18.6Km 1433 2023-11-07
インチョン広域市カンファ郡カンファ邑ヒャンナムギル5ボンギル12
1933年韓国資本として設立された江華(カンファ)初の人絹(レーヨン)工場・朝陽紡織。時代が過ぎ、江華の織物産業は衰退し、廃墟と化してしまいました。廃屋同然となったこの建物を現在の持ち主が買い入れ、改修工事を行ない、巨大なカフェに生まれ変わらせたのが、現在の朝陽紡織カフェです。
崩れる寸前の壁は素晴らしい美術館や映画館に変身し、巨大な作業台は珈琲テーブルに作り替えました。紡織機も工場労働者もいなくなったスペースには中国や欧州からかき集めた骨董品で埋めつくされています。割れたガラス窓がそのままの英国製ドア、チェコの昔の汽車についていた丸型のミラー、冬になると活躍するたい焼き機が元々ここにずっとあったかのように置かれています。
990平方メートル、およそ300坪超の工場跡や建物の骨格そのものを活かした朝陽紡織カフェには、永い歳月の名残があらゆるところにみられます。
18.7Km 24589 2024-09-20
仁川広域市 江華郡 江華邑 郷校キル 58
1127年(仁宗5)3月に賢儒の位牌を安置、位牌を祀り地方の人の教育のために高麗山の南方に郷校が建てられました。1232年(高宗19)に現在の甲串里に移されましたが、蒙古軍の侵攻により再び西島面に移されました。その後、江華郡へと移され、1624年(仁祖2)に江華留守(地方官)の沈悅が松岳山(現在の北山)の横に復元しました。1629年には江華府尹の李安訥(イ・アンヌル)が明倫堂を設立し、1688年(粛宗14)に留守の閔蓍重(ミン・シジュン)が 南門の近くに移しました。1731年(栄祖7)には、留守の兪拓基(ユ・チョッキ)が現在の位置に移し、1766年に留守の李溵(イ・ウン)が修復すると同時に小東門の外にあった碑石を現在の位置へ移しました。京畿道の文化財資料に指定されており、大正殿、明倫堂の東廡、西廡、祭器庫、厨房などが現存しています。前面5間、側面3間の切妻屋根から成る大正殿には五聖、十八賢の位牌が安置されています。朝鮮時代には国家から田畑や労賃・典籍などの支給を受け、教官が教育を行いましたが、現在は教育は行われておらず、春や秋に釈奠、1日・15日に焼香を行い、1名の典校と数名の掌議が運営を行っています。
18.8Km 0 2024-02-21
キョンギ道キンポ市チャンヌンロ66
カチョンリンポークグイグイセンター金浦(キンポ)店は、精肉店直営の焼き肉屋で、大きな韓屋の建物です。1階の畜産物卸売センターでは、様々な部位の韓牛と韓豚を販売しています。購入したお肉は2階の焼肉館ですぐに焼いて食べられます。新鮮な上質のお肉をリーズナブルに楽しめるのが魅力です。プルゴギの寄せ鍋、網焼きプルゴギ、ユッケビビンバ、カルビタンなどのメニューも人気です。
18.8Km 2629 2021-07-08
京畿道 高陽市 徳陽区 東軒路199-11
京畿道の北部地方では、麺やすいとんを入れて作ったスープたっぷりの料理を「トルレギ(辛味スープ)」といいます。「テジャゴル土俗飲食(テジャゴルトソクムシク)」は、30年以上受け継がれてきた京畿道北部地方を代表する郷土飲食店で、代表メニューはドジョウの辛味スープです。ここの主人は料理に使われる野菜や主原料のトウガラシを自家栽培するほど料理への情熱を持っています。
18.9Km 29996 2022-12-16
京畿道 金浦市 長陵路79
金浦(キンポ)にある「章陵(チャンヌン)」は、仁祖の父として追尊された元宗とその妃である仁献王后・具氏の陵です。元宗は宣宗の5番目の息子で、両親への孝行心や兄弟への友愛に篤かったといいます。1615年に元宗の3番目の息子である綾昌君が誣告(事実ではないことを偽り告発すること)され、江華島への島流しにあい、自ら命を絶つと、これにショックを受けた元宗は1619年に若くして亡くなりました。章陵の周囲は恭陵のように整えられ、平穏で心地よい印象を与えています。近くには章陵の寺院である金井寺があります。
19.0Km 22650 2024-09-20
京畿道 坡州市 法院邑 紫雲書院路204
父・李元秀と母・申師任堂の間に生まれた、朝鮮中期を代表する学者で経世家である栗谷・李珥先生(ユルゴク・イイ)の遺跡です。
栗谷・李珥は、九回受験した科挙で全て壮元(一等)だったため「九度壮元公」と呼ばれ、大司諌、大司憲、大提学、刑曹・ 兵曹・吏曹判書といった要職をすべて歴任しました。また、彼は朝鮮儒学界において退渓・李滉と双壁を成す代表的な学者として畿湖学派を形成し、党争の調整、10万大軍の養成、大同法、社倉実施などに尽力しました。
遺跡地内には栗谷・李珥をはじめとする家族の墓、紫雲山の麓に彼の位牌を祀る「紫雲書院」、1683年に建立された「紫雲書院廟庭碑」と「李珥先生神道碑」がある他、栗谷・李珥の遺品および一代記を展示した「栗谷記念館」があります。
1973年に紫雲書院、栗谷李珥廟、申師任堂廟はそれぞれ京畿道文化財に指定されましたが、2013年2月、栗谷李珥関連の遺跡がひとつの空間に集まっている、その場所性が認められ国家史跡「栗谷李珥遺跡」に昇格しました。
19.0Km 48959 2022-07-05
インチョン広域市カンファ郡プルン面ヘアンドンロ466ボンギル27
1618年に高麗時代の外城を補修し1656年に「広城堡(クァンソンボ)」を設置しましたが、この堡の墩台は1679年に築造されたものです。1745年に完全な石城に改築され城門も作られました。広城堡は辛未洋擾(しんみようじょう)の当時最も激しい激戦地で、1871年4月24日にアメリカのロジャースが通商を要求し艦隊を率い1,230人の兵力で侵攻した時に、上陸部隊は草芝鎭と徳津鎭を占領した後、広城堡に到達し白兵戦を展開しました。朝鮮軍指揮官の魚在淵(オ・ジェヨン)将軍の元、全兵士が勇敢に戦い、砲弾が尽きると剣と槍で、刀と槍が折れると石と拳で最後の一人まで退かず捕虜にもならず壮烈な最後を遂げました。
広城堡には当時使用された大砲や砲台などが残っており、そこから見下ろす海の景色と墩台の曲線が印象的です。また、史跡に指定されており、毎年旧暦4月24日には魚在淵将軍をはじめとして、戦死した無名の勇士達のために広城祭が行われます。
19.0Km 2258 2022-05-13
京畿道 坡州市 広灘面 ソウォンキル333
+82-31-940-9400
ソウォンバレー・グリーンコンサートは、企業利益を社会に還元する企業文化の形成と、ゴルフ場を文化空間とすることでゴルフの大衆化を図っています。会員の後援やイベントの収益で困っている人々をサポートし、分かち合いの精神を育みます。