5.4Km 2019-03-20
忠清南道 舒川郡 長項邑 長山路101番キル 75
国立海洋生物資源館は海洋生物資源を体系的に保全し活用するためさまざまな研究を行い、多角的な展示及び教育を通じて海洋生物資源の大切さを一般市民へ周知する役割を担っています。多彩な海洋生物展示や4D上映、展示説明などがあります。
5.6Km 2024-04-08
チョンブク特別自治道 クンサンシ プゴク3(サム)ギル 6
+82-63-468-0707
全羅北道の群山市の羅雲洞にある「ホテルボム」は、旅行客の便宜のため、客室にウォッシュレット、軟水器などを備えています。スイートルームには障害者専用の客室も用意しました。浄水器、コーヒーマシンが用意された休憩室を運営し、フロントで簡単な英語案内のサービスを提供します。夜景が美しい銀波遊園地と散歩に良い月明公園が近くにあり、車で10分の距離に古郡山群島を巡れる遊覧船ターミナルがあります。
5.7Km 2024-04-07
チョンブク特別自治道 群山市 ハンバッアンキル30
名勝地、仙遊島と西海岸の関門、群山市を代表する「リッツプラザホテル(Ritz Plaza Hotel)」は、品格ある施設にゆとりあるレジャー、ウェルビーイング、休養空間が調和した観光ホテルです。美しい銀波湖を眺めることができる最高級の客室と韓食、洋食、ビュッフェレストランの他、ウエディングホール、大宴会場、中宴会場、カフェバーなどがあります。
5.9Km 2019-05-31
忠清南道 舒川郡 長項邑 長項産団路34番キル 74-45
長項スカイウォークは美しい松林と干潟を誇る長項(チャンハン)松林山林浴場にある高さ15メートルのスカイウォーク・展望台です。
目の前に遮るものがなく一面に広がる空と海を歩いているかのような涼しげで、ちょっぴりスリリングな楽しさを感じる場所です。 スカイウォークの一番先端には展望デッキもあり、周囲の素晴らしい眺望を眺めることができます。
6.0Km 2024-04-08
チョンブク特別自治道クンサン市プウォンロ97-9
慕山房(モサンバン)は、健康を第一に考え、あっさりとした料理を提供する韓定食専門のお店です。サラダ、緑豆のチヂミ、粗挽きカルビ焼き、きのこの甘酢炒め、スズキの天ぷら、バックリプ焼き、きのこの寄せ鍋などボリューム満点の慕山房韓定食が看板メニューです。古風な雰囲気に包まれたお店で韓国の手作り料理を堪能することができます。夕食の場合、予約が必要です。
6.2Km 2024-04-07
チョンブク特別自治道 群山市 米龍洞
+82-63-454-4896
全羅北道群山市にある「銀波湖公園(ウンパホスゴンウォン)」は、本来農業用貯水池でしたが、貯水池を中心に付近の小さな山々を含め、1985年に国民観光地に指定されました。夕暮れ時のきらきらした波がとても美しいため「銀波」と呼ばれているここは、朝鮮時代以前につくられていたことが地理学者・金正浩先生の大東輿地図にも表示されているほど歴史深い所です。
遊園地の入口から続いてる散歩道は桜並木がトンネルを作り、春になると艶やかな桜に彩られて印象的で、家族や恋人達のデートの場所として愛されています。特に、銀波湖公園の名物である「ムルピッ橋」は、五色絢爛な「音楽噴水」とともに幻想的な夜景を演出し、訪れる人々を魅了しています。この他にもインラインスケート場、水辺舞台、蓮の自生地など見所がたくさんあり、群山を代表的する観光地、夜間の観光名所として人気があります。
7.8Km 2024-12-02
チョンブク特別自治道 群山市 開井面 パルメキル 53-5
2005年国家登録文化財に指定された嶋谷金庫は日帝強占期の群山(クンサン)地域を代表する農場主であった嶋谷八十八が1920年代に建てた蔵です。
嶋谷は韓民族の文化財収集に関心を寄せ、鉢山里石塔や五重石塔をはじめとした数多くの芸術品を不法に収集した人物です。この建物は嶋谷が収集した骨董品を保管していた場所でした。
建物は3階建てのコンクリート作りで入口には鉄製の金庫の扉がついています。
窓は鉄格子と鉄板の二重構造の仕掛けとなっています。
現在、鉢山初等学校の場所に農場を持っていた嶋谷八十八は日本の山口県玖珂郡出身で、日本において酒造業で財を成し清酒の原料である廉価の米を求めこの群山に来た人物でした。
1903年12月当時7万円で鉢山里周辺の土地を買収し農地を開き始め、1909年になると臨陂(イムピ)のほか2つの面に486町歩の農地を所有する農場主となりました。
土地に対する執着がとても強かった嶋谷は韓国が解放された後、アメリカ軍政庁に韓国人になるべく帰化申請し、他の日本人が帰国した後も最後まで帰国を拒否、そのため嶋谷は群山の最後の日本人農場主という別名で呼ばれることになりましたが、結局、米軍政庁の強制的な勧告により鞄二つだけを手に釜山港から最後の帰国船に乗らなければなりませんでした。
この建物は半地下である1階部分と地上部分2階分ある総3階建て構造の一体型で作られ、内部の各階は板の間で仕切られた建物です。外部へ通じる窓には鉄格子があり、その外側へ鉄の扉がつけてあり2重の防犯となっています。
出入口にはUSAのマークが鮮明にある扉があり、第二次世界大戦以前にアメリカから輸入した輸入品であることがわかります。金庫の半地下には生地や食料品があったといわれ、2階には農場の重要書類や現金が、3階には韓国の古美術品が多数所蔵してあったといいます。