0m 43 2021-04-02
慶尚北道 安東市 ウッジャントキル 90
+82-54-822-7008
新鮮な川魚で作ったメウンタン(魚の辛味スープ)が味わえます。慶尚北道のアンドン市に位置した韓食専門店です。代表的なメニューは淡水魚の辛味スープです。
4.5 Km 20714 2024-04-30
キョンサンブク道アンドン市キラン面チュンヒョロ1736-5
黙溪(モッキェ)書院は凝渓・玉沽(オク・コ)先生と宝白堂・金係行(キム·ギェヘン)先生を奉享する書院で1687年に創建されました。1869年の書院撤廃令で祠堂はなくなり講堂だけが残っていましたが、最近、失われた建物を新しく建てて書院を復元しました。黙溪宗宅は書院から遠くない村の中央に位置しています。
5.1 Km 19161 2020-10-20
慶尚北道 安東市 吉安面 黙渓下里キル 42
+82-54-852-6800
晩休亭(マニュジョン)は朝鮮時代の文臣・宝白堂(ポベクタン)金係行(キム・ゲヘン)公の亭子(東屋)で、1500(燕山君6)年に建立されました。
現在の建物は、重修されたことから建立当初の姿からは変わってしまっていますが、朝鮮時代後期の様式を彷彿とさせる造りとなっています。
金係行は朝鮮時代初期の文臣としてさまざまな官職を歴任した人物でした。しかし、朝鮮時代第10代の王・燕山君(ヨンサングン=在位1494~1506年)の暴政に嫌気が差し、官職を捨て故郷へ戻りました。故郷に帰ると、ソルモッの池(現在の慶尚北道安東市豊山面素山2里にある素山池=ソサンジ)の畔に小さな亭子を一度建てましたが、真横に道があったことから、より静かな場所を求め、この亭子を現在の場所に建て直したといいます。
安東市吉安面(キランミョン)にある黙渓書院(モッケソウォン)の川向こうの山あいで、滝のある雄壮な渓谷の谷澗水が盤石の上を流れる絶景の場所に、この晩休亭が南東向きに建てられています。
* 朝鮮時代の品位が感じられる晩休亭の構造 *
晩休亭の構造を見てみると、 軒先の垂木が一段のみとなっている入母屋屋根となっており、屋根左右の軒先の曲線が鋭く反り返り、亭子の趣をより一層感じられる構造となっています。
晩休亭の建物の大きさは正面3間、側面2間となっています。 正面は柱と柱の間の3間すべて開放することができ、建物正面の風景を楽しめる高殿の板の間がある亭子となっています。
また楼閣の周囲の三方は縁側となっており鷄子閣欄干という欄干を配しています。建物の後は板の間となっており、周囲の縁側を経て正面の板の間とつながる構造となっています。
また後壁にある戸の下の部分には穹板(クンパン)という板がやや高めにはめられているのもこの建物の特徴です。 亭子の左右にある部屋はオンドル部屋となっています。部屋の正面部分の戸は一般的な両開きの戸が取り付けられていますが、部屋の後ろ側の戸は格子模様で三分割の上開きの戸が取り付けてあります。
建物正面をすべて開放できるようにし周囲を縁側にする亭子の構造は稀で、他には同じ安東・吉安面にある薬渓亭(ヤッケジョン)が似た構造となっている程度です。
柱には蓮の蕾の装飾を施した二翼工様式の牛の舌のような形をした飾り板が突出し、この様式から朝鮮時代後期に取り付けられたものと思われます。朝鮮時代末期の派手な様式とは異なり品格のある作りとなっています。
柱貫の上部には蓮の花を施した華盤を設け、趣向を凝らした造りとなっています。 屋根の部分は5本の桁を渡して作った五梁家(オリャンガ)造りとなっており、大梁の上に束柱を立て、棟と梁を乗せ、その上に梯形(台形)の束板を取り付けています。
[文化財情報]
分類:楼(亭)閣
指定:慶尚北道文化財資料第173号
指定日:1986年12月11日
時代:朝鮮時代
6.8 Km 1 2023-10-30
キョンサンブクト アンドンシ クムソジュンアンギル 48
+82-10-5191-3697、 +82-10-3057-2223
安東臨河面に位置する「マンチョゴテック」は、150年余りの歴史を持つ朝鮮高宗時代の臣下であるマンチョイム・ドンハンの家屋で、安東市の文化遺産であります。後ろには山があり、前には川が流れ、背山臨水の名所です。古宅はサランバン、小部屋、広間、サンバンで構成されていて、全てオンドル部屋で暖房をして、暖かく泊まりながら静かさを感じられます。宿所の前にあるグンソ生態公園や安東浦タウンを訪問し、多様な体験活動も楽しめます。
7.6 Km 87 2021-04-01
慶尚北道安東市臨河面キルマジェギル18-15
慶尚北道安東の臨河湖近くに位置している五柳軒では、現在古宅宿泊体験ができる。粛宗(朝鮮第19代王)時代に大司成を務めた金邦杰(キム・バンゴル)の三男、贈左承旨の木窩・金遠重が1678年別家して建てた五柳軒は、木窩古宅とも呼ばれる。国家民俗文化財第184号。格子や板の間などが朝鮮時代における支配階級の住宅の美しさを素晴らしく表現し、サランチェと大門棟は繊細な建築美が目立つ。アンチェ(母屋)は本来の様子をそのまま維持していて、サランチェは1920年に建て直した。1990年に臨河ダムが建設され今の場所に移ってきた。
オーナーがアンチェとサランチェで暮らし、古宅体験に提供されるスペースには最大4人まで宿泊できる2間の部屋と板の間、バスルームを兼ねたトイレがある。炊事はできないが、ゲスト専用の小さな前庭でバーベキューが楽しめる。朝食に蓮葉飯や鶏粥など韓食類を無料で提供する。近くの臨河湖でウォーターレジャーを楽しみ、晩休亭・河回村・陶山書院なども見物できる。
7.7 Km 22370 2020-04-02
慶尚北道 安東市 臨東面 知礼芸術村キル427
+82-54-852-1913
安東臨河ダムが建設されたことによりできた「知礼(チレ)芸術村」は、芸術創作村として知られています。
安東市臨東面知礼里が臨河ダム建設により水没する境遇に置かれたため、知礼芸術村の現・村長であるキム・ウォンギル氏が水没対象地域にあった義城金氏芝村派宗宅と書堂、祭庁など、約10棟の古宅を裏山の中腹に移し、芸術家の創作活動、外国人の韓国伝統文化体験、一般人の伝統生活体験ができる場所として運営しているのが「知礼芸術村」です。1990年には文化部から芸術創作村に指定されました。
知礼芸術村では生活文化体験、儀礼文化体験、自然体験、学習文化体験、芸術文化体験、 精神文化体験など多様な古宅体験を楽しめます。生活文化体験では韓服を試着したり、韓食を味わったり、韓屋で宿泊することができ、儀礼文化体験ではソルラル・秋夕といった年中行事体験や祭礼体験、歳時風俗体験、礼節教育など、自然体験では水遊び、魚とり、昆虫採集、植物採集、夜空観測、野生動物観測などをすることができます。
11.1 Km 5707 2021-10-22
慶尚北道 青松郡 巴川面 チュンドゥル2キル 22-2
+82-54-870-6247
棲碧古宅(ソビョクコテク)は人里に近い端山を背に南東の方角に向いて建てられた韓屋の建物です。
この古宅は高麗時代の開国の功臣・壮節公(チャンジョルゴン)申崇謙(シン・スンギョム)将軍の子孫・申漢昌(シン・ハンチャン)が分家する際に建てた家屋です。
その後、申致亀(シン・チグ)が朝鮮時代後期の英祖15(1739)年に拡張増築を行い、棲碧という号を付け、現在の名称である棲碧古宅と称するようになりました。
正面6間、側面4間の中庭を囲むように口の字型に建てられた韓屋となっています。
11.1 Km 71381 2023-10-23
キョンサンブクト アンドンシ スゴクヨンギェロ 1714-11
+82-54-822-6661
「スエ堂」は、独立運動家のスエ·ユ·ジンゴル先生が1939年に建てた家であり、慶尚北道の文化財の資料であります。入母屋の正寢とギヨクの文字型の古房棟が向かい合っており、その間には中庭があり、門は5間の規模のソスルデムンがあります。臨河ダムの建設で、水没地区に入ることになって、1987年には現位置に移転し、部屋と板の間は、黄土と天然塗料で仕上げ、スエ堂からみられる湖の全景がとても美しい。
11.1 Km 7703 2021-10-22
慶尚北道 青松郡 巴川面 チュンドゥル2キル 16
この韓屋は平山(ピョンサン)申氏(シンシ)判事公派(パンサコンパ)宗宅の建物で、申漢泰(シン・ハンテ=1663~1719年)が朝鮮時代の第19代の王・粛宗(シュクチョン=在位・1674~ 1720年)の時代に建てられた建物です。
村に近い端山を背に南向きに建てられているこの家屋は高柱の大門を入ると、舎廊(サラン)マダンの庭があり、庭の向こう側には主棟の建物が見えます。
主棟裏の右手には丘があり、その丘の上には祠堂があります。また主棟裏の左手には南向きに建てられた影幀閣(ヨンジョンカク)と書堂(ソダン)が建っており、朝鮮時代の士大夫(サデブ=両班)の邸宅の姿を感じさせます。
この邸宅の主棟は、正面7間、両側面5間、後面5間の規模で、中庭を囲むように立つ口の字型をした韓屋です。
主棟正面の左右に1間ずつ付属の建物が付けられており、正面7間のちょうど真ん中に建物の中へ入る中門があり、正面右側には舎廊房や板の間の部屋を配置し舎廊チェの建物として使い、舎廊房の後ろは中庭へと通じるような構造となっています。
11.6 Km 6136 2023-01-20
慶尚北道 青松郡 巴川面 松韶古宅キル 23-8
+82-10-9502-7611、+82-54-873-6502
すべての人々に開かれている自然の中の安息の場・察訪公宗宅は青松沈氏(チョンソン・シムシ)岳隠公・第9代子孫である察訪公・沈鐺(シム・ダン)の宗家として1933年・癸酉年の年に建てられ長年村の祀堂として使われた由緒ある家屋で、郷土文化遺産13号に指定されています。
建物は中庭を囲むように「コ」の字型の構造となっており、入口の大門は北向きになっているのが特徴です。
99間の広さを誇る松韶古宅(ソンソコテク)と塀を挟んで反対側に建っており、薪による伝統的な方式のオンドル部屋や広々とした中庭、家庭菜園などがあります。
都会では難しい韓屋の素晴らしさを体験したい人々のやすらぎの場を提供する察訪公宗宅。伝統韓紙で仕上げた客室、そして寝具には布団を用意、鳥のさえずり、風の音以外には聴こえない閑静な場所に察訪公宗宅はあります。
敷地内には神位を祀る祀堂(サダン)もあり、風情あふれる実家のような佇まいの宗宅です。