19.2Km 2024-02-20
キョンギ道コヤン市トギャン区プカンサンロ451-9
Fourseason a dayは、子供と一緒に訪問できるイタリアンレストラン兼カフェ。ベストメニューはアーリオオーリオ、ゴルゴンゾーラピザ、エッグベネディクトがあります。お店の前には渓谷があるので、夏場には水遊びが楽しめます。冬場にはお店でそりゲレンデを運営しているので、そり体験をすることができます。
19.2Km 2024-02-21
キョンギ道コヤン市トギャン区ヨンドゥロ47ボンギル136-10
THE OREUMは、フロアごとにそれぞれ蘆、ブラック、ホワイトをコンセプトにしており、多彩な空間で構成されています。さらにメディアアート空間とルーフトップもあり、フォトジェニックな写真が撮れます。シグネチャーメニューとしては、甘くて香ばしいクリームとトリュフが入ったトリュフシュペナー、済州(チェジュ)産の抹茶ラテの上に柔らかいクリームと香ばしいクランブルがトッピングされたチェジュ抹茶クランブル、ゲイシャ豆の香り豊かなアメリカーノがあります。
19.3Km 2020-05-14
ソウル特別市 蘆原区 徳陵路129ガキル242
龍窟庵(ヨングラム)は水落山にある寺の中でもっとも山頂に近いところに位置し、ここには天然の洞窟があります。この洞窟が龍窟庵の始まりで、現在は釈迦牟尼仏と十六羅漢が奉安されています。100年ほど前、支配体制から排斥された修行者たちは深い山に隠れるしかなく人気のないこの洞窟は隠れ家と修行場所としてぴったりでした。こうして龍窟庵は世間に名前を知られるようになっていきました。興宣大院君の摂政から追い出された明成皇后が逃げてきてここで過ごしながら祈祷していたこともあります。その縁で龍窟庵は大々的な改築をし、寺院らしい姿に変わりました。
19.4Km 2021-06-30
ソウル特別市 江西区 許浚路87
2005年ソウル市江西区に韓国初の韓医学専門博物館として開館した「許浚(ホジュン)博物館」は、許浚関連資料を収集し、その業績を称える事業とともに江西区民の憩いの空間・文化享受の場としての役割をになっています。
許浚(1539年~1615年)
本貫は陽川、字は清源、号は亀岩。訓錬院正(朝鮮時代、訓錬院に所属していた官職)であった許琨(ホゴン)の孫で、龍川府使(朝鮮時代の龍川府長官)であった許崙(ホロン)の息子として、京畿道陽川県パヌン里ヌンゴク洞ペクソク村(現在のソウル市江西区登村2洞)で生まれました。朝鮮時代中期に名医として知られ、韓医学を集大成した『東医宝鑑』を著し、韓医学の体系を整理しました。
19.4Km 2024-02-27
ソウル特別市 蘆原區(蘆原区) 中溪洞(中渓洞)
ソウル・トゥルレ道は、ソウルを一周する総長157キロメートル・8つのコースで構成されています。ソウルの歴史・文化・生態などについてストーリー化された徒歩道で、第1コースは水落山(スラクサン)から仏岩山(プラムサン)までの総長18.6キロメートルの緩やかな道で、所要時間は8時間10分です。仏岩山をぐるりと回るトラッキングコースで、菖蒲園(チャンポウォン)、德陵峠(トンヌンゴゲ)、案内センター、泰陵(テヌン)、水岩寺(スアムサ)、鶴到庵(ハクトアム)を通ります。
19.4Km 2020-08-06
ソウル特別市 道峰区 マドゥル路 916
道峰山(トボンサン)と水落山(スラクサン)の間に、アヤメをテーマとした特殊植物園「ソウル菖蒲園(チャンポウォン)」が登場しました。52,417平方メートルの敷地に造成されたこの植物園は、アヤメ園、薬用植物園、湿地園など、12のテーマに分けられています。アヤメ園には、キショウブ、ハナアヤメ、ネジアヤメ、ヒオウギなど、130種の様々なアヤメが約15,000平方メートルの敷地に約30万本植えられており、種類別にアヤメの美しさを観賞できるようになっています。
主な植物
樹木:ラクウショウ、ケヤキ、ストローブマツなど39種2,726株
灌木:ネコヤナギ、ムレスズメ、マサキ、ニシキギなど18種57,035株
草花:ツルヨシ、ヤブラン、シベリアノギク、オギなど43種319,292株
アヤメ:ノハナショウブ、ネジアヤメ、ヒオウギなど130種218,453株
19.6Km 2018-01-08
京畿道 高陽市 徳陽区 興国寺キル 82
興国寺の建立は新羅時代の西暦661年(新羅文武王元年)に当代最高の高僧であった元暁大師が北漢山の元暁岩で修行中、北西の方角で縁起のよい機運が起こるとみて山を下りここにたどり着いたことが契機となりました。
瑞気を発している石造の薬師如来像を観た元暁大師が因縁の道場と考え、本殿に薬師如来を奉り「縁起のよい光が発せられるところゆえこれから数多くの聖人が輩出される」として寺の名前を興聖庵とし、今日の興国寺が建立されたと伝えられています。
その後、寺の歴史をかいまみる史料がなく詳しい変遷については分からない面もありますが、1686年(朝鮮時代の粛宗12年)に改修された事実や朝鮮時代の英宗が即位したあとの時代に大きく発展したという記録が残っています。以降さまざまな僧侶が寺を修繕するなどして今日に至っています。