無等山 柱状節理帯(무등산 주상절리대) - エリア情報 - 韓国旅行情報

無等山 柱状節理帯(무등산 주상절리대)

無等山 柱状節理帯(무등산 주상절리대)

11.7 Km    35676     2021-02-15

光州広域市 東区 龍淵洞 山354-1

柱状節理は溶岩が冷めた時、収縮してできる節理で断面の形態が五角形または六角形の柱の形のことをいいます。無等山柱状節理は約7000万年前に形成されたもので瑞石台、立石台、圭峯が代表的です。立石台、圭峯は風化が進んだ柱の形をしていますが、瑞石台は風化がそれほど進んでおらず、屏風の形をしています。山すそにある小石の坂道はこのような石柱が崩れて堆積したものです。立っている岩や小石の坂道は岩石の形成と風化過程を見ることのできる珍しい自然遺跡で、天然記念物に指定されました。

時代:先史時代
数量/面積:107,800平方メートル(指定区域)

全羅南道 潭陽 昌平[スローシティ](전남 담양 창평 [슬로시티])

11.8 Km    8878     2021-04-16

全羅南道 潭陽郡 昌平面 トルダムキル 56-24
+82-2-383-3807

全羅南道潭陽(タミャン)郡昌平(チャンピョン)は農村地帯でトマト、イチゴ、ハウス栽培の野菜など近郊農業が盛んな所で、素晴らしい自然環境がいまもなお残りつつ、田園都市など今後の発展への潜在力を持つ、人情にもあふれ住みやすい美しいところです。
昌平(チャンピョン)という地名は高麗時代初期まで遡ることができ、これまで文武百官を輩出したソンビ(学者)の村として忠・孝・礼・信義を守り続けてきた村としてその名声を博しています。壬辰倭乱(日本で言う文禄・慶長の役)の時の義兵隊長だった霽峰・高敬明(コ・ギョンミョン)先生の次男・鶴峰・高因厚(コ・インフ)先生の11代子孫である大韓帝国末期の義兵隊長・鹿川・高光洵(コ・グァンスン)義兵隊長が生まれた義を重んじる村で、近現代に入って1906年4月1日私立長興学校を創設・開校し、新学問を教育した春崗・高鼎柱(コ・ジョンジュ)先生、国務総理や国会副議長、中央省庁のトップである長官、大法院(最高裁)判事、マスコミ界の重鎮・高在旭(コ・ジェウク)、初の工学博士・李升基(イ・スンギ)博士、初の女性農学博士・金三純(キム・サムスン)博士の故郷でもあります。
朝鮮時代に王への献上品として有名であった昌平米飴や韓菓、千年の神秘をとどめる竹塩、竹塩味噌、伝統トッカルビなどは韓国伝統の食べ物として昌平が誇るものです。

歴史
三韓時代 - 拘溪国
百済時代 - 屈支県
新羅時代 – 757(景德王16)年祈陽県
高麗時代 – 940(太祖23)年昌平県(別名として鳴平[ミョンピョン])。 1144(仁宗21)年、中央指定官として県令を置く。
朝鮮時代 –
1474(成宗5)年-昌平県を撤廃し光州牧に隷属させる形となったものの、金有山(キム・ユサン)が王に訴え 再び1479年昌平県となる。
1758(英祖34)年閔百禄(ミン・ペンノク)が昌平県誌を編纂し、1793年(正祖17)年昌平県令である趙光存(チョ・グァンジョン)が現在の古西面古邑里から昌平面昌平里82番地(昌平面事務所)に移る。
1895(高宗32)年5月26日南原府昌平郡(4等郡守)となる。
1896(高宗33)年8月24日全羅南道昌平郡として9つの面を管轄。

日帝強占期 – 1910年国権侵奪時代 - 昌平郡
1914年2月28日、部令第11号(1913年12月29日公布)により昌平郡が潭陽郡に編入され、昌平面に改称

※ 昌平という地名は孔子の出生地・魯の昌平郷とその地形などが似ていることから命名されたという説があります。
1990年4月1日付で南面外東里が昌平面に編入

コッピヌン春三月(꽃피는춘삼월)

コッピヌン春三月(꽃피는춘삼월)

11.8 Km    0     2024-02-13

クァンジュ広域市トン区ソンギョロ50

コッピヌン春三月(チュンサムォル)は、美しい韓屋で韓国の伝統茶とスイーツが味わえるカフェです。お店で煎じた薬材に栗、イチョウの実、ナッツなどを入れた双和茶がシグネチャーメニューです。小豆がたっぷりかかった黒米アイスクリーム入りカキ氷、香ばしい黄な粉ラテも人気メニューです。 伝統菓子の薬菓やカレトク焼きと一緒に食べると、より美味しくいただけます。

俛仰亭(면앙정)

俛仰亭(면앙정)

12.1 Km    19643     2021-01-07

全羅南道 潭陽郡 鳳山面 俛仰亭路 382-11

全羅南道記念物第6号に指定されたあずまや「俛仰亭」は全羅南道潭陽郡、鳳山面斎月里斎峯山のふもとに位置しています。1533年に宗純が建てたもので、李滉(イファン)をはじめ多くの学者や文人が学問について討論した場所です。

古宅ハノゲソ[韓国観光品質認証](고택 한옥에서[한국관광 품질인증/Korea Quality])

古宅ハノゲソ[韓国観光品質認証](고택 한옥에서[한국관광 품질인증/Korea Quality])

12.2 Km    14388     2019-05-22

全羅南道 潭陽郡 昌平面 トルダムキル88-9
+82-61-382-3832

「古宅ハノゲソ」はアジア初のスローシティに指定された潭陽郡昌平面のサムジネ村にある伝統家屋です。庭を中心として古宅やピョルチェ(離れ家)、サランチェ(別棟)、アンチェ(母屋)が配置されており、昔の田舎の情趣が感じられる15室の客室が用意されています。周辺観光地には瀟灑園や松江亭、竹緑苑、潭陽メタセコイアキルなどがあります。

[事後免税店] Olive Young・クァンジュソヌンジグ(光州仙雲地区)店(올리브영 광주선운지구점)

12.3 Km    0     2024-06-27

クァンジュ広域市クァンサン区オドゥンデロ418

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カフェカノク (카페하녹)

カフェカノク (카페하녹)

12.6 Km    0     2024-02-20

チョンラナム道タミャン郡チャンピョン面チャンピョンヒョンロ714-40

カフェカノクは古い韓屋を改修したカフェで、韓国ならではの伝統的な美しさとゆったりとした雰囲気が体験できる場所です。手作りのきな粉餅とワッフルを一緒に焼いて甘くて香ばしいきな粉餅ワッフルが看板メニュー。セーキとラテを融合した感じのエスプレッソセーキと一緒に食べてもおいしいです。カフェの至る所が伝統的な小物で飾られているので見る楽しさがあります。

圭峰庵(和順)(규봉암(화순))

13.2 Km    22571     2024-02-20

チョンラナム道ファスン郡イソ面トウォンギル40-28

圭峰庵(キュボンアム)は、無等山(ムドゥンサン)にある小さな庵です。新羅時代に創建されたと推定され、1959年の補修を経て現在の姿になりました。「圭峰庵を見てこそ無等山を下り給はめ」という言葉があるほど、風光明媚な場所にあります。秋は色鮮やかに染まる紅葉で広く知られ、奇岩怪石に囲まれています。

万淵寺(和順)만연사(화순)

万淵寺(和順)만연사(화순)

13.9 Km    19532     2020-02-19

全羅南道 和順郡 和順邑 真覚路367
+82-61-374-2112

「万淵寺」は、高麗熙宗4年(1208年)に万淵禅師によって創建されたと伝えられています。
万淵禅師が無等山・元曉寺で修行を終えて曹渓山・松広寺に帰る途中に無等山の主峰を越え、南へ下る途中に万淵山の中腹で疲れた体をしばらく休めて行こうと座ったところ眠ってしまい、その時、十六羅漢がお釈迦様に仕えるという不思議な夢をみました。目が覚めて四方を見回すといつのまにか雪が降り、辺り一面真っ白なのにもかかわらず、不思議なことに禅師が横になっていた、その周りだけは雪がとけて湯気がゆらゆらと上がっていました。この夢が気になり、ここを拠点に修行しながら万淵寺を創建したということです。
韓国戦争(朝鮮戦争)で全焼する前は大雄殿、十王殿、羅漢殿、僧堂、禅堂、東山室、西上室、東別室、西別室、守静寮、送月寮など三殿八房と大雄殿前の大きな説楼、その下に四天王門と三清閣、また附属庵として学堂庵、枕渓庵、東林庵、燕穴庵を持つ大きなお寺でした。現在は大雄殿、羅漢殿、冥府殿、寒山殿、寮舎、禅定庵、聖住庵があり、国家指定文化財宝物1345号の掛仏を保有しています。
寺院から東に2キロメートルのところに万淵瀑布があり、森や渓谷といった自然を楽しむことができます。また、茶山・丁若鏞先生が若い頃、父親が和順県監として赴任した際、万淵寺の東林庵に立ち寄った事がある他、国唱と呼ばれたパンソリの歌い手・林芳蔚先生が熱心に練習したところとして知られています。