Thai GARDEN(타이가든) - エリア情報 - 韓国旅行情報

Thai GARDEN(타이가든)

Thai GARDEN(타이가든)

746.1626076729614m    54     2021-03-31

ソウル特別市 中区 明洞キル 14
+82-2-754-3005

ソウル特別市のミョン洞に位置したアジア料理専門店です。タイのシェフが直接調理するお店です。代表的なメニューはパッタイです。

The Masyalla ( 더마샬라 )

The Masyalla ( 더마샬라 )

746.1626076729614m    71     2021-04-02

ソウル特別市 中区 明洞キル 14
+82-2-754-8939

明洞の近くに位置する、サラリーマンの間で有名なインド料理の名店です。ソウル特別市のジュン区に位置したインド料理専門店です。代表的なメニューはチキンカレーです。

TODAi 明洞( 토다이 명동 )

TODAi 明洞( 토다이 명동 )

746.1626076729614m    0     2020-12-25

ソウル特別市 中区 ミョンドンギル14
+82-2-3783-4200

海鮮をはじめとする韓国料理、洋食、中華料理、日本料理など250種類以上のメニューで構成されています。ソウル特別市のチュン区に位置した韓食専門店です。おすすめはビュッフェです。

徳寿宮石垣道(덕수궁 돌담길)

徳寿宮石垣道(덕수궁 돌담길)

748.3164746279695m    37045     2024-03-11

ソウル特別市チュン区セジョンデロ19ギル24

徳寿宮(トクスグン)石垣道は、徳寿宮の石垣沿いに続く道です。美しい照明と造景のため夜にもロマンチックな雰囲気が感じられます。ストリートパフォーマンス、フリーマーケットが開かれたり、貞洞道(チョンドンギル)沿いに立ち並ぶカフェ、グルメ店も多いです。秋にはイチョウと石垣が融合して素晴らしい景色を誇ります。ソウル市立美術館、ソウル歴史館などの主要文化施設からも近いため散策コースとして適しています。

南山ケーブルカー(남산 케이블카)

751.0136580670072m    17981     2023-12-26

ソウル特別市チュン区ソパロ83

南山(ナムサン)ケーブルカーは会賢(フェヒョン)洞から南山の頂上まで、ソウルの風景を一望しながら登ることができる施設で、1962年5月12日に運行を開始しました。運行距離は会賢洞乗り場から南山頂上にある芸場(イェチャン)洞乗り場まで約600メートルで、平均秒速3.2メートル、片道約3分、地上との高低差は約138メートルです。往路・復路2台同時に運行し、定員は48人となっています。定員がいっぱいの場合は往復92人を安全に運ぶことのできる施設を完備しています。

ソウル貞洞教会(서울 정동교회)

ソウル貞洞教会(서울 정동교회)

753.733009910754m    9410     2020-08-31

ソウル特別市 中区 貞洞キル46

ソウル貞洞教会は韓国で最初のプロテスタント系の教会です。1885年、アメリカのメソジスト監理教会の宣教師アペンゼラーは、韓国に入国し培材学堂を建て、近代教育を始めました。彼は学校で宗教活動をしましたが、礼拝のための建物も購入し、ベゼル礼拝堂と名付け、1887年から礼拝を始めました。教員たちが増えるにつれて500名ほどを収容できる規模の教会の建設が必要になり、1895年に工事をはじめ、1897年12月26日に奉献式を開きました。この建物は現在まで唯一残る19世紀の教会建築です。
建物の構造は1階建てですが、天井が高く2階建てに見え、南側の鐘つき堂は3階建てです。アメリカ式の単純化されたゴシック様式で、建設当時の写真を見ると、近所の瓦屋や徳寿宮とも調和しています。ここでは多くの討論会や音楽会などが開かれ、キリスト教文化の受容と民族意識の鼓吹に大きく貢献しました。竣工当時は十字型で115坪だったものを1926年に両側部分を建て増しし、現在は175坪ほどになりました。建て増しという形式のため、竣工時の建物は当時の姿のままで、損傷はありません。建物はレンガ造りで、所々にアーチ型の窓を作りゴシック様式の単純化された教会堂の姿を作り出しています。レンガをまっすぐに積んだ造りからは、朝鮮時代の木造建築の職人の技が垣間見えます。この教会堂の鐘は装飾のない内部の柱とともに素朴な雰囲気を持っています。全体的に素朴な雰囲気を持っている北米系統の単純化された教会建築です。

所有者:監理教財団
面積:1,143.8平方メートル

安重根義士記念館(안중근의사기념관)

安重根義士記念館(안중근의사기념관)

753.2642054065958m    37297     2024-03-12

ソウル特別市チュン区ソウォルロ91

安重根(アン・ジュングン)義士記念館は、韓国の独立とアジア平和を主張した独立運動家で軍人でもあった安重根(アン・ジュングン)義士を称えるための記念館です。彼は大韓帝国を守るために日帝に立ち向かい、1909年に大韓帝国侵略を主導した伊藤博文を中国のハルビンで暗殺、1910年に処刑されました。

[事後免税店] RIMOWA(リモワ)・ミョンドン(明洞)店(리모와 명동점)

[事後免税店] RIMOWA(リモワ)・ミョンドン(明洞)店(리모와 명동점)

753.4119141463128m    0     2024-04-29

ソウル特別市チュン区ナムデムンロ76 1階

-

徳寿宮(덕수궁)

徳寿宮(덕수궁)

755.130539188945m    101922     2024-06-19

ソウル特別市チュン区セジョンデロ99

史跡・徳寿宮(トクスグン)は、元々王宮ではなく、成宗(ソンジョン=1457~1494年・在位:1469~1494年)の兄にあたる月山大君(ウォルサンデグン=1454~1488年)の住居として使われていました。
1592年壬辰倭乱(日本で言う「文禄・慶長の役」)により王宮が全焼し、翌1593年、仮の王宮・行宮(ヘングン=離宮)として使われるようになりました。 壬辰倭乱により朝鮮時代第14代の王・宣祖(ソンジョ=1552~1608年・在位:1567~1608年)が都を離れ義州(ウィジュ)に避難、その後、漢陽(ハニャン=現在のソウル)へ戻ってくると、居をここ徳寿宮に構えました。 宣祖の後を継ぐ第15代の王・光海君(クァンヘグン=1575~1641年・在位:1608~1623年)は、1608年行宮となっていたこの場所で即位、1611年この行宮を慶運宮(キョンウングン)と改称し、以降7年間にわたり王宮として使っていました。しかし1615年になると、昌徳宮(チャンドックン)に居を移し、それ以降は270年に渡り、離宮として使われることになります。

朝鮮王朝第26代の王で大韓帝国時代には皇帝でもあった高宗(コジョン)(1852~1919年・在位:1863~1907年)が1896年2月からおよそ1年間、ロシア公館に一時身を寄せ、翌年、王宮に戻ってきましたが、その王宮がこの場所で、以降この場所が再び王宮として利用されることになりました。
高宗が再び王宮として使うようになり王宮の名称も再び慶運宮と呼ばれるようになり、その規模も拡大しました。そして、高宗皇帝は1907年、朝鮮王朝第27代の王・純宗(スンジョン=1874~1926年・在位:1907~1910年)に譲位した後も引き続きここに住み続け、王宮の機能は昌徳宮へと移りました。
引き続き、慶運宮に住むこととなった高宗ですが、高宗の長寿を願って、名称を徳寿宮と改称しました。

このような経緯があったことから現在、元々の慶運宮という名称を使うべきであるという声も上がっています。徳寿宮には過去、数多くの建物が存在していましたが、18,635坪(約6.2ヘクタール)の敷地に残っているのは、大漢門(テハンムン)、中和殿(チュンファジョン)、光明門(クァンミョンムン)、昔御堂(ソゴダン)、浚明堂(チュンミョンダン)、即阼堂(チュクチョダン)、咸寧殿(ムニョンジョン)、徳弘殿(トコンジョン)、そして石造殿など一部にすぎません。

徳寿宮は、特に朝鮮時代末期から大韓帝国時代にかけての旧韓末の悲運の皇帝・高宗が日帝の圧迫により譲位を強要され、恨(ハン)に満ちた余生を送り、1919年1月22日、徳寿宮の咸寧殿で日帝により毒殺されたと人々に伝えられ、翌々月の3月3日に予定されていた高宗の葬儀の直前の3月1日に起きた3・1独立運動の直接的な引き金となった現場でもあります。



* 大漢門 -大漢門は現在では徳寿宮の正門となっています。元々の名称は大安門(テアンムン)で、王宮の東門として使われていました。この大安門は1906年に再建され「大漢門」という名称がつけられました。扁額の文字は当時、漢城府(ハンソンブ=現在のソウル)判尹(パニュン=漢城府の長)を務めた南廷哲(ナム・ジョンチョル)によるものです。

* 光明門 -光明門は王の寝殿・咸寧殿の正門で、光武(クァンム)8(1904)年の大火により焼失したものを、同年再建したものです。1938年、石造殿を美術館として使い始め、貞洞(チョンドン)にあった興天寺(フンチョンサ)の梵鐘や昌徳宮の報漏閣(ポルガク)にあった自撃漏(チャギョンヌ)を現在の場所へ移した際に光明門も同時に移築して現在のところに建て直しました。

* 石造殿 -大韓帝国時代、外国の使節と接見した場所です。光武4(1900)年着工、隆熙(ユンヒ)3(1909)年完成した石造の建物で、朝鮮王朝で最後に建てられた大規模建造物です。建物の外観は十九世紀初めの欧州で流行していた新古典主義様式に倣ったもので、正面にある柱の上部にはイオニア様式で施しており、室内はロココ調の装飾がなされています。建物は3階建てで、1階には接見場所が、半地下階には侍従らの控室の場所として使われ、2階には皇帝のスペースとなっていました。植民地支配が終わりを告げた1945年の光復(クァンボク)以降は米ソ共同委員会会議場、国立博物館、国立現代美術館、宮中遺物展示館などとして利用されました。

* 咸寧殿 - 宝物に指定されている咸寧殿は1897年に建てられ、高宗皇帝が居を構えた建物として知られています。1904年の火災により焼失しましたが、同年建て直し現在に至っています。高宗皇帝は1919年1月21日この咸寧殿で薨去しました。その後使われなくなった咸寧殿に当時使われていた家具、書画、什器などを配置し、およそ100年前の王宮での暮らしぶりを改めて再現しました。

* 中和殿 - 大韓帝国の正殿として使われ、朝鮮王朝第26代の王・高宗の近代国家建設に懸ける自信が垣間見れる建物です。特に正殿内には御座の真上の天蓋を見ると、龍が二匹描かれているのが確認できますが、これは正殿の天井の龍のような模様となっており、徳寿宮が大韓帝国皇帝の皇宮であったことを感じされます。 現在残っている中和殿は1902年に重層の建物として建てられましたが、1904年の火災で焼失、その後1906年に平屋造りの建物で重建されました。

* 重明殿 - 重明殿(チュンミョンジョン)はロシアの建築家サバティ(Seredin Sabatin)の設計により1897年から1901年にかけて建築された皇室図書館です。地下1階を含む二階建ての西洋式の建物で、当初は漱玉軒(スオゴン)と呼ばれていました。2009年12月に復元され、2010年8月からは展示館「大韓帝国の運命をかけた場所、徳寿宮重明殿」として一般に公開されました。

* この他、昔御堂、浚明堂、即阼堂、静観軒(チョングァノン)、徳弘殿、報漏閣自撃漏などがあります。

徳寿宮大漢門(덕수궁 대한문)

徳寿宮大漢門(덕수궁 대한문)

755.130539188945m    20602     2024-03-06

ソウル特別市チュン区セジョンデロ99

大漢門(テハンムン)は、シチョン駅近くに位置している朝鮮の5大宮殿の一つである徳寿宮(トクスグン)の正門です。「大漢」という名前には、大韓帝国の永遠なる繁栄と発展を祈る意味が込められています。大漢門の前では毎日2回、守門将交代式が朝鮮の伝統的な服装と方式で年中実施されます。