15.0Km 2024-02-23
キョンサンナム道サンチョン郡サンチョン邑ネ里1117
修禅社(スソンサ)は、智異山(チリサン)熊石峰(ウンソクボン)にあるお寺です。 美しいアジサイと蓮花スポットとして有名であるため、多くの人々が訪問する場所でもあります。体験プログラムとしては心身を癒すことができるテンプルステイを運営しています。隣には修禅社で運営するカフェがあり、一緒に楽しめます。
15.2Km 2024-04-08
チョンブク特別自治道ナムォン市サンネ面ワウンギル249
智異山ペムサゴル臥雲村(ワウンマウル)は智異山国立公園に属し、天然記念物に指定されている智異山千年松(別名おばあさんの木)をはじめ、紅葉など自然に恵まれたところです。
15.4Km 2021-02-25
全羅南道 求礼郡 土旨面 ピアコル路774
+82-61-782-7412
求礼郡にある「燕谷寺(ヨンゴクサ)」は543年に華厳寺の宗主・縁起祖師によって創建されました。その後、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)で焼失、さらに韓国戦争(朝鮮戦争)でも焼失しました。1981年3月1日、当時の住職であるチャン・スンブ僧侶が政府の支援とお布施で昔の本堂を撤去し、そこに御影石と自然石で石垣を築いて正面5間、側面3間の新しい本堂を建てました。寺の名前を燕谷寺としたのは、縁起祖師がここでツバメを見たことに由来しています。縁起祖師が初めてここに来て風水地理を見ていた時、現在の本堂の場所に池がありました。池を注意深く見ていると中央の水が渦巻き、一羽のツバメが飛び立ちました。そこでこの池を埋めて本堂を作り、寺の名を燕谷寺としたと伝えられています。
15.8Km 2023-03-29
キョンサンナム道ハドン郡ファゲ面ファゲロ142
花開(ファゲ)の桜は十里桜としてよく知られた沿道沿いの桜並木です。この道をカップルが手をつないで歩くと、一生涯一緒にいられるという言い伝えがあり「ウエディングロード」「婚礼の道」などと呼ばれています。
15.8Km 2024-02-08
キョンサンナム道ハミャン郡マチョン面チリサンガヌンギル534
咸陽(ハミャン)から智異山(チリサン)へ行く最短コースで、2004年に開通しました。峠を越えてくねくね曲がる道は、単に道路というだけでなく観光名所ともなっています。悟道峠(オドジェ)頂上のすぐ下の、智異山の主稜線(老姑壇(ノゴダン)~天王峰(チョヌァンボン))が一望できるところに広い智異山眺望公園を造成し、ここを通る観光客に見どころと憩いの場を提供しています。
16.3Km 2021-03-03
慶尚南道 河東郡 岳陽面 岳陽西路357
+82-55-880-2370
慶尚南道河東郡にある岳陽(アギャン)面は面積51.8平方キロメートルで、東は赤良面、西は花開面、南は河東邑と光陽市多鴨面、北は青岩面に接しています。中心部には岳陽川が流れており、肥沃な土地が広がっています。特産物に大峰柿や野生茶があります。
16.5Km 2020-07-13
慶尚南道 河東郡 岳陽面 岳陽西路348
+82-55-883-3500
「梅岩茶文化博物館(メアムチャムナバンムルグァン)」のはじまりは、1963年、故・カンソンホ卿が茶園を建てたことに遡ります。単に遺物だけを見る一般的な博物館ではなく、参加者がお茶の製造過程やお茶に関する話に触れ、体験できる博物館です。
オープン日
2000年5月21日
16.5Km 2024-12-24
チョンブク特別自治道 ナムウォンシ テジョンバンチョンギル 43
+82-63-636-1003、 +82-10-8107-1838
全羅北道の南原市にある「智異山韓屋村」は、天王峰と老姑壇の下の名堂として有名な古宅であります。ペムサ谷と老姑壇が車で20分以内にあり、夏場の訪問の比重が高いです。周りの景観があまりにも優れていて、詩人、文学人、経営人がよく訪れ、特に2008年にノーベル文学賞の候補がここに滞在しながら作品活動をしたと言われます。
16.6Km 2020-07-13
慶尚南道 山清郡 今西面 仇衡王陵路
+82-55-970-6411
伝・仇衡王陵(チョン・クヒョンワンヌン=仇衡王陵と伝えられている王陵という意)は伽倻(カヤ)の第10代の王・ 仇衡王(クヒョンワン)の墓として後世に伝えられている積石塚で、仇衡王は仇亥(クヘ)あるいは譲王(ヤンワン)とも呼ばれています。伽倻の王・仇衡王はその後の新羅の将軍・金庾信(キム・ユシン)の曽祖父にあたる人物です。521年に伽耶国の王に即位し、532年新羅の法興王(ポプンワン)に領土を明け渡すまで11年間、王の座に在位しました。
この墓を巡り、石塔であるという説と、王陵であるという説の二つの説があります。この石積塚を塔と見る見解はこれと似たものが安東(アンドン)と義城(ウィソン)地方に分布していることを根拠にしています。
一方、王陵であるという根拠は韓国全土を網羅した地理誌「東国輿地勝覧」の山陰県山川條のところに「県の40里(注:韓国の1里は約400m)の山中に石で積まれた九龍があるが、四面にすべて段々となっておりが、世俗には王陵と伝えられている」という記録があります。
この墓に王名を付けた記録は朝鮮時代の文人・洪儀泳(ホン・ウィヨン=1750~1815年)の「王山尋陵記」(ワンサンシムヌンギ)に初めて登場しますが、墓の西側に王山寺(ワンサンサ)という寺があり、寺に伝えられている「王山寺記」に仇衡王陵という記録があったといいます。
一般の墓とは違い、傾斜のある丘の中腹にすべてで高さ7.15mの階段式の石段をなしています。前から見ると7段になった石積みで、後ろからは急な傾斜をそのまま利用して作られているため、平地に作られたピラミッド型の階段状の石積みとは異なった形となっています。墓の最上部は楕円形に石が積まれています。
積石塚の真正面には「駕洛国譲王陵(カラックク・ヤンワンヌン)」と書かれた碑石があり、そのそばには石造物がいくつかありますが、これは近年に建てられたもので王陵の時代のものとは異なります。
朝鮮時代末期の正祖17(1793)年には、王山寺で長年伝承されてきた木箱から発見された仇衡王と王妃の肖像画、衣、弓などを収蔵するため、「徳譲殿(トギャンジョン)」という殿閣を建立、今日でも春や秋になると祭祀を執り行っています。
[詳細解説]
仇衡王陵と伝えられているこの積石塚・伝仇衡王陵は、駕洛編年記(カラクピョンニョンギ)によれば、新羅時代の法興王19(532)年、仇衡王が方丈山(パンジャンサン)の太王宮(テワングン)で亡くなり譲王(ヤンワン)という諡号(贈名)を追号しそこに埋葬されたということから、駕洛国第10代譲王の陵と言われています。譲王は新羅の王との戦いに敗れ、戦死したとも伝えられています。
この墓は一般の墳墓とは異なり、石積みの階段状になった方形をしており、西から東へと下る斜面に雑石で築造しています。
正面は7段となっていますが、後面は斜面に作られていることもあり前面に比べ傾斜があり段数も少なくなっています。石礫は正面からみても直線に積まれてはおらず、やや曲がった形で積まれ、また四隅も明確な形で作られておらず、最も上の部分は土を盛り上げて作る封墳のように楕円の半球型の形に石が積まれています。
前面中央から一番高いところまでの高さは7.15mほどあり、何の目的で作られたかは定かではありませんが第4段の東側に幅40cm、高さ40cm、深さ68cmの小さな仏像や位牌などを安置する龕室(カムシル)が設けられています。
この石積塚の周りには同じような雑石で高さ1mほどの塀が築かれており、また石積塚の真正面には「駕洛国譲王陵」と刻まれた石碑が建っています。さらに、その石碑の前には供え物などを置く平たい床石や石灯篭の一種・長明灯(チャンミョンドゥン)もあります。
その左右には文人石・武人石・石獣がそれぞれ一対ずつありますが、これら石造物は最近建てられたものであり石積塚とは年代的に大きな差がある石造物です。
この石積塚をめぐっては従来石塔という説と王陵という二つの説が提起されてきました。まず、これを石塔とする説はこのような形態の石塔が安東や義城地方に分布していることを根拠に挙げています。
一方、王陵とする説は「東国輿地勝覧」の山陰県山川條に「王山(ワンサン)」についての記述があり、その 脚注に「県の40里の山中に石で積んだ九龍があるが、四方すべての面が段々となっており、世間には王陵と伝えられている」という記録があります。
この墓を仇衡王陵という名称で初めて言及したのは洪儀泳(ホン・ウィヨン=1750~1815年)の ≪王山尋陵記(ワンサンシムヌンギ)≫でのことですが、近くにある王山寺(ワンサンサ)に伝えられている≪山寺記巻(シンサギグォン)≫に仇衡王陵と書かれていたといいます。
他の史料≪山清県遺誌≫によれば、正祖22(1798年)初めて王陵について言及したと記録している書物は、洪儀泳の ≪王山尋陵記≫で、これを根拠に王陵と判断したと思われます。伝えられるところでは、およそ200年前に村の人々が山に登り、祈雨祭(雨乞い)を行ったところ雨が降り、下山した王山寺で雨宿りをしていると、本堂の梁の上に正体不明の大きな木箱を見つけ、これを梁から下ろして中を見てみると、その中から仇衡王やその王妃の肖像画や服、弓、刀などの遺物とともに名僧・担渶(タンヨン)が記した王山寺記を発見、これを手掛かりに王陵を探し出すことができたといいます。
この時発見されたこれら遺物を所蔵するために朝鮮時代後期の正祖17(1793)年に徳譲殿を建て、それ以降毎年春と秋に追慕祭を執り行っています。
16.6Km 2025-01-07
キョンサンナム道サンチョン郡クムソ面トンイボガムロ555ボンギル61
+82-55-970-6670
韓方の薬材に関心の高い韓国人にとって、『東医宝鑑』と許浚(ホ・ジュン)は信頼の的となっています。この山清(サンチョン)は、『東医宝鑑』の著者、許浚が医学を学んだ地域でもあります。山清は智異山に位置していますが、智異山は約1000種以上の薬草が自生する名山で、薬草を求める韓方医にとって薬材の宝庫とされています。山清韓方薬草祭りは、韓方診療や韓方鍼などを体験できる場所を中心に、祭り広場はフォトスポット、ティースポット、薬草鉢作りスペース、薬草鉢グッズの展示・販売スペースなどを含む薬草庭園が造成されています。また、薬草カンジョン、懐かしい薬草タルゴナ(砂糖菓子)、韓方ハーブカクテル、大王薬湯器韓方薬茶などを作る体験もできます。
『東医宝鑑』
1610年に名医の亀岩・許浚が中国と朝鮮の医学書を集大成して著した医学書。東洋最高の医学の百科事典という評価を受け、2009年にユネスコ「世界の記憶」に登録されました。
代表イベント・体験
薬草庭園
山清韓方薬局体験
私の体にぴったりの韓方薬体験