2.7Km 2023-07-12
ソウル特別市ソデムン区トンイルロ251
+82-2-360-8590
西大門(ソデムン)刑務所歴史館は、大韓帝国末期に日帝の強圧により監獄が建設され、およそ80年間、韓国の近現代史の激動期の受難や民族の恨が宿る歴史の現場となったところです。
ここは韓民族の抗日独立運動に対する日本帝国主義の代表的な弾圧機関があった場所でした。
1908年10月21日に京城監獄という名称で開設され、日帝に国権が奪われたことに反抗する民族独立運動が全国規模で大々的に起こると、日帝は数多くの愛国志士を逮捕し投獄しました。
収容人数が増加すると、近くの同じソウルにある麻浦(マポ)の孔徳洞(コンドクトン)に別の監獄を建て、この場所にある監獄は1912年9月3日に西大門監獄と名称を変えました。
名称が変更されるほど多くの民族受難の歴史を経てきた西大門刑務所は刑務所としての役割を終えると、1992年8月15日、現在の「西大門独立公園」として再スタートを切りました。
現在は歴史性と保存価値を鑑み、7棟の建物のみを当時のまま保存され、その中でも獄舎の3棟と死刑場は史跡に指定されています。
西大門区では1995年から西大門独立公園史跡地に対する聖域化事業を開始しました。
祖国独立のため日帝の侵略に立ち向かい闘い投獄され、残忍な拷問と弾圧を受け、殉国した先烈らの魂を称え、後世に韓国の先烈らの自主独立精神を伝える歴史の生きた教育の場とすべく、1998年11月5日、この「西大門刑務所歴史館」を開館しました。
2.7Km 2024-03-04
ソウル特別市ソンブク区テサグァンロ3
美しい自然環境の中で韓定食が堪能できます。ソウル特別市のソンブク区に位置した韓食専門店です。おすすめは韓定食です。
2.7Km 2022-07-11
ソウル特別市チュン区トンホロ249
+82-1688-1110
「新羅免税店」は新羅ホテルの敷地内に位置しており、香水、衣類、バッグ、時計、宝石等、数多くの有名ブランドの品々を取り扱っています。ソウル地下鉄3号線「東大入口(トンデイック)駅」5番出口を出ると新羅ホテル正門がすぐに見えます。
2.7Km 2023-07-12
ソウル特別市ソデムン区トンイルロ251
+82-2-3140-8305
独立公園は1945年8月15日光復に至るまでの間数多くの愛国志士、そして1960年代の政治的変革により時局事犯者が数多く収監されたソウル拘置所があった場所です。
1987年11月にソウル拘置所が京畿道義王市へ移転、その後、監獄7棟、死刑場、地下女子監獄等を復元し、加えてタプコル公園にあった1919年日帝強占期に起きた独立運動を記念し作られた3·1運動記念塔を移転、迎恩門の唯一残った柱の基礎部分とあわせて1992年8月15日に独立公園として生まれ変わりました。
独立公園の南側には1895年に独立協会が建立した独立門(史跡)があり、北西方向へ少し離れたところに朝鮮時代に中国から来た使臣を接遇した独立館(当時は慕華館)を復元(1996年)し、その内部に国のために殉死した殉国先烈の位牌2,327柱を奉安しています。また、独立門の正面には中国からの使臣を迎えるために建てた迎恩門の石でできた支柱跡・迎恩門柱礎(史跡)があります。
その他殉国先烈追念塔、3・1独立宣言記念塔、独立協会を主導した徐載弼(ソ・ジェピル)博士の銅像などがあります。
また日帝の侵略に立ち向かい国権回復を図るため独立運動を展開し殉国した愛国志士の高貴な御魂を称え西大門区が西大門刑務所歴史館を別途、管理・運営しています。
※面積:113,021平方キロメートル
2.7Km 2024-12-02
ソウル特別市 中区 奨忠壇路 91
3.1独立運動記念塔は日本帝国主義の残酷な植民統治から祖国と民族の独立のため展開した3.1独立運動の崇高な精神を継承・発展させ、広く国民の護国愛国精神を高揚させることも目的に、全同胞の善意を集めソウル特別市中区(チュング)奨忠洞(チャンチュンドン)南山公園(ナムサンコンウォン)に建立されました。
1998年8月15日の大韓民国政府樹立50周年にあたる日に着工、3.1独立運動80周年を迎えた1999年3月1日に竣工しました。
塔の高さは19m19cmで、これは3.1独立運動の挙事が起きた1919年にちなんでいます。
3.1独立運動は世界初の非暴力平和運動であり、世界初のカトリック・プロテスタント・仏教の宗教連合運動でもあり、中国の5.4運動、インドの無抵抗運動をはじめ全世界の非暴力平和運動の契機となりました。
* 建立者 - 光復会(3.1独立運動記念塔建立委員会)
2.7Km 2024-03-07
ソウル特別市カンナム区サムソンロ126ギル6
+82-2-777-9007
プム・ソウルは、韓国の伝統料理にモダンな要素を取り入れた韓国料理店で、昔の王室や貴族の料理をベースに、旬の食材と天然調味料を使った韓定食コース料理を提供しています。ランチメニューとディナーメニューがあり、少なくとも1日前までに予約が必要です。2020年の「ミシュランガイド」に選ばれており、チョンダム駅6番出口から近い場所に位置しています。
2.7Km 2021-04-09
ソウル特別市 鐘路区 彰義門路118
「彰義門(チャンイムン)」は城郭の北小門で、「紫霞門(チャハムン)」という愛称でも呼ばれています。北大門である粛靖門(スッチョンムン)は常に閉鎖されており、その果たすべき役割を果たせていなかったため、この彰義門が代わりにその役割を果たしていました。そのため、人々は彰義門のことを北門と呼んでいました。
城の北側の郊外へ出たり、門近くの洗剣亭や北漢山へ行く場合にはこの門が関門となるため、利用量は少なくありませんでした。昔、彰義門の近くには紫色の霞が多くかかっていたため、彰義門の外は「紫霞の外」とも呼ばれていました。
彰義門は4つの小門のうち、その原形を唯一、現在まで残している門です。彰義門は、軒の下に木で作られた木製の鶏「木鶏(モッケ)」が掛けられているところが特徴的です。この鶏の由来は、風水の考えにあります。門の外の地勢がムカデと似た相で、その地勢を抑えるためには、ムカデと相克の関係である鶏を置かなければならないという言われから、木鶏が掛けられています。
彰義門に関する歴史で、仁祖反正(インジョパンジョン)という事件を語らずにはいられないでしょう。仁祖反正とは、朝鮮時代の1623年、李貴(イ・ギ)ら西人勢力が第15代王の光海君や集権党の李爾瞻(イ・イチョム)などの大北派を追い出し、綾陽君(ヌンヤングン)を王に就かせた反乱です。1623年3月12日、李貴、金濡(キム・ユ)、金自点(キム・ジャジョム)、李适(イ・グァル)らは反正計画を遂行する過程で計画の一部漏れはしましたが、予定通りに実行に移し、反乱軍は彰義門に向かって進軍し、宮殿の占領に成功しました。これに驚いた光王君王は、宮殿の後門から逃げ、医官である安国臣(アン・グクシン)の家に隠れていましたが、後に島流しとなりました。そして、綾陽君が王となるのですが、綾陽君とは第16代王の仁祖(インジョ)のことです。
時は流れ、第21代王の英祖(ヨンジョ)はこの事件を記念し、彰義門の城門と門楼を改築し、反乱功臣たちの名前を板に刻み掛けました。彰義門の門楼に掛けられた板は、今なお門楼に掛けられています。