2022-12-26
ソウル特別市チュン区ミョンドンギル74
明洞大聖堂はソウル大教区の大聖堂であり、韓国天主教会共同体が誕生したところで天主教の信仰が広がる中心の役割を果たしている場所です。明洞大聖堂の地下にある小聖堂は殉教者たちの墓地として作られ、ローラン=マリー=ジョセフ・アンベール司祭(1796~1839)やピエール=フィリベール・モーバン神父(1803~1839)、ジャック=オノレ・シャスタン神父(1803~1839)などの遺骨が安置されています。
明洞大聖堂がある明洞はソウルの中心部に位置する繁華街で、外国人観光客の足が途絶えることない場所です。近くには韓国の伝統家屋を保存してる南山コル韓屋村やソウルが一望できる南山タワー、様々なものが手頃な価格で手に入る南大門市場などがあります。
2021-09-13
ソウル特別市 瑞草区 献仁陵キル36-10
朝鮮第3代太宗とその妃・元敬王后の墓が並んで祀られている献陵(ホンヌン)、朝鮮第23代純祖とその妃・純元王后が合葬されている仁陵(インヌン)をあわせて献仁陵(ホニンルン)と呼んでいます。
太宗は1367年に太祖の五番目の息子として誕生、在位期間は1400年~1418年で1422年に崩御しました。元敬王后閔氏は1365年に誕生し、1382年に李芳遠(太宗)に嫁ぎ、1400年王妃となり1420年に崩御しました。純祖は1790に誕生し、在位期間は1800~1834年、1834年に崩御しました。純元王后は1789年に誕生し、1802年に王妃に冊封、1857年に崩御しました。
献陵と仁陵の前にはそれぞれ丁字閣と碑閣があります。仁陵はもともと坡州の長陵近くにありましたが、1856年に現在の場所に移されました。
2024-05-17
ソウル特別市チョンノ区チョンワデロ1 青瓦台
「青瓦台、国民のもとへ」開放案内
[運営時間]
2022年6月12日(日)~
時間:9:00~18:00(12月~2月9:00~17:30)
休業日:火曜日
[観覧申込み]
https://www.opencheongwadae.kr/
韓国政治の中心である大統領官邸・青瓦台(チョンワデ)のシンボルは青い瓦です。青瓦台に入り一番最初に目に飛び込んでくるのもこの本館の青い瓦屋根です。北岳山(プガクサン)を背景に建つ青瓦台本館は青瓦と曲線の屋根が美しい姿を誇っています。
青瓦台が韓国を代表するように、この青瓦と屋根の曲線は韓国の美を表わしています。青瓦台は敷地中央にある本館、迎賓館、春秋館、緑地園、無窮花の丘、七宮などからなります。注目すべき点は各建物がそれぞれ独特な姿をしているところです。特に青瓦台の建物は韓国を代表する建物であるため、韓国の伝統様式で建てられ大変美しい造りとなっています。
まず敷地中央にある本館は青瓦の屋根が特徴的な美しい青瓦台を代表する建物で、青色の屋根瓦の曲線が美しい姿を見せています。青瓦台を象徴するこの青瓦はおよそ15万枚、一枚ずつ焼いて製作され、100年以上もの間、耐えられるよう頑丈に作られています。次に目を右手に向けると、春秋館(チュンチュグァン)が見えます。春秋館は土瓦屋根が伝統的な雰囲気を作り出しており、現在は大統領や大統領報道官の記者会見場などに使われています。本館の左手には迎賓館があります。迎賓館は外国からの国賓を迎える場所で、18本の石柱が建物を支え、雄壮な趣となっている建物です。
青瓦台内の散策場所として有名なところには緑地園と無窮花の丘があります。緑地園は歴代大統領が記念植樹した木が植えられている他、樹齢300年以上になる松の木が有名です。無窮花(ムグンファ=ムクゲ)の丘はムクゲの花をはじめ、噴水、鳳凰像などがあり、フォトスポットとなっています。ムクゲが咲く7月から10月までは特に美しい風景となります。
また青瓦台観光で外せないのが七宮(チルグン)です。七宮は朝鮮時代の王の生母でありながら側室として生きた7人の神位を祀る祠のことで、伝統的な建物やこぢんまりとした庭が印象的です。
2024-03-06
カンウォン特別自治道ソクチョ市ヘオルムロ190
1976年に初めて開場した束草(ソクチョ)海水浴場は、韓国を代表する海水浴場の一つです。束草市内から近く、高速バスターミナルも徒歩圏内にあるので、アクセスが良いのがメリットです。束草海水浴場は、海水が澄んでいてきれいで、遠浅になっているので毎年夏になると全国から集まる避暑客でにぎわいます。特にピークシーズンの7~8月には、広いビーチが足の踏み場もないほどの人々で溢れます。海水浴場の周辺は、飲食店などのお店や施設が充実しています。ビーチの裏手には松林があり、小さな公園や散策路も整備されています。休暇シーズンが過ぎても、海水浴場を訪れる観光客は後を絶ちません。砂浜のあちこちに設置されているオブジェが、季節に関係なく多彩な見どころになってくれるからです。束草のハングルの子音「ㅅㅊ」をモチーフにしたオブジェや、世界各国の方向を示す大きなコンパス、躍動感のあるイルカの彫刻などが目を引きます。青い海をバックに写真が撮れる大きなフォトフレームと、空に向かって伸びる天国の階段は、ここで一番人気のあるフォトスポットです。また、毎年ここでは観光客に楽しい思い出を作ってほしいと、コンサート、海辺夏祭り、束草クラフトビール祭りなどが開催されています。旅行シーズンに合わせて訪れると、バンドのライブやコンサートなどの公演も楽しむことができます。
2024-04-07
チョンブク特別自治道 高敞郡 雅山面 禅雲寺路250
百済威徳王24年(577年)に黔丹禅師が創建したと伝えられている「禅雲寺(ソヌンサ)」は、金山寺と共に全羅北道内曹渓宗の2大本寺です。禅雲寺に保存されている記録によると創建当時は89庵に3,000人余りの僧侶が修行する大寺院だったといいます。現在は本殿と兜率庵、懺堂庵、東雲庵、石床庵のみが残っています。現在禅雲寺には宝物8点、天然記念物3点、全羅北道有形文化財11点、全羅北道文化財資料3点の計25点があります。なかでも大雄宝殿の裏にある樹齢約500年、高さが平均6メートルにもなるツバキの木々は天然記念物に指定されており、花が満開になるとまるで寺の裏に屏風を立てたかのように美しく寺院全体を彩り、その美しさを記念して毎年4月にはツバキ芸術祭りが開かれています。
2025-03-28
チョンラナム道クリェ郡マサン面ファオムサロ539
「華厳寺(ファオムサ)」は求礼邑から東に5.4キロメートルのところにある智異山(チリサン)の麓にある千年古刹で、544年に縁起祖師が創建したといわれており、寺の名は「華厳経」の最初の二文字をとってつけたと伝えられています。
壬辰倭乱の際に全焼しましたが、仁祖の時代1630年~1636年に碧巌禅師らによっていくつかの建物が再建され、その後肅宗の時にその意志を受け継いだ桂波禅師により覚皇殿が完工しました。
華厳寺では多くの国宝や宝物、天然記念物などを保有し、20棟余りの建物が配置されています。覚皇殿は国宝に指定されており、現存する木造建築物としては韓国最大の規模で、その雄大な姿は見る人を圧倒します。覚皇殿前の庭に建てられた石灯籠は高さ6.3メートル、直径2.8メートルでこれもまた韓国最大の規模であり、統一新羅時代の仏教中興期のきらびやかな彫刻芸術を見せる作品で、国宝に指定されています。
文化遺産
華厳寺覚皇殿前石灯(国宝)
華厳寺四獅子三層石塔(国宝)
華厳寺覚皇殿(国宝)
華厳寺霊山会掛仏幀(国宝)
華厳寺木造毘盧遮那三身仏坐像(国宝)
華厳寺塑造四天王像(宝物)
華厳寺木造釈迦如来三仏坐像および四菩薩立像(宝物)
華厳寺大雄殿三身仏幀(宝物)
華厳寺西五層石塔舎利荘厳具(宝物)
華厳寺華厳石経(宝物)
華厳寺円通殿前獅子塔(宝物)
華厳寺大雄殿(宝物)
華厳寺西五層石塔(宝物)
華厳寺東五層石塔(宝物)
華厳寺エドヒガン(天然記念物)
華厳寺華厳梅(天然記念物)
華厳寺普済楼(全羅南道有形文遺産)
華厳寺九層庵石灯(全羅南道有形文化遺産)
2024-09-23
忠清南道 牙山市 塩峙邑 顕忠祠キル 126
+82-41-539-4600
忠清南道・牙山市に位置する忠武公(チュンムゴン)・李舜臣(イ・スンシン)将軍の祠堂。1706年に建てられ、翌年に粛宗が顕忠祠(ヒョンチュンサ)という名をつけました。1932年、日帝強占期に李舜臣公の遺跡を保存するために遺跡保存会が設立され、その後、祠堂を再建して、政府が聖域として整備したものです。
ここには、李舜臣将軍の掛け軸や生涯を描いた十鏡図が保管されており、国宝である乱中日記や宝物の長剣などが展示されている遺物館や李舜臣公の暮らした家や弓道場、亀船もあります。顕忠祠の正門である忠武門をくぐり、顕忠祠の入り口には、紅い門があり、紅い門を過ぎて李舜臣の掛け軸がある韓国式青器や鉄器のコンクリートの建物があります。
2024-03-15
チュンチョンブク道ポウン郡ソンニサン面サンパン里
俗離山(ソンニサン)国立公園は、小白(ソベク)山脈の中間地点に位置しており、標高1,057メートルの俗離山と華陽(ファヤン)・仙遊(ソニュ)・双谷(サンゴク)という3つの渓谷で構成されています。1970年に国立公園に指定されました。美しい景色と奇岩怪石で広く知られる公園内には、 天王峰(チョヌァンボン)、文蔵台(ムンジャンデ)、毘盧峰(ピロボン)などの岩尾根と法住寺(ポプチュサ)、成仏寺(ソンブルサ)、甄萱(キョン・フォン)山城などの観光スポットがあります。
2024-02-23
キョンサンナム道ハドン郡ファゲ面サンゲサギル59
聖徳王21年(722年)に義湘大師の弟子である三法が創建した双磎寺(サンゲサ)は、全羅南道求礼邑から21キロメートル地点の、慶尚南道河東郡花開面花開里から雲樹里までの6キロメートル桜の木が並んでいる智異山の南の麓にあります。初期の名前は玉泉寺でしたが、その後、文聖王2年(840年)に真鑑国師 が再建した後、887年定康王が、禅寺の徳を仰いで双磎寺と改称しました。今の建物は壬辰倭乱(文禄・慶長の役)のときに消失したものを再建したものです。
双磎寺の春の桜は特に有名で、渓谷の澄んだ水と奇岩、古木が優れた景勝を作り出しています。境内の見所としては崔致遠の親筆である双磎石文、真鑑禅師大空塔碑(国宝)を過ぎ、北側500メートルほど行くと国師庵の庭に天然の楡の木、また東側に2キロメートルほど行くと青鶴峰と白鶴峰のふたつの渓谷を有する高さ60メートル幅3メートルのプリル瀑布(智異山10景のひとつ)などの名所があります。
また、双磎寺はお茶とゆかりの深い場所で、新羅・興徳王3年(828年)金大廉が唐の国に使臣として行って帰国した際、初めてお茶の種を持ち込み、王令で智異山の南側、双磎寺一帯に植え、最初の栽培地と言われています。そのため、お茶の栽培地記念碑(道記念物)もあります。
2024-05-10
キョンサンブク道アンドン市イムダン面チリェイェスルチョンギル427
安東臨河ダムが建設されたことによりできた「知礼(チレ)芸術村」は、芸術創作村として知られています。
安東市臨東面知礼里が臨河ダム建設により水没する境遇に置かれたため、知礼芸術村の現・村長であるキム・ウォンギル氏が水没対象地域にあった義城金氏芝村派宗宅と書堂、祭庁など、約10棟の古宅を裏山の中腹に移し、芸術家の創作活動、外国人の韓国伝統文化体験、一般人の伝統生活体験ができる場所として運営しているのが「知礼芸術村」です。1990年には文化部から芸術創作村に指定されました。
知礼芸術村では生活文化体験、儀礼文化体験、自然体験、学習文化体験、芸術文化体験、 精神文化体験など多様な古宅体験を楽しめます。生活文化体験では韓服を試着したり、韓食を味わったり、韓屋で宿泊することができ、儀礼文化体験ではソルラル・秋夕といった年中行事体験や祭礼体験、歳時風俗体験、礼節教育など、自然体験では水遊び、魚とり、昆虫採集、植物採集、夜空観測、野生動物観測などをすることができます。