18.2Km 2021-08-17
ソウル特別市 鐘路区 飛鳳キル137
+82-2-395-9911
「金仙寺(クムソンサ)」は北漢山国立公園内にある寺院でソウルの閑静な住宅街を抜けると見えてくる静かな登山道を上がった場所にひっそりとあります。車では上がることができないような細い道で、渓谷をや四季折々の自然を感じることができます。
18.3Km 2021-12-21
京畿道 富川市 素砂路482
韓国の人々は、古代から弓を作り、弓の扱いに非常に長けていたとされています。古代から近代に至るまで繰り返されてきた数多くの戦争で、弓は重要な武器として重宝されてきました。「富川(プチョン)弓博物館」は、弓に込められた昔の人々の魂と知恵を未来に伝えることを目的に建設されました。
文化財としての価値と重要性が認められ、1971年国家無形文化財「弓矢匠」として保護され、今日まで富川市素砂区深谷本洞を中心に5代・160年以上その伝統が脈々と受け継がれてきたのが国弓です。
展示館には弓や弓矢、火車など国弓に関する各種品物や遺物が展示されており、韓国特有の弓に込められた昔の人々の魂と知恵を伺い知ることができます。
18.3Km 2020-12-19
京畿道 金浦市 大串面 薬岩里965-7
「薬岩紅塩泉観光ホテル」は、71の客室と各種施設が揃ったホテルで、約1千名を同時収容できるマンモス浴場があります。
江華と大明里間の草芝大橋が目の前にあり、江華島への外出とともに、ソウルや仁川地域の週末の外出を兼ねた紅塩泉入浴で脚光を浴びているスポットです。紅塩泉の特徴は、朝鮮時代に江華の哲宗大王が目の病気にかかり、故郷の江華に来る途中、ここの水で目を洗い病気が治ったため地名を薬岩としたと伝えられています。
紅塩泉湯とは、地下岩盤460メートルから熟成湧出され大気中で汚染されない純粋な光塩泉水で、塩分が海水濃度の10分の1程で、鉄分と無機質が多量に含まれています。湧出後10分程度経つと色が赤く変わるのが神秘的な世界唯一の水です。
18.3Km 2024-02-08
キョンギ道パジュ市クァンタン面ソリョンウォンギル41-104
昭寧園森の中(ソリョンウォン・スプソク)は、昭寧園の森の中に位置している鴨肉レストランです。皮ごと切った鴨に塩とコショウをかけて焼肉で食べる鴨ロースを注文すると、おかずと共にじゃがいも、玉ねぎ、きのこが出てきます。釜飯を注文すると食事の仕上げとしてテンジャンチゲと鴨肉スープのどちらかを選択して食べることができます。ガラス越しの美しい景色と共に和やかに食事を楽しめる個室も用意されています。
18.4Km 2021-07-31
京畿道 楊州市 長興面 護国路 255-41
朝鮮時代の第11代の王・中宗(チュンジョン=1488~1544年・在位1506~1544年)の王妃(正室)端敬王后(タンギョンワンフ=1487~1557年)慎氏(シンシ)の陵です。
朝鮮時代第10代の王・燕山君(ヨンサングン=1476~1506年・在位:1494~1506年)治世の時代に左議政という高い官職にあり、その燕山君の次男である慎守勤(シン・スグン)の娘として生まれた端敬王后は、1499(燕山君5)年13歳という若さで晋城大君(チンソンテグン=後の中宗)と結婚、その後起きた反正(政変=中宗反正[チュンジョンパンジョン])により燕山君から王位を奪い、晋城大君が王位に就き中宗となると王妃となりました。
しかし政変の過程で政変を主導した勢力が、退位させられた燕山君の側近で端敬王后の父・慎守勤を殺害、その娘で王妃となった端敬王后は逆賊の娘ということですぐさま王妃の位を追われました。
その後、端敬王后は1557(明宗12)年にこの世を去り、一度は慎氏の墓に埋葬されましたが、1739(英祖15)年に復位され、廟号(贈名)を端敬、陵号を温陵(オンヌン)としそれ以降、端敬王后が眠る陵を温陵と呼ぶようになりました。
陵の裏手は曲垣で囲い、石羊(ソギャン)・石虎(ソコ)をそれぞれ1対、陵の左右に陵を守る形で配置、陵の手前には供え物などを置く平たい石・床石(サンソク)と墓前に建てる石灯篭・長明灯(チャンミョンドゥン)を設け、このほか陵の周囲には墓の両脇に建てられる一対の石柱・望柱石(マンチュソク)、文官の形をした文石(ムンソク)、馬の形とした馬石(マソク)なども建てられました。
動物の形の彫刻を半分に減らしているのは、妃陵として奉られた墓の先例に従ったものです。墓の下には祭祀を行う部屋(祭室)がありましたが、1970年に行われた道路拡張工事によりなくなってしまいました。