサン洞

一山(イルサン)のアンティーク家具通りの路地裏にはさまざまな飲食店やカフェがあり「パムリダンギル」と呼ばれています。京義中央線「プンサン(楓山)駅」1番出口から徒歩約17分にあるパムガシ村付近に位置し、キョンニダンギル、マンニダンギル、カロスキルのように道沿いに飲食店やショップ、カフェなどが並ぶスポットです。他に美しい池や歌う噴水もあり、夜景も素敵です。

幸州山城グルメ村(행주산성먹거리촌)

幸州山城グルメ村(행주산성먹거리촌)

2025-11-03

キョンギ道コヤン市トギャン区ヘンジュロ15ボンギル89

1970年代、ウナギ焼きとメウンタン(魚の辛味スープ)がここでのメインメニューでしたが、今では数十ヶ所の飲食店でさまざまな料理を味わうことができます。なかでもウナギ焼きが全国的に知られており、幸州山城を訪れた多くの観光客は幸州山城グルメ村を利用しています。安くてボリュームたっぷりのにゅうめんも有名な他、ねぎのチヂミ、どんぐりこんにゃくの和え物なども楽しめます。

幸州外洞ウナギ村(행주외동 장어마을)

幸州外洞ウナギ村(행주외동 장어마을)

2025-11-03

キョンギ道トギャン区ヘンジュサンソンロ144ボンギル31-16

幸州外洞(ヘンジュウェドン)ウナギ村は1592年の壬辰倭乱で、クォン・ユル将軍が3万人の倭軍を退けた地として知られる幸州山城に上がる道に位置しています。ウナギ焼き、海鮮鍋、メウンタン(魚の辛味スープ)などの郷土料理が味わえ、ここの名物であるウナギ料理を味わうためにたくさんの人が訪れます。団体席が完備されており、家族の集まりや団体での会食にも最適です。

深谷書院(심곡서원)

深谷書院(심곡서원)

2025-11-03

キョンギ道ヨンイン市スジ区シムゴクロ16-9

朝鮮中宗の時代、士林派の領袖であった静庵・趙光祖を主享とする深谷(シムゴク)書院は、講堂が前面に位置し祠宇が後方に配置された朝鮮時代の書院の典型的な前学後廟形式を備えています。1871年の興宣大院君による書院撤廃令の際に、趙光祖を祀った書院のうち唯一存続を許されたところです。新盆唐線「サンヒョン(上峴)駅」から徒歩約23分、近くには文貞公趙光祖墓および神道碑があります。

延烏郎細烏女テーマ公園貴妃庫(연오랑세오녀테마공원 귀비고)

延烏郎細烏女テーマ公園貴妃庫(연오랑세오녀테마공원 귀비고)

2025-11-03

キョンサンブク道ポハン市ナム区トンへ面ホミロ3012

『三国遺事』に収録された「延烏郎細烏女(ヨンオランセオニョ)」の物語は、韓国唯一の日月神話であり、浦項(ポハン)を代表する説話として古代太陽神話の原型として挙げられます。新羅第8代阿達羅王4年、東海の海辺に住んでいた延烏(ヨンオ)と細烏(セオ)夫婦が日本に行ったことで新羅の太陽と月が光を失い、細烏が織った絹を日本から持ち帰り祭祀を行うと再び光を取り戻すという話です。延烏郎細烏女テーマ公園展示館の貴妃庫は、浦項に特化したストーリーテリング文化空間を目指し、場所の歴史性と美学的特性を反映した特別企画展、文化芸術体験プログラム、地域特化プログラムなどを運営しています。展示室や映像館、教育・体験プログラムのためのラウンジスペースなどが設けられており、アニメーション、VR体験、メディア体験などさまざまな技法で延烏郎細烏女に接することのできる観覧客中心の展示館です。

ヨンサン温泉パーク(연산온천파크)

ヨンサン温泉パーク(연산온천파크)

2025-11-03

キョンサンブク道ポハン市プク区ソンナ面ポギョンロ516

ヨンサン温泉は東海岸の古刹である宝鏡寺がある浦項市北区松羅面に位置しています。周辺の観光資源と連携して年中楽しめる温泉リゾートとして、ホテル、グランピング、キャラバンといった宿泊施設や温泉、屋外プール、食堂などを備えています。温泉水はリチウム成分に富み、ナトリウム、カルシウム、マグネシウム、カリウム、塩素など体に有益な成分が多く含まれた天然岩盤温泉で、皮膚角化症、慢性湿疹などの皮膚病、高血圧症、糖尿病、動脈硬化、水虫などに効能があります。

雲梯山山林浴場(운제산산림욕장)

雲梯山山林浴場(운제산산림욕장)

2025-10-31

キョンサンブク道ポハン市ナム区テソン面ウンジェロ386ボンギル102

雲梯山(ウンジェサン)山林浴場は歴史と神話が息づく雲梯山の麓にあります。汚染物質を遮断し、自然型親水空間として設けられた環境にやさしい市民生活空間です。ここには山林浴場、森教室、湿地観察園、生態観察園、子どもの遊び場、休憩施設などが備わっており、木工芸体験場での週末木工芸体験なども可能で家族連れでのお出かけにも最適です。

虎尾岬温泉ランド(호미곶온천랜드)

2025-10-31

キョンサンブク道ポハン市ナム区クリョンポ邑トンヘアンロ4923

虎尾岬(ホミゴッ)温泉ランドは、地下岩盤475mから湧き出た温泉を100%利用した温泉施設です。サウナ、家族風呂、露天風呂、海水の湯がありチムジルバンやジム、姿勢矯正と経絡、スポーツマッサージが受けられるマッサージ室も備えています。暑い夏には温泉を利用した屋外水遊び場をオープンし、ほとんどのプールで使用される塩素消毒に対する心配がなく肌の弱い子どもも安全に水遊びが楽しめます。またエアー遊具ウォータースライダーと2つのプール、幼児用温水プールがあります。

ハヌルマウム韓医院瑞草江南店(하늘마음한의원 서초강남점)

2025-10-23

ソウル特別市ソチョ区パンポデロ96 ソクチョンビル2階

ハヌルマウム韓医院は35年間にわたって乾癬、アトピー性皮膚炎、脂漏性皮膚炎など、様々な皮膚疾患に特化した診療を行っており、患者一人一人の体質と症状を考慮したパーソナライズ治療を目指しています。
治療法としては体内の免疫力を高める韓方薬や気血の巡りを助ける鍼、皮膚炎を緩和する外用薬があります。ハヌルマウム韓医院は皮膚疾患の根本的な原因を把握し、体内と体外を同時に治療する統合的アプローチを強調しています。また患者の生活習慣改善を促す教育やカウンセリングも行っています。