チョンゴン韓屋(청공한옥) - エリア情報 - 韓国旅行情報

チョンゴン韓屋(청공한옥)

チョンゴン韓屋(청공한옥)

17.5Km    2024-12-19

キョンサンブクト キョンジュシ プルグクロ 15-6
+82-10-9009-6022

「チョンゴン韓屋」は、慶州の仏国寺駅(東海線)から徒歩10分の距離にある韓屋ステイであります。黄土レンガと天然資材を使用し、健康で静かな休息の憩いの場になってくれます。庭には松を始め、多様な造園樹と園芸植物、奇岩怪石が調和していて、韓屋の前の畑には、美しい花々が位置しています。客室ごとにトイレ及びバスルームがあって利便性を高めました。 

チョンジェ韓屋(청재한옥)

チョンジェ韓屋(청재한옥)

17.6Km    2025-03-12

キョンサンブク道キョンジュ市プルグクロ163

慶州に位置するチョンジェ韓屋は松の木が佇む静かな雰囲気の韓屋の宿。事前申し込みで朝食も提供しており、駐車スペースも十分で慶州を旅行する際の宿泊施設として最適です。

方魚津港(방어진항)

方魚津港(방어진항)

17.6Km    2025-01-20

ウルサン広域市トン区ソンクンギル2

1971年に国指定の漁港となった方魚津(パンオジン)港は、広い敷地の水協委販場と競売場がある、蔚山を代表する漁港です。ブリをはじめとし、タチウオ、サワラ、カタクチイワシなど、多種多様な魚がとれ、近くの水産市場と刺身センターでは新鮮な海鮮を購入してその場で味わうことができます。防波堤沿いの散策路は写真を撮るのに最適な瑟島(スルド)灯台まで続いており、方魚津港や大王岩(テワンアム)公園、蔚埼(ウルギ)灯台、日山(イルサン)海水浴場へと続く海の道もロマンチックな景色が楽しめます。観光資源活性化のために北防波堤の壁画や地面のデザイン、駐車場などが整えられ、村の博物館である方魚津博物館もオープンしました。蔚山市民には憩いの場となっており、見どころ満載のスポットです。

慶州 感恩寺址(경주 감은사지)

17.7Km    2025-05-27

キョンサンブク道キョンジュ市ヤンブク面ヨンダン里17

「感恩寺址(カムンサジ)」は、三国統一(7世紀後半に新羅が百済と高句麗を滅亡させ統一国家を築いた出来事)を達成した新羅の文武王が建てた寺です。現在は高さ13.4メートルの大きな二基の石塔が残っているのみで、建築物は焼失してしまいました。 
文武王は天の力を受け倭寇を撃退しようとこの寺を建てはじめましたが、完成を見ずして他界。死後は海の龍となって国を守ると遺言を残し、東海に葬られました。その後、王の息子神文王が682年に寺を完成させ、父の恩恵に感謝するという意味で感恩という名前を付けたといわれています。

コーロンホテル(코오롱호텔)

コーロンホテル(코오롱호텔)

17.8Km    2021-03-24

慶尚北道 慶州市 仏国路289-17
+82-54-746-9001

古都慶州の仏国寺の前に位置する慶州(キョンジュ)コーロンホテルは、重炭酸ナトリウム温泉やパブリックゴルフコースを揃えた総合レジャー温泉ホテルです。吐含山の日の出を見ることができる快適な客室、様々な料理を楽しめるレストラン、国際規模の大・小宴会場を備えており、ゴルフ、水泳、ジョギングなども楽しめます。

慶州石窟庵[ユネスコ世界遺産](경주 석굴암 [유네스코 세계유산])

17.9Km    2025-05-27

キョンサンブク道キョンジュ市ソックルロ238

国宝・石窟庵(ソックラム)は新羅・景徳王10(751)年、当時の宰相であった金大城(キム・デソン)が創建したと伝えられています。
仏国寺から稜線伝いに約3km、迂回路の一般道・仏国路経由で約9kmのところにある石窟庵。
その構造は方形と円形、直線と曲線、平面と球面が調和をなし、特に菩薩像や弟子像など周囲の壁に彫刻された現存する38の仏像はいずれも傑作です。石窟庵はこのような全体の調和を通じ高度な哲学を持ちつつ、同時に科学的な構造をも持ち合わせています。
石窟庵の中央には白色の花崗岩でできた如来坐像本尊仏が鎮座しており、本尊仏の視線は東海の海の方へと向いています。
その訳は、如来坐像が臨む視線の先に慶州市陽北面(ヤンブクミョン)奉吉里(ポンギルリ)にある文武王(ムンムワン)水中王陵、別名・大王岩(テワンアム)があるからなのです。大王岩の近くには文武王ゆかりの感恩寺(カムンサ)址や利見台(イギョンデ)などの史跡があります。
仏国寺・石窟庵は1995年12月6日、海印寺の八万大蔵経や宗廟とともにユネスコ世界文化遺産に正式に登録され、大切に保護されている史跡です。

*吐含山(トハムサン・標高745m)は新羅の人々の魂が宿る霊山で、別名・東岳とも呼ばれています。新羅五名山のひとつとして数えられ、古の時代より仏教の聖地として知られているこの山は、山全体がひとつの遺跡のようになっており、無数の遺跡が点在しています。また山は松やクヌギの森に覆われ、森深い山となっています。
仏国寺から東の方へ山道を歩いていくと、石窟庵が目の前に現れます。この仏国寺から石窟庵につづく山道は、山の中腹を縫うように走る車道ができるまでは唯一の道だったところで、多くの観光客が登っていった山道でした。1960年代以前には修学旅行でやってきた児童・生徒らの姿がこの山道でよく見受けられました。吐含山という名称はこの山が海の近くにあることから霧がよく立ちこめる場所で、山が海側から移流する霧を飲み込み吐き出す姿を表現し付けられたものと言われています。

*石窟庵の日の出*
石窟庵から臨む東海(トンへ)の水平線に昇る日の出。はるか向こうの水平線に真っ赤な太陽が昇り、赤く染まる空と海が絶景です。
石窟庵で日の出を拝んだ後は、吐含山から東海方面へ向う1998年開通した石獐路(ソクチャンノ)を経由して、海辺の町・甘浦(カムポ)や陽北の海岸方面へ向かってみましょう。ここでは韓国でも指折りの綺麗な海で獲れる海の幸を楽しむことができ、また感恩寺址や文武王陵などの史跡地も数多くあり、観光スポットとしてもおすすめです。
慶州中心部へのお戻りの際には民俗工芸村でショッピングもかねて観光したり、普門(ポムン)観光団地に立ち寄るのもおすすめです。

慶州仏国寺[ユネスコ世界遺産](경주 불국사 [유네스코 세계유산])

慶州仏国寺[ユネスコ世界遺産](경주 불국사 [유네스코 세계유산])

17.9Km    2025-05-07

キョンサンブク道キョンジュ市プルグクロ385

「雲を飲み込み、そして吐き出す」という名称のついた山・吐含山(トハムサン・標高745メートル)の中腹に位置する仏国寺(プルグクサ)と石窟庵(ソックラム)は、きらびやかな新羅の仏教文化の中心をなす史跡です。新羅・法興王15(528)年に、新羅の法興王が母・迎帝夫人の意に従い、国や人々の安寧を願い建立しました。その後も重建を重ね、新羅・景徳王10(751)年には、金大城(キム・デソン)の手により大幅な改修を行い塔や石橋などを造ったといわれています。しかしながらが壬辰倭乱(日本で言う「文禄・慶長の役」)により建物のみならず、貴重な宝物などほとんどが焼失、あるいは略奪されてしまいました。1920年までは一部の建物と塔だけが荒れ果てた状態で放置されていましたが、元来の姿に戻すべくたゆまない復旧作業の甲斐もあり、国宝7点を所蔵する今日のような韓国を代表する名刹の姿となりました。
仏国寺から尾根伝いに約3キロメートル(舗装道路である石窟路経由ではおよそ9キロメートル)ほど進むと、東海(トンへ)の海原の方に向いて鎮座している如来坐像の本尊仏がある石窟庵(ソックラム)にたどり着きます。仏国寺と石窟庵は1995年12月6日に海印寺(ヘインサ)の八万大蔵経や宗廟(チョンミョ)とともに、世界文化遺産に正式に登録され、国際的にもよく知られる史跡になりました。

処容岩(처용암)

17.9Km    2024-09-20

蔚山広域市 南区 黄城洞

処容岩(チョヨンアム)は蔚山広域市南区黄城洞(ファンソンドン)セチュク村前の外煌江(ウェファンガン)という川にある開雲浦(ケウンポ)という浅瀬の真ん中に浮かぶ岩の島です。
30平方メートルほどの小さな岩で出来たこの島は疫病神を追いやる力を発揮するという処容符籍にまつわる伝説が伝えられている中州で、三国遺事に書かれている処容郎の伝説と関係が深い由緒ある岩島でもあります。

新羅時代の第49代の王・憲康王(ホンガンワン・在位:875∼886年)がこの地を訪れ散策しそろそろ帰ろうかと川辺で一息ついていると、昼間にもかかわらず突然雲が立ち込め霧が深くなり、どこにいるのか見失ってしまいました。
天体観測や占星術を行っていた官職・日官(イルグァン)曰く、東海(トンへ)の海にいる龍が癇癪を起こしているためだとし、何か善行を行いこれを解かねばならないと進言しました。これを聞いた憲康王は勅命を下し、この川の近くに龍の怒りを治めるための寺を建立するよう命じると、それまで垂れ込めていた雲や霧がさっと晴れたという伝説が残っています。その伝説に登場する寺が現在の蔚州郡(ウルジュグン)青良面(チョンニャンミョン)に残っている望海寺(マンヘサ)です。また伝説の舞台となったこの場所は雲が晴れた浅瀬の浦口ということで開雲浦(ケウンポ)と呼ばれるようになりました。

川の近くに寺を建てるという新羅の王・憲康王の話を聞いた東海(トンへ)の海にいる龍の王はこのことを大変喜び、7人の王子を引き連れ海から陸にやってきて、憲康王の面前で舞を踊り音楽を演奏しました。
その7人の龍の王子のうちの1人が新羅の憲康王に従い新羅の都であった古都・慶州(キョンジュ)に入洛、憲康王の政(まつりごと)に仕えることになりましたが、その人物こそが処容(チョヨン)でした。
新羅の憲康王は自らの政の一員となった処容に美しい女性を妻にあてがい、新羅の官職のひとつである級干(クッカン)の地位まで与え、憲康王のそばに仕えさせたといいます。

ところがある日、美しい処容の妻を妬む疫病神が人の姿に変身し、夜になり忍び込み妻の寝床に入りこんで来ました。処容は外から帰ってくると、寝室で妻と疫病神が寝床で一緒に寝ている姿を目撃したにもかかわらず、処容は怒ることもなく歌を口ずさみ舞を踊り、そして部屋からすっと出ていきました。これを見た疫病神はその処容の寛容さに感激しひざまずき、これ以降、処容の姿を描いた絵を見ただけでもそこには現れなくなったと言います。

処容が自分の妻と寝床に横たわっている疫病神に向かって歌った歌が、かの有名な新羅郷歌「処容歌(チョヨンガ)」で、処容岩の前にある碑石に刻まれている歌がまさにその歌詞です。処容が舞ったという処容舞(チョヨンム)は国家無形文化財として伝承されており、また処容岩は東海の海からやってきた龍の王が7人の王子を引き連れてやってきた開雲浦ゆかりの岩として地方記念物に指定され、処容の伝説とともに巷の人々に語り継がれています。
椿や藤の木など四季を通じて青々とした木々が覆い絶景を誇る目島(モクト・天然記念物)も近くにあり、見どころが多い観光地として有名な場所です。

瑟島(슬도)

18.3Km    2023-01-03

蔚山広域市 東区 方魚洞
+82-52-277-0101

方魚津の港に寄せてくる荒々しい波を阻んでくれる岩島で「潮風と波が岩にぶつかる時、玄琴(コムンゴ)の音がする」ということから玄琴に形の似た中国の楽器「瑟(しつ)」という漢字を使い、「瑟島(スルド)」と呼ばれています。瑟島に響く波音「瑟島鳴波」は方魚津12景のひとつです。1950年代末に設けられた無人灯台が瑟島を守っている他、さまざまな魚種が生息していることから釣り客の足が絶えない島となっています。

スリメ(수리뫼)

18.4Km    2021-11-08

慶尚北道 慶州市 内南面 鮑石路110-32

ユネスコ世界文化遺産の慶州(キョンジュ)南山(ナムサン)に屏風のように囲まれた「スリメ」は、朝鮮王朝の宮廷料理履修者である朴美淑(パク・ミスク)院長が直接調理する宮廷料理レストランです。スリメ農園で自家栽培した新鮮な食材と天然調味料だけを使い、宮廷料理本来の味を提供するのはもちろん、多彩な飲食体験プログラムを通して、宮廷料理を伝えることに取り組んでいます。スリメでは新羅王朝千年の古都である慶州の美しさを目で楽しみ、朝鮮王朝の味を舌で楽しむことができます。