観光 - 韓国旅行情報

広城堡(광성보)

広城堡(광성보)

2022-07-05

インチョン広域市カンファ郡プルン面ヘアンドンロ466ボンギル27

1618年に高麗時代の外城を補修し1656年に「広城堡(クァンソンボ)」を設置しましたが、この堡の墩台は1679年に築造されたものです。1745年に完全な石城に改築され城門も作られました。広城堡は辛未洋擾(しんみようじょう)の当時最も激しい激戦地で、1871年4月24日にアメリカのロジャースが通商を要求し艦隊を率い1,230人の兵力で侵攻した時に、上陸部隊は草芝鎭と徳津鎭を占領した後、広城堡に到達し白兵戦を展開しました。朝鮮軍指揮官の魚在淵(オ・ジェヨン)将軍の元、全兵士が勇敢に戦い、砲弾が尽きると剣と槍で、刀と槍が折れると石と拳で最後の一人まで退かず捕虜にもならず壮烈な最後を遂げました。
広城堡には当時使用された大砲や砲台などが残っており、そこから見下ろす海の景色と墩台の曲線が印象的です。また、史跡に指定されており、毎年旧暦4月24日には魚在淵将軍をはじめとして、戦死した無名の勇士達のために広城祭が行われます。

碑岩寺(世宗)(비암사(세종))

碑岩寺(世宗)(비암사(세종))

2020-04-02

世宗特別自治市 全義面 碑岩寺キル137
+82-44-863-0230

「碑岩寺(ピアムサ)」は京釜線の全義駅から南に10キロメートルほどのところにあります。記録が残っていないため正確な創建年度を知ることはできませんが、一説では2000年前といわれています。また、忠清南道地方文化財に指定されている碑岩寺の極楽宝殿や三層石塔から、高麗時代中期に創建されたのではないかとも推測されています。
極楽殿の前にある高さ3メートルの三層石塔の上部から四面群像が見つかり、広く知られるようになりました。この石像のうち、国宝第106号の「癸酉銘全氏阿弥陀仏三尊石像」、宝物第367号の「己丑銘阿弥陀如来諸仏菩薩石像」、宝物第368号の「弥勒菩薩半迦石像」は国立中央博物館に保存されています。

燕尾亭(연미정)

2022-08-30

インチョン広域市カンファ郡カンファ邑ウォルゴン里242

「燕尾亭(ヨンミジョン)」は1995年3月1日仁川広域市の有形文化財に指定されました。建てられた時期がいつなのかは不明で、壬辰倭乱、丙子胡乱、韓国戦争により破損した部分はこれまでに何度も修復が行われました。 臨津江と塩河江の形が燕の尻尾に似ているということから燕尾亭という名前が付けられ、月串墩台のてっぺんに建てられているため坡州市、金浦市、北韓の黄海道開豊郡一帯を見ることができます。
摩尼山、伝燈寺、普門寺と共に江華八景の1つであり、燕尾亭から見る月が美しいことで知られています。長い間燕尾亭は軍事保護区域に指定されており、一般の人の観覧は厳しく制限され、軍隊の許可がある人のみ出入りが可能でしたが、最近では身分証明書があれば一般の人も出入りが可能になりました。

雲住山城(운주산성)

2023-01-19

セジョン特別自治市チョンドン面チョンソン里サン90

別名・高山山城(コサンサンソン)とも呼ばれる雲住山城(ウンジュサンソン)は、百済時代の遺跡です。
世宗(セジョン)特別自治市全東面(チョンドンミョン)美谷里(ミゴンニ)・青松里(チョンソンニ)と同市全義面(チョニミョン)東校里(トンギョリ)・新井里(シンジョンニ)の境には雲住山(標高459.7メートル)が聳えており、雲住山城はこの雲住山の地形を利用して築城された山城です。
山城西側の裾野の方にはソウルと釜山を結ぶ高速鉄道の線路が通っています。雲住山城は城の周囲が3,210メートル、幅2メートル、高さ2メートルから8メートルの雄壮な百済の山城で、盆地のような形をした山やその風景は大変素晴らしいものがあります。
城壁は自然の地形を最大限生かして築城され、北壁と東壁は雲住山山頂から北西と南へと延びる稜線伝いに伸び、南壁は頂上を取り囲むように築城され、西壁は西へと延びる稜線を横切るように築城されています。
築城された場所は北側の標高が高く、南西側が低い地形となっています。 西門、南門、北門があった場所には門址が確認できますが、すでに崩れており詳細はよくわかりません。

城郭内には城門や建物跡、井戸などが残っていますが、頂上付近には雨乞いの儀式・祈雨祭(キウジェ)を行った祭壇とみられる円形の敷地が残っています。
また、城郭内では百済の土器や瓦の破片が出土しているほか、高麗時代や朝鮮時代の磁器や瓦の欠片も発見されています。
この山城には内城と外城が形成されており、古代山城研究の貴重な史料となっています。
雲住山城は、660年に百済が滅亡し百済最後の王・豊王(プンワン)や百済末期の武将・福信(プクシン)、道琛(トチム)将軍を先頭に起こった百済復興運動軍の最後の救国交戦地として知られている場所です。
雲住山の登山口に高山寺(コサンサ)という寺があり、百済が滅亡した陰暦9月8日にあわせ土曜日の日に百済滅亡期の義慈王(ウィジャワン)と復興期の豊王、そして百済復興運動の末、犠牲になった人々を慰霊するため高山祭を執り行っています。

鶴林寺(世宗)(학림사(세종))

2022-11-10

セジョン特別自治市ヨンソ面ワリョンロ353

鶴林寺(ハンニムサ)はとても美しい尼寺として有名です。鶴林寺は600年ほど前、棲鶴山(ソハクサン)にあるハクパウィ(鶴岩)の下に建立されたと言い伝えられています。歳月を経て一時、廃寺となってしまいましたが、1965年4月、再び寺を建立し、安養寺(アニャンサ)として再出発しました。その後、1985年に大雄殿と寮舎を重創し、寺の名称も鶴林寺に変えました。2004年には原色の色も鮮やかな韓国伝統家屋に塗られる丹青(タンチョン)も施しました。
鶴林寺のうつくしさのもう一つは境内に咲く花です。いつの季節に訪れてもさまざまな花が迎えてくれますが、特に春の鶴林寺は一面、花畑のようになります。

神光寺(世宗)(신광사(세종))

2025-01-09

セジョン特別自治市チョチウォン邑トゴルゴゲキル24
+82-44-865-5601

神光寺(シングァンサ)は世宗特別自治市鳥致院邑の露積山に位置する寺院です。創建年代は約160年前とされており、1920年に住職が復元したという記録が残っています。創建当時はトゴル寺、修養寺(スヤンサ)などと呼ばれていましたが、1980年に現在の寺院名に変更されました。

清眼寺(청안사)

2025-01-03

世宗特別自治市 全義面 カヌシルキル 128-23
+82-44-867-3407

清眼寺(チョンアンサ)は錦城山や鵲城山、国師峰に囲まれた場所にある大韓仏教曹渓宗の寺院で、1900年頃に創建されたものと伝えられています。清眼寺から50メートルほど離れたところに昔の寺跡があり、朝鮮時代中期の瓦や白磁のかけらが出土していることから、その時期にはこの寺が存在していた可能性があるとされています。最近まで成仏寺(ソンブルサ)という名前でしたが、2002年に現在の寺院名に変わりました。

金伊城(금이성)

2020-03-17

世宗特別自治市 全東面 松城里
+82-44-300-3444

鉄甕城として呼ばれていた山城の金伊城(クミソン)は海抜高度430メートルの金城山の頂上部の周囲に築造された山城です。城の周りは714メートルで「鉄城」として金城として表記され、三国史記に出てくる「金峴城」はこの山城にちなんだものです。
築造様式は典型的な百済様式で、一部に統一新羅初期の様式が追加された山頂型の築造です。また城の中から出土した遺物の製作時期から、高麗時代に築城されたものと推測されています。険阻な地形を利用し堅固に構築されたため、世間に「鉄甕城」として呼ばれました。

高福自然公園(고복자연공원)

2021-12-21

世宗特別自治市 燕西面 道新高福路 586

高福(コボク)自然公園にある高福貯水池は、面積77万平方メートルを誇る大規模な農業用水用の貯水池です。ライギョ、フナ、コイ、ナマズなど、さまざまな魚類が生息していることから釣りのメッカとしても知られています。公園に指定されている範囲は184万平方メートルで、五峰山(オボンサン)自然林、洞窟、寺、野外彫刻展示場などがあります。近くにはブドウや桃、梨を栽培する果樹団地もあります。公園の近くには広場や梨花(イファ)女子大学校美術大学のカン・テソン教授が造成した野外彫刻公園があり、おすすめの観光スポットです。特に野外プールがオープンする夏休み期間中には多くの人々が訪れます。貯水池の北側の畔にある民楽亭(ミルラクチョン)から眺める景観は大変すばらしく、桜が咲く頃の高福自然公園は知る人ぞ知る隠れた桜の名所となっています。また高福自然公園の周辺には韓方鴨料理やナマズのピリ辛鍋・メギメウンタンを提供する食堂が点在しており、食通の人々に人気があります。

黄龍寺(世宗)(황룡사(세종))

2021-01-29

世宗特別自治市 燕東面 ファンウジェキル22-17
+82-44-864-7000

黄龍寺(ファンニョンサ)は韓国仏教の太古宗に属する寺院で、創建については正確に知られていません。朝鮮中期の党争を避け、都落ちした黄喜(1363~1462年)の子孫が国の太平聖代と家門の繁昌を祈るための願刹として創建したと伝えられています。その後、黄喜の子孫が代々寺院を続けてきましたが、ある時期から頹落して廃墟となったとされています。