17.6Km 2023-10-12
キョンギ道スウォン市チャンアン区ヨンファ洞320-2
「水原華城(スウォンファソン)」は、朝鮮第22代王・正祖が父・思悼世子に対する孝心と経済力を備えた新都市を建設しようと計画し、1794年~1796年にかけて造られました。城壁の全長は5.7キロメートルで城壁の上には、体を隠して敵を監視・攻撃できるよう、いくつもの銃穴が空けられた女墻(胸壁)があります。また、東西南北四方向に城門(蒼龍門(東)・華西門(西)・八達門(南)・長安門(北))を設けるなど、他の城には見られない軍事施設を備えています。城内には小川が流れており、小川と城壁が交差する所に水門が設置されています。水門は7連のアーチ橋で構成され、その上には華虹門という楼閣があります。華城は実学者と呼ばれる柳馨遠(1622~1673)と丁若鏞(1762~1836)の意見を参考にし設計されたもので、韓国の城郭の中でも科学的に最も優れているとの評価を受けています。特に城郭の築城に石材と煉瓦を併用したことと、矢と槍を防御しつつ銃砲を撃つことができる構造は大変優れたものとされています。
これまで長い年月の間に城郭がかなり損傷を受け、韓国戦争(朝鮮戦争)の動乱により多くの施設が破損してしまったため1975年から補修・修復がなされ現在に至ります。また、水原華城は1963年1月に史跡に指定され、1997年12月には昌徳宮とともにユネスコ世界遺産に登録されています。
17.6Km 2024-02-23
インチョン広域市ナムドン区ムネミロ236
仁川(インチョン)大公園は、仁川広域市東部公園事業所が管理する11の都市自然公園のひとつで、冠帽山(官帽山・クァンモサン)と象牙山(サンアサン)の麓に広がる仁川広域市南洞区(ナムドング)長寿洞(チャンスドン)にある公園です。
仁川大公園は仁川唯一の自然緑地大公園(約294ヘクタール)として年次的造成事業(1982~2006年)に基づき造成された公園で、都会暮らしに疲れた人々に快適な憩いの場を提供する生命の森にもなっています。
17.7Km 2024-02-07
キョンギ道アニャン市マナン区サンマクロ478
三幕寺(サンマクサ)は、三聖山(サムソンサン)にある寺院です。667年に元暁大師(新羅時代の高僧)が創建したと伝えられており、境内には千仏殿、六観音殿、冥府殿、望海楼、七宝閣などが建っています。仏教と民間信仰の融合を示す三幕寺磨崖三尊仏、男女根石などの文化財は、その長い歴史を物語っています。
17.7Km 2024-06-27
キョンギ道アニャン市トンアン区フンアンデロ524 103号、106号
-
17.7Km 2019-01-24
仁川広域市 延寿区 コンベンシア大路153
+82-32-835-1000
「シェラトン仁川ホテル」は、2009年8月1日に北東アジアのビジネスハブ都市、仁川松島の国際業務団地にオープンした特1級ホテルで、世界的なホテルチェーンのスターウッドが運営しています。
地下2階、地上22階建て規模で全319の客室を有しています。モダンで高級感溢れる雰囲気と、洗練された最新建築デザインが調和を成しており、インテリアや細部に至るまでエコにこだわっている新感覚の特級ビジネスホテルです。
ホテルのメインロビーには、インターネットを無料で利用できるビジネス空間が用意されています。また、3階と4階にある9つの宴会場は、最新設備と照明が備わっており、各種カンファレンスやパーティーなどを行うことができます。6階には最新設備が備わったフィットネスセンターと室内プールがあります。
シェラトン仁川ホテルは、仁川大橋を利用すれば仁川国際空港まで車で約20分、その他コンベンションセンターやセントラルパーク、ジャック・ニクラウスゴルフ場などとも隣接しています。
17.7Km 2024-06-27
キョンギ道プチョン市ソサ区オッキルロ124(オッキル洞745-5、6)、101、102号
-
17.7Km 2022-12-27
キョンギ道スゥオン市パルダル区チョンジョロ825
八達山の頂上には孝園の鐘があります。孝園の鐘という名称は市民の意見を反映し命名されました。鐘には市のシンボルであるイチョウの木、クロフネツツジ、鳩と華虹門をはじめとした水原華城の重要文化財がきざまれています。孝園の鐘は父・ 思悼世子への朝鮮時代の王であった正祖の孝行の心を讃えるために作ったものです。この鐘は3回鐘を撞くことになっていますが1回目は親の恩恵に感謝し、2回目は家族の幸せを願って、最後の3回目は自身の発展を願って撞きます。
大きさ : 直径 2.15メートル、高さ 3.54メートル
重さ: 3,300貫(約12.5トン)
世界文化遺産・水原行宮の後方・八達山山頂にそびえる西将台(ソジャンデ)は将帥が城の内外のみならず近隣地域まで監視・指揮したところで、華城を築城した正祖大王が5回登り、華城将台と扁額に直接揮毫したといわれています。