17.0Km 2024-04-29
キョンサンブク道キョンサン市ハヤン邑ハヤンロ58(クムナク里) 1階103号
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17.1Km 2022-09-14
テグ広域市タルソン郡カチャン面ウロクギル206
「達城韓日友好館」は金忠善将軍(日本名:沙也可/1571~1642)の博愛思想を称え、韓日両国の友好増進のために造られたもので、2012年5月3日にオープンしました。金忠善は壬辰倭乱(文禄・慶長の役)に参戦しましたが、朝鮮の文化に感動して自分の部下とともに朝鮮に帰化し、火縄銃の製作技術を伝えたり、慶州、蔚山の戦闘で大きな功を立てたりしました。
現在、達城韓日友好館には金忠善将軍の精神を称えて大勢の日本人が訪れています。展示館、3D映像館、茶道室、遺物展示、韓日両国伝統ノリ(遊び)、和歌山県資料室、伝統弓体験場など、様々な施設が無料で利用できます。
17.1Km 2021-02-25
大邱広域市 達城郡 嘉昌面 友鹿キル 218
+82-53-668-3162
鹿洞書院(ノクトンソウォン)は1789年、地元の儒林(儒学者)の手により儒教的文物や礼儀を重視した金忠善(キム・チュンソン=日本名・沙也可)の志を称え建立されました。
その後の1868年、興宣大院君の書院撤廃令により撤去されましたが、1885年再建され、1971年には現在の場所に移築されました。
敷地内には祠堂である鹿洞祠(ノクトンサ)や向陽門(ヒャンヤンムン)、遺跡碑、神道碑などがあり、毎年3月に祭祀を執り行っています。
金忠善は壬辰倭乱(日本でいう「文禄・慶長の役」)の時、加藤清正配下の先鋒将として参戦、後に朝鮮へ帰順しました。鳥銃製作の技術を伝えるとともに慶州、蔚山の戦闘で功を立て、朝廷から金忠善という姓名を下賜されました。
その後、李适(イ・グァル)の乱や丙子胡乱の際にも大きな役割を果たし、晩年には田舎に住み、地元の人々の教育に力を注ぎました。
17.1Km 2019-03-20
慶尚北道 慶山市 南山面 上大路 883-30
三聖賢歴史文化公園は慶山が排出した三聖賢(元曉、薛聰、イルヨン)の業績と思想を共有して慶山の人々の自負心のこもった歴史、文化、教育が調和した文化観光空間であると同時に公園として快適な休息空間を提供するために造られました。三聖賢歴史文化館は三聖賢に関するコンテンツの開発を通して、訪問客たちの体験と学習が可能な展示空間として韓国を代表する先覚者3人をテーマにした展示館です。「三聖賢のすべて」を見ることができる唯一の空間です。
17.1Km 2020-05-22
慶尚北道 軍威郡 缶渓面 ハンティ路1672
+82-54-382-8050
チュホン山荘は15年伝統の鴨肉料理店です。八公山のハンティ峠を越えた景色の素晴らしい場所にあり、ここで食べる鴨肉の味は逸品です。
17.1Km 2024-02-15
テグ広域市タルソン郡オクポ邑ヨンヨンサギル260
龍淵寺(ヨンヨンサ)は、お寺の入り口にある池から龍が昇ったという言い伝えから龍淵寺と名付けられました。仏舍利を保管している場所として広く知られており、金剛戒壇(クムガンゲダン)は仏舍利を祀って儀式が行われる場所であり、仏陀が常に存在するという象徴性を持っています。龍淵寺に行く道は森が茂っており、森林浴が楽しめると同時に、琵瑟山(ピスルサン)の登山コースでもあります。
17.4Km 2024-02-08
キョンサンブク道チョンド郡カップク面ソンネギル166
聖母(ソンモ)ソルスプ村は、カトリック大邱大司教区所属の黙想(リトリート)の家です。患者や黙想をしたい人のための施設ですが、すべての人に開かれています。聖堂では毎日11時にミサが行われます。信者でなくても、聖堂の内部を見学したり、松林の道を散歩しながらしばらく休むことができます。村はソルスプ(松林)聖堂、十字架の道、食堂、カフェ、そしてカフェの中にあるイェダムギャラリーで構成されています。
18.4Km 2024-02-23
キョンサンブク道キョンサン市ハヤン邑ヨンチョンジェバンギル33
河陽(ハヤン)生活体育公園は、体育施設の拡充と住民に憩いの場を提供するために造成された生活体育施設です。主な施設はサッカー場、フットサルコート、足球場、ゲートボール場で、休憩スペースとして芝生広場があります。この他にもポップジェット噴水、東屋、散策路、様々なフォトスポットがあります。夏には水遊び場をオープンします。周辺観光スポットとしては八公山(パルゴンサン)、大邱(テグ)スタジアムがあります。
19.2Km 2024-09-25
慶尚北道 永川市 清通面 清通路951
慶尚北道永川市八公山に位置している「銀海寺(ウンヘサ)」は、大韓仏教曹渓宗第10教区本寺で桐華寺と共に八公山を代表する寺院です。
新羅憲徳王1年(809年)に恵哲国師が、海眼坪に創建し、最初は海眼寺と呼ばれていました。その後、高麗と朝鮮時代を経て数回にわたって再建しながら、1546年(明宗1年)に今の場所に移し新築されました。この時、法堂と碑石を建てて朝鮮仁宗の胎室を封じて銀海寺と改称されました。
現在境内には、大雄殿と宝華楼、説禅堂、尋劔堂などと百興庵、中巌庵をはじめ8つの付属庵子(庵子:大きなお寺に付いた小さな寺)、韓国仏教の専門教育機関である銀海寺僧家大学院があります。主な文化財としては、国宝居祖庵霊山殿と宝物百興庵極楽殿と院中にある宝物須彌壇、宝物雲浮庵金銅菩薩坐像、宝物銀海寺掛仏幀などが所蔵されています。
また銀海寺と隣近地域の文化財を展示している城堡博物館があり、これ以外にも中央岩の極楽窟(華厳窟)、コンドゥル岩、万年松と寄寄庵の将軍水及び安興瀑布などがあり、名勝地としても有名です。