18.4 Km 12073 2021-02-16
慶尚南道 昌原市 鎮海区 中原東路 52
鎮海(チネ)は韓国を代表する軍港都市で、壬辰倭乱(日本で言う「文禄・慶長の役」)の救国の英雄・李舜臣(イ・スンシン)将軍とゆかりが深い文化遺跡が多い街です。
1952年4月13日、北原(プゴォン)ロータリーに李舜臣将軍の銅像を除幕したことがきっかけで始まった追慕行事が鎮海軍港祭へとつながり、現在では知らない人はいないほど有名なお祭りとなりました。この時期には鎮海市内全域が桜の花で満開となり、桜祭りも開催されます。
帝皇山(チェファンサン)公園は、その鎮海市の中心に聳える帝皇山にある市民公園です。
公園内の365段の階段を上り頂上にたどり着くと目の前には、鎮海市内の街並みや鎮海の海原を一望できる海軍軍艦の象徴・9階建ての鎮海塔がそびえ立っているのが見えます。
塔の1階と2階には鎮海で発掘された様々な遺物や民俗模型が展示されている鎮海市立博物館があるほか、東側には動物園があり、子どもたちの自然学習の場となっています。
18.6 Km 12271 2022-12-26
キョンサンナム道キムヘ市カヤロ157ボンギル31-16
亀旨峰(クジボン)は慶尚南道金海市亀山洞にある小さな峰で、1983年8月6日に慶尚南道記念物に指定され、2001年3月7日に史跡に変更されました。伽倻の始祖である首露王が降りてきたと伝えられているところです。以前はカメの頭の形をしていることから亀首峰といわれていましたが、現在は亀旨峰と呼ばれています。
18.8 Km 0 2024-01-26
キョンサンナム道キムヘ市クジロ20
大韓民国製菓名匠のキム・ドッキュ氏が営むPATISSIER KIM DEOK KYU(キム・ドッキュベーカリー)。ここのパンを買うために他地域から金海を訪れる人もいるほど人気で、開店時間から賑わっています。豊富な種類のパンの中でも、長い食パンを切って間に甘い練乳入りのガーリッククリームと柔らかい生クリームを挟んだガーリッククリームパンが店を代表する商品です。サクッとしたビスケットと甘くて柔らかいココナッツクリームが調和したココナッツミルクバンズもベストセラーとなっています。
18.8 Km 15918 2021-12-22
慶尚南道 昌原市 鎮海区 天子路101
エネルギーテーマパークのエネルギー環境科学公園内に位置するエネルギー展示館は、周辺の海の景観と調和するように帆船型に作られました。エネルギー展示館は、代替エネルギーの原理と使い道に関する展示室と、体験空間から構成されており、太陽光発電所としても利用されています。風力と太陽光の原理と、環境にやさしい再生エネルギーの活用などについてが分かりやすく展示されており、未来エネルギーを活用した体験空間も用意されています。
18.9 Km 14783 2022-12-29
慶尚南道 金海市 金海大路2060
「金海(キメ)文化の殿堂」は、質の高い公演を楽しむことができる芸術劇場です。マルホールは収納式のオーケストラシェル(音響反射板)を備えた多目的劇場であり、音響施設が整っているのはもちろんのこと、二重回転舞台の可変システムで多様なジャンルの演出が可能です。また、多様なテーマを持つ実験的劇場であるヌリホールは現代的な四角形のブラックボックス形で、収納式客席と可変音響壁、天井の音響反射板によって演劇、リサイタルなど多様なジャンルの演出が可能な劇場です。加えて、野外劇場でありながらも多様なジャンルの舞台公演が可能なエドルムマダンの他にユンスル美術館、映像メディアセンター、市民スポーツセンターなどの施設やカフェ、レストランもあります。
オープン日
2005年11月25日
19.1 Km 0 2024-06-27
キョンサンナム道キムヘ市キムヘデロ2078 ホームプラスキムヘ店2階
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19.3 Km 12465 2024-01-26
キョンサンナム道キムヘ市カヤエギル190
1998年7月に開館した「国立金海(キムヘ)博物館」は、古代国家のひとつ「伽倻(カヤ)」の文化遺産を集大成した博物館です。伽倻の建国説話が生まれた金浦市亀旨峰の麓に位置する国立金海博物館は伽倻の文化財を集めて展示するとともに釜山と慶南地域の先史時代の文化と伽倻の成長の基盤になった弁韓(ピョナン:韓半島の中部以南に分布した三韓の一つ)の文化遺産を展示しています。伽倻の歴史は、他の古代国家に比べると歴史の記録があまり残っていません。そのため、伽倻の実体を知るには、ほとんどが発掘作業などの考古学的方法により見つかった、古代人が残した遺跡や遺物から復元しなければなりません。このような点で、国立金海博物館は考古学を中心とする専門博物館としての特性を持っています。
19.6 Km 18582 2023-10-13
キョンサンナム道ハマン郡サニン面モゴク2ギル53
高麗後期、成均館の進士・李午(イ・オ)先生は高麗が滅び、朝鮮王朝になると高麗に対する忠節を守ることを決心してここに居所を定め、その後は代々その子孫たちが暮らしてきた「高麗洞(コリョドン)遺跡址」。李午はここに塀を築き、高麗遺民の居住地を意味する「高麗洞壑」という碑石を建て、田畑を耕して自給自足しました。李午は死ぬまで官職に就かず、また息子にも新王朝の官職に就かないこと、自分が死んだ後も自分の位牌を他のところに移さないように遺言を残したといいます。子孫たちは19代約600年の間、先祖の遺産を大切に守りながらここで暮らし、官職よりは子どもの訓育に専念し、学徳と節義で有名な人物を多く輩出し、高麗洞という名前で今日まで続いています。
見どころ
高麗洞壑碑、高麗洞塀、高麗宗宅、高麗田畑、紫薇壇、高麗田畑99,000平方メートル、紫薇亭、栗澗亭、鰒亭など
文化財情報
指定種目:慶尚南道記念物
指定年度:1983年8月2日
所長:イ・ホンソプ
時代:朝鮮
種類:遺跡址
大きさ:面積8,842平方メートル