6.4 Km 28792 2022-07-05
インチョン広域市ソ区キョンソ洞(チャンド)
「永宗大橋(ヨンジョンデギョ)」は、仁川国際空港がある永宗島(ヨンジョンド)と獐島(チャンド)を繋ぐ橋です。長さは4.4キロメートルで道路と鉄道が通っており、橋の下を1万トン級の船舶が通過できるようになっています。世界初の3次元自定式つり橋で、強風や地震にも耐えられるように設計されています。韓国の土木建築物としては初めて日本の土木学会田中賞を受賞しました。
6.4 Km 17655 2024-02-16
インチョン広域市チュン区ウヒョンロ67ボンギル57
インハエジプは、1968年創業の老舗で東仁川(インチョン)サワラ通りの元祖のお店として知られています。看板メニューはサワラ焼きで、分厚いサワラは外はカリカリ、中はジューシーに焼き上げられており、香ばしい味で客の味覚を魅了してきました。スンドゥブチゲが含まれるインハエジプコースも人気メニューです。
6.4 Km 10051 2021-01-21
仁川広域市 中区 又玄路67番キル 57
東仁川駅前の仁川学生文化会館横の通り一帯がサワラ通りです。このサワラ通りは今から約40年前「仁荷の家」という食堂ができた事から生まれました。当時の仁荷の家は一般の家庭で客をもてなしており、今のサワラ通りの1本裏の通りに仁荷の家はありました。現在のように食堂として店を構えたのは約30年前で、その頃からサワラを扱う食堂がひとつふたつとでき、現在のように食堂が何件も並ぶようになりました。
サワラ通りでは当初、他の数ある料理の中のうちの1つとしてサワラを提供していましたが、特にサワラが人気を集めるようになったことでサワラを代表メニューとして扱うようになりました。
現在サワラ通りの仁荷の家の近くには、この通りで焼いたサワラを提供し始めた仁荷の家のおばあさんとおばさんの姿が描かれた壁画があります。この2人のおかげで現在のサワラ通りがあると言えます。2002年には区によりサワラ通りに指定され、通りの入口に大きく看板を掲げるようにもなりましたが、現在は大きな看板は全てなくなり各食堂ごとに特色のある看板を掲げています。この通りで食べるサワラは、店ごとの焼き方とつけて食べるソースにより若干の味の違いがあり、またサワラ以外の料理も店ごとに様々です。
6.5 Km 18851 2021-08-04
仁川広域市 中区 チャイナタウン路54
「豊美(プンミ)」は1957年に開業した店で、この店がある通りでは老舗の中華料理屋として知られています。唐辛子入りジャージャー麺(ソース別盛り)が人気メニューです。
6.6 Km 30341 2023-01-12
仁川広域市 中区 済物梁路269
仁川開港ヌリキルは、約100年前の歴史や文化に触れながら仁川中区の開港場エリアをめぐるウォーキングコースです。仁川駅から出発し、自由公園や韓中文化館など、主に近代歴史建築物を探訪するコースになっており、1時間・2時間・3時間コースがあります。仁川開港ヌリキルは事前予約制で(10人以上の個人または団体)、3月から11月まで運営されています(火曜日~日曜日(祝日を除く))。10人以上の個人または団体が3日前までに予約した場合、参加費なしで文化観光解説ガイドと一緒にめぐることができます。
1時間コース:仁川駅⇒チャイナタウン通り⇒三国志壁画通り⇒自由公園⇒済物浦倶楽部⇒仁川近代建築展示館⇒韓中文化館
6.6 Km 8766 2024-02-28
仁川広域市チュン区チェムルリャンロ232ボンギル46
自由公園は仁川港が開港し5年後に造られた韓国初の西洋式公園です。
敷地が高台にあり広々とした園内には木々も鬱蒼と生い茂っており、散策におすすめの公園です。
公園の最も高台になっているところには韓米修好100周年記念塔が建っています。1882年4月韓国と米国の間で調印された韓米修好通商条約締結を記念し、100周年となった1982年に建てられたものです。
韓国戦争(1950~53年・休戦)で仁川上陸作戦を成功に導いたマッカーサー将軍の戦功を称えるマッカーサー将軍銅像もすぐそばにあります。銅像は仁川上陸作戦が成功裏に終わった7年後の1957年9月15日に完工しました。
自由公園の高台からは遠く仁川沖まで眺められます。自由公園内には小さな動物園や八角亭、然吾亭、ベンチなど憩いの場もあります。
マッカーサー銅像があることから、お子様連れの方々にはよい歴史教育の場としてもご活用いただけます。
毎年4月になると自由公園へ上る道は桜の花で満開となります。この時期に合わせて桜祭りも開催されています。
公園の高台から眺める仁川港や月尾島(ウォルミド)の風景も最高です。夜が更けるころになると自由公園から一望する仁川港の夜景は大変素晴らしく、カップルのデートコースとしても大変有名な場所となっています。
近くにはチャイナタウン、新浦洞(シンポドン)市場、仁川百貨店などがあります。少し足を伸ばせば沿岸埠頭、月尾島へも行くことができます。
時間に余裕があれば、自由公園から下ってくる道すがらにある虹霓門(ホンイェムン)に立ち寄ってみるのもおすすめです。虹霓門は仁川に住む日本人が自国の租界と杻峴(チュクヒョン)駅(現在のKORAIL京仁線・東仁川駅)を繋ぐ道路を造るため鷹岩山(ウンアムサン)の山の一部を削る形で1906年に着工、2年後の1908年に完成したトンネル状になった門です。この門の上部の形がアーチ型で虹の形に似ていることから、虹霓門と呼ばれるようになりました。
6.6 Km 3 2020-03-25
仁川広域市 中区 新浦路23番キル 101
過去と現在が行き交い、歴史と文化が共存する仁川(インチョン)中区(チュング)にある中区生活史展示館。
この中区歴史博物館には大仏ホテル展示館と1960年代から70年代の韓国の生活ぶりが分かる生活史展示館の二つの展示館があります。
大仏ホテル展示館は韓国初の西洋式ホテル・大仏博物館の歴史を紹介する展示館で、生活史展示館では1960年代から70年代にかけての仁川・中区の人々の生活の歴史を垣間見ることができます。
[出典:中区生活史展示館]
6.6 Km 25226 2020-08-12
仁川広域市 中区 開港路45番キル 21-32
英国海軍従軍神父C.J.コーフ(Charles John Corfe=韓国名・高要翰=コ・ヨハン)主教など宣教師6人は1890年9月29日仁川港にその第一歩を記し、朝鮮における宣教活動を開始しました。
この内洞(ネドン)聖公会聖堂の建物は翌年の1891年9月30日に竣工し、1902年一時、ロシア領事館として使われましたが、1904年からは聖公会神学院となり、1956年まで利用されました。
建設当時の建物は6・25戦争(韓国戦争=1950~1953年・休戦)中に焼失し、1956年6月23日に再建にこぎ着け、今日に至ります。
建物は屋根の木造トラスを除き、外壁や主な建築部材は花崗岩で強固に積み上げられた中世風の石造となっています。建物の一部には韓国の伝統的な木構造の軒様式を取り入れ、また窓や壁面部分が素晴らしい作りとなっています。