4.7Km 2024-10-24
ソウル特別市チョンノ区アングク洞
細やかなカフェとギャラリーがある路地
チェ・ウン(チェ・ウシク)とクク・ヨンス(キム・ダミ)が酔っていた思い出の場面と最終回に登場した道。北村韓屋村にあるソウル工芸博物館の後ろ側に豊文女子高校から正読図書館まで約440m繋がれている。こじんまりした道に綺麗なカフェやギャラリーが多く、工芸マーケットなどが開かれたりして隅々まで見ものがいっぱい。クク・ヨンスが泥酔したチェ・ウンを背負って歩いた路地は感古堂キルの半ばにある尹潽善キルだ。狭い瓦の壁と石垣の間を丘に沿って伸びて、格別な情趣を匂わす。
4.7Km 2021-09-27
ソウル特別市 鐘路区 北村路5キル 62
+82-2-722-9024
「2018ミシュランガイド」に選定された店です。代表的なメニューはカンジャンケジャンです。ソウル特別市のジョンノ区に位置した韓食専門店です。
4.8Km 2021-03-29
ソウル特別市 鐘路区 東崇キル 50
マロニエ劇場は24年の伝統を誇る韓国・大学路(テハンノ)最初の私設小劇場として、大学路を中心とした小劇場文化形成の起爆剤的役割となった劇場です。
2010年に行ったリモデリング及びアップグレードを通じて、それまで演劇のみ上演してきた空間をさまざまなコンサート、ミュージカル、パフォーマンスなどが行えるスペースに改修、質の高い大学路最高の劇場として生まれ変わりました。
ハイクォリティな設備、そして常駐するシステムエンジニアのサポートにより素晴らしい公演が行えるよう準備万端な体制を整え、客席は130人から最大150人まで収容可能となっています。
この他、音響設備(総工費2億5000万ウォン)、電動式緞帳、HD対応(300インチ)映像設備を兼ね備え、システムエンジニアが常時待機しており、大学路全体の劇場街では最高レベルの高い施設を誇っています。
4.8Km 2024-08-28
ソウル特別市チョンノ区サジクロ161
「光化門(クァンファムン)」は景福宮の南門であり、宮城の正門です。光化門は国王が頻繁に出入りする正門でもありましたが、景福宮が朝鮮の王が住む宮廷であったため他の宮殿の正門に比べて規模と格式の面でもとても雄大で華麗でした。また東西の塀の終わりに各東十字閣と西十字閣が設置され、朝鮮5大宮殿の中で唯一、宮門形式となっています。
景福宮の創建当時には特別な名前はなく、宮制によって「午門」と呼ばれたり、1395年に鄭道伝(チョン・ドジョン)によって「正門」と名前を変えましたが、1426年に景福宮を修理するとともに、集賢殿(高麗以来、朝鮮初期にわたって宮廷に設置された学問研究機関)によって「光化門」と名づけられました。
韓国戦争の時に爆撃を受けて門楼が壊れて石垣は弾痕だらけとなりました。1968年、破壊された門楼を建て直して再建されましたが再建した光化門は鉄筋コンクリートで造られ、もとの場所よりも14.5メートルほど後方に建てられました。このように原型を失った光化門を復元しようと2006年から光化門の撤去作業は始まり、3年8ヶ月の復元工事を経て2010年8月15日に工事が終了しました。
花崗岩でずっしりとした基壇を造り、その上に2階の門楼を建て、基壇にある3つのアーチ型の出入り口は景福宮が朝鮮の宮殿であるという威厳を見せています。
4.8Km 2021-04-07
ソウル特別市 鐘路区 桂洞キル37
北村(プクチョン)文化センターはソウル特別市が開設した韓屋で、ソウル市民の文化共有を目的に創られた施設です。またセンターは住民文化スペースとしても開放されており、韓国の伝統文化を体験できるさまざまなプログラムも行なわれています。
朝鮮時代末期の有力者であった閔財務官宅の敷地に建てられた北村文化センターは、ソウル特別市が桂洞奥方宅としても知られているこの一帯を買い入れ、外観の改修・補修工事を行なった上で2002年10月29日オープンしました。北村文化センターは、北村に住む地域住民ひとりひとりが韓屋村に誇りを持てるようさまざまな韓国の伝統文化を体験できる文化プログラムを企画・運営する施設でもあります。書芸、茶道、漢文、パンソリなどの伝統文化講座、自然染色、黒竹工芸、閨房文化の伝統を繋ぐメドゥプ、小さな布を縫い合わせて作るチョガクポなどの工芸実技講座、韓屋に対する理解を高めることを目的に北村の韓屋を探訪する韓屋講座、映画上映、演奏会などの文化行事などのプログラムを実施しています。このほかにも北村の歴史や価値を広報する広報展示館、韓屋リモデリングに関連する情報提供及び相談を行なう韓屋改補修相談室、住民サランバンなどの施設もあります。
ソウル特別市では韓屋密集地域である北村の景観を保存するため、韓屋の改修・補修費用を支援するなど北村作り事業を推進しています。この事業の一環として、伝統韓屋を買い入れ人々がいつでも訪問し韓屋の素晴らしさや北村文化を体験できるよう、北村文化センターを開設した経緯があります。
敷地697平方メートル、建築面積237平方メートルの規模に母屋と門の両脇に設けられた建物、そして離れからなる北村文化センター。北村文化や韓屋を紹介する広報館と伝統文化を体験できる住民文化センター、そして市民と外国人が休息できるサランバンと東屋があります。
北村韓屋村
北村地域は昔から景福宮と昌徳宮、宗廟の間に位置する地域で、ソウル600年の歴史とともに歩んできた韓国の伝統居住地域です。巨大な2つの王宮の間に挟まれる形で密集したこの地域には伝統韓屋群があり、数多く枝分かれした路地が昔のまま残され、600年に及ぶ悠久の歴史を持つ都市の風景を感じることができる場所です。現在は伝統文化体験館や韓屋料理などを通じて古の雰囲気を感じることができます。
4.8Km 2024-03-18
ソウル特別市チョンノ区キェドンギル37
+82-2-2148-4161
北村(プクチョン)八景は、景福宮(キョンボックン)と昌徳宮(チャンドックン)の間の韓屋村にあります。北村は朝鮮時代に上流階級が住んでいたところで、韓屋が多く残っています。第1景は昌徳宮、第2景は苑西(ウォンソ)洞工房通り、第3景は嘉会(カフェ)洞一帯、第4景は嘉会洞の丘(北村展望台)、第5景は嘉会洞の上り坂、第6景は嘉会洞の下り坂、第7景は嘉会洞31番地、第8景は三清(サムチョン)洞の石段です。
4.8Km 2024-05-17
ソウル特別市チョンノ区キェドンギル37
昔から両班(ヤンバン)が住む町として知られている「北村韓屋村(プクチョンハノクマウル)」は、その全てが朝鮮時代の形式を踏襲した瓦ぶきの家屋で、上流階級の家の造りを代々受け継ぎ大切に保存している地域です。
元々、この北村の地域は高柱の大門がある大きな屋敷数軒と30余りの韓屋の建物があるだけの場所でしたが、日帝強占期末期や6.25戦争(韓国戦争)休戦直後から現在のように韓屋の建物が増えました。
北村韓屋村は景福宮(キョンボックン)と昌徳宮(チャンドックン)、宗廟(チョンミョ)に囲まれた地域で、600年に及ぶソウルの歴史とともに歩んできた韓国伝統の居住地域です。巨大な二つの王宮に挟まれる形で密集し形成された伝統韓屋が軒を連ね、さまざまに入り組んだ路地がそのまま残っており、600年の歴史を誇る街の風景を感じることができます。現在は伝統文化体験館や韓屋レストランなどに使われており、間接的ではありますが朝鮮時代の雰囲気を感じることができます。
古の時代から苑西洞(ウォンソドン)、斉洞(チェドン)、嘉会洞(カフェドン)、仁寺洞(インサドン)からなる北村地域は、清渓川(チョンゲチョン)や鐘路(チョンノ)の上、つまり北側にある町であることから「北村」と呼ばれていました。当時、王室の高い官職にあった人々や王族が居住する高級住居地域として有名な地域でした。北村にいまだ残っている韓屋数棟は、その当時の名声の名残をそのままに現代に伝えています。韓屋の軒がつながり、壁と壁を隣とともに使っている風景は、私たちが日ごろ忘れてきた温かな情や趣を感じさせてくれます。また、北村を歩いていると、連なる軒の曲線の美しさや路地の趣を感じることもできます。
北村韓屋村が今後とも持続可能な観光スポットとして維持できるよう、住民の迷惑にならないように静かに観光してください。
※北村韓屋村訪問時は次のことにご注意ください※
決められた訪問可能時間帯厳守
団体での訪問時は必ずガイドを同伴
断りなく敷地内に入る、無断撮影、ごみのポイ捨て、騒音などの迷惑行為禁止
観光バスの違法駐車禁止
4.8Km 2024-10-18
ソウル特別市チョンノ区ナクサンギル41
駱山(ナクサン、125メートル)はソウルの内四山の一つで、左青龍にあたる山です。地形がラクダの背中に似ていたため駱駝山、一帯に宮廷に牛乳を供給する王室牧場があったため駝酪山などども呼ばれていました。1960年代以降は市民アパートと住宅が密集して建てられ、駱山本来の姿が失われました。ソウル市は駱山復元計画を立て、その計画の一環として公園化事業が行われ、2002年7月に駱山公園として開園しました。現在の駱山公園は、ソウル漢陽都城と緑の森が調和して美しい風情を感じさせる市民の憩いの場となっており、ソウルで最も美しい夜景が見られるスポットとして脚光を浴びています。