京畿陶磁博物館(경기도자박물관) - エリア情報 - 韓国旅行情報

京畿陶磁博物館(경기도자박물관)

京畿陶磁博物館(경기도자박물관)

13.2 Km    10635     2020-06-30

京畿道 広州市 昆池岩邑 京忠大路727
+82-31-799-1500

「京畿陶磁博物館」は、朝鮮時代の白磁の研究および官窯(官庁で使用する陶磁器を焼いた窯)関連の遺跡保存を目的に建てられました。広州にはおよそ400年の間王室の陶磁器を焼く窯が置かれていました。博物館は大展示室(2室)と企画展示室、多目的ルームからなり、彫刻公園や陶磁器ショッピングモールなどの付帯施設も整っています。隔年で開かれる陶磁器エキスポ期間中には関連イベントも催されます。周囲には朝鮮白磁陶窯跡、南漢山城、八堂湖などの観光名所があります。

龍門山自然休養林(용문산자연휴양림)

龍門山自然休養林(용문산자연휴양림)

13.2 Km    47484     2020-12-01

京畿道 楊平郡 楊平邑 ヤクスサキル 78-14

龍門山自然休養林は、楊平郡庁が直接運営管理する休養林であり、山林休養館、森の中の家、キャンプ場、多目的運動場、遊歩道、登山路などの多様な山林休養設備が完備されています。休養林からは楊平邑全体が一望できます。日常の喧騒を忘れ、溜まったストレスが一気に解消するような、憩いのひと時が味わえる自然豊かなところです。
休養林内にある白雲峰登山路は、近隣地域の登山路のうちでも指折りの登山路として脚光を浴びており、頂上までは940メートル、アルプスのマッターホルンに似ているとされ、韓国のマッターホルンと呼ばれています。登山路内には体力鍛練場や森林浴施設、野生花、ツツジ団地など、豊かに茂った山林と調和の取れた山林休養設備が完備されており、住民だけでなく外部からも多くの登山客が訪れます。
西側の玉泉面舎那寺方向から登るコースや東側の龍門面延寿里から登るコースなど、いろいろなコースがある他、登る道も比較的緩やかで登りやすいため、一般登山客や子供にも人気があります。郡が登山路の整備を徹底しているため、安全に登山できるところも人気の理由の一つです。また、四季にわたって多様な植物を見ることができる、植物園に次ぐ自然生態観察の宝庫と呼ばれる楊平の名所でもあります。

[事後免税店] ハイマート・キョンギグァンジュ(京畿広州)店(하이마트 경기광주점)

[事後免税店] ハイマート・キョンギグァンジュ(京畿広州)店(하이마트 경기광주점)

13.4 Km    0     2024-06-27

キョンギ道クァンジュ市イベジェロ12

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楊平ハンファリゾートソリゲレンデ(양평한화리조트 눈썰매장)

楊平ハンファリゾートソリゲレンデ(양평한화리조트 눈썰매장)

13.5 Km    3224     2019-06-17

京畿道 楊平郡 玉泉面 シンチョンキル188
+82-31-772-3811

「楊平(ヤンピョン)ハンファリゾートソリゲレンデ」は、総面積約5,000坪に長さ180メートル・幅80メートルのメインスロープをはじめとし、幼児用スロープがあります。

ハンファリゾート楊平(한화리조트 양평)

13.5 Km    2580     2020-09-17

京畿道 揚平郡 玉泉面 シンチョンキル188
+82-31-772-3811

「ハンファリゾート楊平(ヤンピョン)」は、山に囲まれた白い建物が印象的なところです。仲美山や有明山からの新鮮な空気は日ごろの疲れを癒し、活力を与えてくれます。

舍那寺渓谷(사나사계곡)

舍那寺渓谷(사나사계곡)

13.6 Km    62524     2024-02-23

キョンギ道ヤンピョン郡オクチョン面ヨンチョン里

舍那寺渓谷(サナサゲゴク)は、龍門山(ヨンムンサン)に位置しています。幅が広く水が清らかで水量も豊富です。鬱蒼とした龍門山の山並みが絶景を成し、夏場になるとバカンス客で賑わいます。渓谷の入り口から100メートルを上ると高麗時代(918~1392)に強力な軍事力を保有していた咸王の伝説が伝わる咸王穴が、さらに上るとお寺の舍那寺(サナサ)が出てきます。

オフダソッシ[韓国観光品質認証](양평 오후다섯시[한국관광 품질인증]/Korea Quality)

オフダソッシ[韓国観光品質認証](양평 오후다섯시[한국관광 품질인증]/Korea Quality)

13.7 Km    0     2023-09-20

キョンギド ヤンピョングン プルゴクプチョウルギル 51
+82-507-1372-4624

「オフダソッシ」は、閑静な楊平の田舎町に位置する清潔な韓屋ステイで、午後5時に薄暗くなる日が最も美しい空間であります。内部の断熱に気を配って一年中暖かいです。庭のデッキにはテーブルと火鉢があり、日が暮れた後にはバーベキューができます。近くに南漢江の全景が見られる梨浦洑展望台、一時間コースの登山路がある婆娑城、野花とコスモスが豊かなダンナンリ島があり、清涼な自然を楽しめます。 

GAEUL TERRACE(개울테라스)

14.2 Km    0     2024-02-16

キョンギ道クァンジュ市ナムハンサンソン面ナムハンサンソンロ212-5 GAEUL TERRACE

GAEUL TERRACEは、谷沿いにある居心地の良い森のカフェです。店内は全面ガラス張りになっていて、四季折々の自然の移り変わりをいつでも眺めることができ、カフェから続く道を下ると、すぐ渓流にたどり着きます。芳醇な香りのエスプレッソ、甘いいちごラテなどの飲み物やバターの風味豊かな、柔らかく香ばしいクロッフルが人気メニューです。屋外の席では、川のせせらぎを楽しむことができます。

利川山茱萸村(이천 산수유마을)

利川山茱萸村(이천 산수유마을)

14.6 Km    48715     2023-02-09

キョンギ道イチョン市ペクサ面ウォンジョクロ775ボンギル17

「利川山茱萸村(イチョンサンスユマウル)」には、道立里から京沙里にかけて大規模な山茱萸の群落地が広がっており、春になると黄色い花を咲かせ、秋になると赤色の実を付けて村を鮮やかに彩ります。山茱萸は毎年3月末ごろから花が咲き始め、4月10日前後に満開となるため、利川市ではこれに合わせて山茱萸祭りを開催しています。祭り期間を前後して写真家や画家がここを大勢訪れ、美しい景色をカメラやスケッチブックに収めていきます。また、村には散策路が設けられており、美しい風景を見ながら散歩を楽しむことができます。

水鐘寺(수종사)

水鐘寺(수종사)

14.7 Km    42820     2023-06-19

キョンギ道ナミャンジュ市チョアン面プクハンガンロ433ボンギル186
+82-31-576-8411

雲吉山の素晴らしい風景を感じされるところ、水鐘寺
水鐘寺(スジョンサ)は京畿道(キョンギド)南楊州市(ナミャンジュシ)鳥安面(チョアンミョン)松村里(ソンチョルリ)の雲吉山(ウンギルサン)山頂近くにある奉先寺(ポンソンサ)の末寺です。
広州山脈(クァンジュサンメク)が南西に走り、縁起のよい気運が漂う雲吉山は雄壮さはないものの奥深さがある名山です。
特に水鐘寺から眺める風景は素晴らしく、さまざまな山の頂が聳え、漢江(ハンガン)本流へと流れていくすこし手前の北漢江(プッカンガン)の水の流れがまた素晴らしい風景となっているところです。
水鐘寺の創建の年代は定かではありませんが、19世紀末に各地方の寺院の沿革などをまとめ記録した書・梵宇攷 (ポンウゴ)によると、世祖がこの寺を行幸した際、地面を掘り泉を探しあて、そして鐘も発見したということから水鐘寺という名称になったという言い伝えがあります(後述の通り、寺の命名には諸説あります)。
また、1939年、寺にある石造浮屠を重修する際、1439(世宗21)年に建立された浮屠と確認されたことから、水鐘寺は朝鮮時代初期に創建されたものと推定されています。

水鐘寺は長い歳月を経て重創を繰り返しましたが、時の経過とともに本堂に当たる大雄殿や僧侶が住む寮舎(ヨサ)チェが朽ち果て、仏像もまた惨憺なものとなってしまいました。
1890(高宗27)年になり、楓溪慧一(プンゲヘイル)和尚が朝鮮王朝第26代の王・高宗(コジョン)より内幣金8000両を賜り3月27日より重創を開始、6月28日に修復を終えました。
翌年3月にはさらに4000両を下賜され、仏像4尊と幀画3軸を新たに奉安し、大法殿・羅漢殿・御香閣、そして山王閣に韓国伝統の木造建築にさまざまな彩色・模様をつける丹青(タンチョン)を施しました。
1939年には住持(住職)であった日照泰旭が大雄殿・禅楼を、1940年には霊山殿・独聖閣・山神閣・御影閣などを重建しましたが、韓国戦争(1950~53年・休戦)の時にすべて焼失してしまいました。
1975年には僧侶・慧光によって大雄宝殿を復元し、寺の規模を拡大、1999年住持の東山が選仏場や三鼎軒を重創し、今日に至っています。
1972年には八角五層石塔(第22号)が、1995年には浮屠(第157号)がそれぞれ京畿道有形文化財に指定され保存されています。


水鐘寺の伝説
水鐘寺にはこんな伝説がいまに伝えられています。
朝鮮時代の王・世祖が金剛山を遊覧し帰る道すがら、龍船に乗って両水湾(現在の漢江にある両水里(ヤンスリ))で一晩を過ごしていると、真夜中に忽然とどこからか、かすかな鐘の音が聞こえてきました。
次の日、人を遣わしその音がどこから聞こえてきたのか探って見ると、そこには岩窟があり、中には十八羅漢像がありました。
鐘の音は岩窟に水滴が落ちて響く音で、清らかで澄んだ音だったといいます。
世祖は何かふしぎな因縁を感じ、その場所に土台を築き、建築を匠らを呼び寺を創建しました。そして田畑を下賜し僧侶を住まわせ、この寺を水鐘寺と命名したといいます。


朝鮮時代初期の石塔の貴重な資料、水鐘寺五層石塔
1459(世祖5)年に建立された朝鮮時代初期の代表的な石塔です。
五層石塔ですが、あまり高くなく優雅でこじんまりとしていながらも華麗な塔身の姿が全体的に気品がある石塔です。
石塔の八角址台石の各面には眼象(象の目)が写実的に刻まれており、基壇部の各面には単辦、覆仰蓮、そして眼象が華麗な姿で彫刻されています。
五層石塔の塔身は上層へ行くにつれ少しずつ小さくなっていき、塔身の先端を保護する屋蓋石の落水面が著しく垂れ下がっており、殿閣と対称をなしています。
屋蓋石の下の面は平らになっており、水平となっていることで石塔の中心の柱となっている屋身がこれを支えています。屋蓋石の支えは3段に分かれており、屋蓋石の角のそれぞれ端には鐃鈴(ヨリョン)がぶら下がっていました。これは朝鮮時代初期、京畿道一帯で流行した形式の石塔として貴重な研究資料となっています。

水鐘寺は雲吉山の中でも最も眺めがよい場所にあり、寺からは両水大橋(ヤンステギョ)をはじめ両水里や北漢江一帯がよく見えます。
水鐘寺をめぐる逸話にはこのような話があります。
朝鮮時代の王・世祖が金剛山を訪ね、その帰途、船で戻る道中で二水頭(イスドゥ=現在の両水里)で泊まることになりました。夜景を楽しんでいると、突然鐘の音が聞こえました。不思議に思った世祖は、次の日、村人を呼び、鐘の音はどこから聞こえるのかと尋ねると村人は「近所に鐘はなく、鐘の音が鳴るところといえば雲吉山の中の古い寺の跡が一箇所あるだけ」と答えました。
世祖はすぐに調べるよう命を発し、探してみると寺跡の岩窟の中に十八羅漢像が列座し、岩の隙間から水滴が垂れ、鐘の音のような音がしていることを突き止めました。これに感動した世祖は寺を建立し、その寺に水鐘寺と名付けたといいます。
また、その発見した羅漢像を奉安するために山の中腹に建立した塔が水鐘寺五層石塔と伝えられています。

しかし、その後およそ400年の間に水鐘寺は次第に衰退し、創建当時の面影はなくなってしまいます。
ようやく朝鮮時代末期になり復興の気運が高まり、1890(高宗27)年、王より楓溪慧一和尚に対して重建するよう命が下り、下賜金8000両が与えられ、翌年さらに4000両がさらに下賜され、同時に金帛紅絲を仏前に供えることとなりました。
1962年に現在の場所に移転した際、各塔身から仏像、菩薩像など18点の遺物が発見され、現在、国立中央博物館に所蔵されています。