1.5Km 2024-03-05
ソウル特別市チョンノ区チョンノ5街37-7
+82-2-2236-9135
タッカンマリのお店が密集するグルメ通りで、東大門(トンデムン)総合市場の近くにあります。タッカンマリは「鶏1羽」という意味で、スープで煮た鶏1羽分の鶏肉を特製ソースにつけて食べる料理です。お肉を食べ終わったら、残ったスープにカルグクスの麺を投入し、煮て食べます。周辺には大規模な東大門アパレル商店街やアパレル副資材の市場があり、いつも活気に満ちています。
1.5Km 2024-12-27
ソウル特別市チョンノ区チョンノ288
漢陽都城(ハニャントソン=旧・ソウル城郭)は、古の時代、重要な国の施設が集中していた首都・漢城府(ハンソンブ)を守るため、都の周囲を囲むように築かれた城郭・都城(トソン)です。興仁之門(フンインジムン)は、その城郭にある8つの城門の中で東側にあります。興仁之門は、通称・東大門(トンデムン)とも呼ばれており、朝鮮時代初期の1396年の漢陽都城築城の際に同時に建立され、1453年に重修されましたが、現存する興仁之門は1869年に大々的に改築されたものです。
興仁之門は前面5間・側面2間の規模を誇る2階建て構造の建物で、屋根は正面から見ると、台形の寄棟造りの屋根となっています。屋根の軒を支えるため装飾し作られた木組・栱包(コンポ)が、柱の上部を始め、柱と柱の間にもある多包様式となっており、その形態は繊細で過度に装飾された部分が多く、朝鮮時代後期の建築様式の特徴を色濃く表しています。また、興仁之門の前面には、城門への直接的な攻撃を避け、城門の守りを強固にするため、半円形の城壁・甕城(ウンソン)を設けており、敵を討つ上で合理的かつ綿密に計画された構えといえます。興仁之門は都城の8つの城門の中で唯一、この甕城の構造を持つ城門で、朝鮮時代後期の建築様式を反映した造りとなっています。
出典:国家遺産庁
1.5Km 2024-12-23
ソウル特別市チョンノ区キェドンギル49-23
楽古斎(ラッコジェ)ソウル北村(プクチョン)韓屋ホテルは、人間文化財チョン・ヨンジン翁が130年の歴史を持つ韓屋を改造した伝統文化空間です。端麗な大門、伝統瓦、塀、亭子、池、甕置き場などと松の木が韓屋の趣を感じさせてくれます。清潔な客室は快適で、天然の玉が敷かれたオンドル部屋や薪チムジルバンは健康な旅路を提供します。また様々な伝統プログラムも運営しています。
1.5Km 2024-12-27
ソウル特別市チョンノ区トンファムンロ11ガギル25
鶏肉の炒め煮(タッポクムタン)とは違って、鶏肉の辛味スープは汁が煮詰まらないのでスープ料理に近い鶏肉の辛味スープ(タッメウンタン)という珍しいメニューを取り扱う飲食店。スープに鶏肉の味が早く染み出るようにするために小さめの鶏肉を使っているのがこの店の特徴です。鶏肉とスープの絶妙なハーモニーをかみしめながら食事を楽しみ、食べて残ったスープにご飯やもみ海苔などを加えて炒めた〆のチャーハンを食べればお腹いっぱいになるでしょう。
1.5Km 2024-03-20
ソウル特別市チョンノ区プクチョンロ12ギル10
東琳(トンニム)メドゥプ(組み紐)工房は、ソウル市が支援し、2004年の4月にオープンしました。ノリゲ(韓服の帯に飾る装身具)や、帯、巾着などの装飾用のメドゥプから糸、紐、装身具のようなメドゥプの材料まで全て展示されています。韓国伝統の韓屋に設けられた展示室では代々伝えられた遺物や新たに再現された作品、現代的な感覚で創造された創作品など、美しいメドゥプ作品を思う存分鑑賞できます。工房は持続的な作品創作とともにメドゥプ普及のために初心者教育や一日メドゥプ体験をはじめとする各種工芸のための応用メドゥプ、専門家養成教育までメドゥプの跳躍と発展のために尽力しています。
1.5Km 2025-04-01
ソウル特別市チョンノ区キェドンギル37
昔から両班(ヤンバン)が住む町として知られている「北村韓屋村(プクチョンハノクマウル)」は、その全てが朝鮮時代の形式を踏襲した瓦ぶきの家屋で、上流階級の家の造りを代々受け継ぎ大切に保存している地域です。
元々、この北村の地域は高柱の大門がある大きな屋敷数軒と30余りの韓屋の建物があるだけの場所でしたが、日帝強占期末期や6.25戦争(韓国戦争)休戦直後から現在のように韓屋の建物が増えました。
北村韓屋村は景福宮(キョンボックン)と昌徳宮(チャンドックン)、宗廟(チョンミョ)に囲まれた地域で、600年に及ぶソウルの歴史とともに歩んできた韓国伝統の居住地域です。巨大な二つの王宮に挟まれる形で密集し形成された伝統韓屋が軒を連ね、さまざまに入り組んだ路地がそのまま残っており、600年の歴史を誇る街の風景を感じることができます。現在は伝統文化体験館や韓屋レストランなどに使われており、間接的ではありますが朝鮮時代の雰囲気を感じることができます。
古の時代から苑西洞(ウォンソドン)、斉洞(チェドン)、嘉会洞(カフェドン)、仁寺洞(インサドン)からなる北村地域は、清渓川(チョンゲチョン)や鐘路(チョンノ)の上、つまり北側にある町であることから「北村」と呼ばれていました。当時、王室の高い官職にあった人々や王族が居住する高級住居地域として有名な地域でした。北村にいまだ残っている韓屋数棟は、その当時の名声の名残をそのままに現代に伝えています。韓屋の軒がつながり、壁と壁を隣とともに使っている風景は、私たちが日ごろ忘れてきた温かな情や趣を感じさせてくれます。また、北村を歩いていると、連なる軒の曲線の美しさや路地の趣を感じることもできます。
北村韓屋村が今後とも持続可能な観光スポットとして維持できるよう、住民の迷惑にならないように静かに観光してください。
※北村韓屋村訪問時は次のことにご注意ください※
決められた訪問可能時間帯厳守
団体での訪問時は必ずガイドを同伴
断りなく敷地内に入る、無断撮影、ごみのポイ捨て、騒音などの迷惑行為禁止
観光バスの違法駐車禁止
※北村特別管理地域 レッドゾーン 観光客の訪問時間制限※
制限時間:17:00~翌日10:00
制限内容:制限時間内に制限区域の観光客訪問禁止(過料10万ウォン)
制限区域:北村路11ギル一帯約34,000㎡
1.5Km 2024-07-08
ソウル特別市チョンノ区チャンギョングンロ88
朝鮮時代末期から大韓帝国時代に至る時期の韓国は、国内の情勢が混迷を極め、日本・中国など列強勢力がしのぎを削る場となり、韓国の運命は風前の灯でした。そんな中、1905年・高宗42年の乙巳(ウルサ)条約(第二次韓日協約)締結により、実質的な韓国の国権は日本に掌握され、これを契機に日本は経済における侵略政策を企てたました。その一例として、南大門市場の経営権掌握があり、更なる新しい経済的な突破口を開いたのが、鐘路(チョンノ)にある広蔵市場(クァンジャンシジャン)でした。広蔵市場は乙巳条約が締結された同じ年・1905年に韓国初の常設市場として誕生しました。
元々、広蔵市場は、広橋(クァンギョ)と長橋(チャンギョ)の間の清渓川(チョンゲチョン)を暗渠化し市場を作ろうと計画され、その橋の名前の一文字ずつを取って広長市場と名付けられましたが、結局、市場はペオゲ(梨峴=イヒョン)と呼ばれた現在の位置に開設されることとなり、当初計画時の市場の名称の韓国語発音をそのままに漢字表記のみを変え、「広く集め蔵に入れておく」という広蔵市場という名称に落ち着きました。
市場開設当時、主な取扱品は農産物、薪炭などで、ソウル郊外の加平(カピョン)、トゥクソム、利川(イチョン)、鉄原(チョロン)などから牛馬に引かれ運ばれる品物を売る小規模な何も変哲のない一介の市場でしかありませんでした。しかし、市場開設以来100年を優に超えた現在、取り扱われる商品は多岐に渡り、絹織物、韓服やスーツ、洋服などの生地、女性ファッション、カーテン生地、寝具、手芸品、螺鈿漆器、厨房用品、輸入品、青果、鮮魚、精肉、乾物、祭祀用品など、多くの品物が取引される総合市場に成長しました。
広蔵市場で最も人の往来が激しく賑わっているエリアは東門、北2門、南1門が交わるグルメ市場です。広蔵市場のグルメ市場は年齢を問わずおすすめのグルメスポットです。現在では世界の人々が訪れる観光コースに成長し、外国人観光客に人気の観光スポットとして有名な市場となりました。
1.5Km 2021-08-27
ソウル特別市 鐘路区 チャンギョングンロ88
+82-2-2267-6813
気分転換に最適のたらのメウンタン(魚の辛味スープ)が味わえます。おすすめはたらの辛味スープです。ソウル特別市のジョンノ区に位置した韓食専門店です。
1.6Km 2023-09-12
ソウルトゥクピョルシ チョンノグ プクチョンロ12(シブイ)ギル 5-13
+82-2-742-1115
伝統韓屋である「ヨヌハウス」は、ソウルの鐘路の北村の韓屋村にあって、静かで穏やかであります。こじんまりとした二つの客室が用意されており、客室にはバスルームも備えています。はしごに乗って屋根に登ってみる北村の韓屋村の全景が絶景であります。古い韓屋なので、衛生管理にも細心の注意を払っています。近くには景福宮、清慶宮、昌徳宮等のソウルの名所があります。