12.8Km 2020-05-12
ソウル特別市 松坡区 中台路80
「ZISHEN」は、30~40代の男女をターゲットにしたブランドです。
「ZISHEN」は中国語の「自信」の発音を英語で表記したもので、「自己アイデンティティーを失いつつある30~40代の女性に自信を取り戻してもらおう」をスローガンに、感覚的で洗練されたスタイルを提案しています。男性には、「着れば10歳若く見える服」というスローガンのもと、既存メンズフォーマルの固着したデザインの枠を破って、若くて洗練されたパターンを提示しています。
12.8Km 2024-07-26
キョンギ道スウォン市チャンアン区チョンジョロ934ボンギル40
+82-31-890-5757
長安門(チャンアンムン)コブク市場セスッマク祭りは、酒を醸して分け合う祭りです。安くておいしい食べ物と長安門コブク市場のマッコリを楽しむことができます。
12.8Km 2023-03-21
キョンギ道クァンジュ市ナムハンサンソン面ナムハンサンソンロ780ボンギル107-65
守御将台(守禦将台=スオジャンデ)は南漢山城(ナムハンサンソン)の西方にあります。将帥が指揮を執る「将台」が南漢山城に4つあり(南漢山城四将台)、ここはそのひとつです。守御将台は朝鮮時代の1624年から1626年にかけて軍事目的で建てられた楼閣です。守御将台とは要塞の防御を担う守御士(守禦士)が指揮・命令を行うところで、建立当時は単層の楼閣で「西将台(ソジャンデ)」と呼ばれ、1751年、首都を守るため、周囲の要塞で防衛の任に当たっていた地方官・留守(ユス)であった李箕鎮(イ・ギジン)が2階建ての楼閣に増築しました。当時、守御将台内には無忘楼(ムマンヌ)、建物正面の外側には守御将台と書かれた扁額が掛けられました。この守御将台は1636年、清が朝鮮に攻め込んできた丙子胡乱(ピョンジャホラン)の際、朝鮮王朝第16代の王・仁祖が自ら守御軍を指揮し、清のホンタイジ率いる12万の大軍と対峙し、45日間の抗戦に耐えた場所で、その後、三田渡(サムジョンド)で屈辱的な降伏をしました。
12.8Km 2024-06-27
キョンギ道アニャン市トンアン区トンピョンロ6 スマートプラザ108~109号
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12.9Km 2024-04-29
キョンギ道ヨンイン市チョイン区モヒョン邑パダムロ149ボンギル30
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12.9Km 2024-10-24
キョンギ道スウォン市パルタル区チャンリョンムンロ75-5
クク・ヨンスの家がある情感あふれる路地
クク・ヨンスが住んでいた曲がりくねった路地が多い町は池洞壁画村だ。6㎞に及ぶ道に7つのテーマで壁画を描き込み、絵に沿て歩くだけでもまるで宝探しをするように面白い。歩いてみると池洞スーパーのそばに見慣れた緑の表門が見えるが、それがドラマの中のクク・ヨンスの家だ。向こう側にある虹の壁画もよく登場したからここで証拠写真を残すファンが多い。
12.9Km 2020-01-08
ソウル特別市 江南区 栗峴洞
炭川(タンチョン)は、京畿道(キョンギド)龍仁市(ヨンインシ)・城南市(ソンナムシ)を流れ、ソウル特別市を経て漢江(ハンガン)に注ぐ漢江の支流のひとつで、流域面積302平方キロメートル、総延長35.6kmに達する準用河川です。
炭川の中流域にある城南市は、市の中心部を流れる25kmの炭川流域とともに開発が進む地域です。炭川を蘇らせる汎市民連帯では、市民の環境保護意識を高め、これを実践に移せるよう、炭川の汚染の実態を調査・分析、それをもとに対策を提案していく活動を行っています。また同時に、炭川を自浄能力がある「自然型河川」にし、子どもたちが心置きなく遊べる河川へと生まれ変わらせることを目標に1999年6月20日、八つの民間環境団体を発足させました。
炭川と呼ばれるようになったのには浄水のため炭を川に入れた、朝鮮時代にこの川の住んでいた南怡(ナミ)将軍の子孫の人物の号に炭の字が入っておりその場所の地名・炭里(タルリ)に由来するなど諸説ありますが、このような言い伝えも残っています。
ある日、閻魔(えんま)様が冥土の使者に十八万年を生きたという東方朔(とうほうさく=中国前漢の文学者。伝説で非常に長寿であったとされている人物)を捕まえてくることを命じました。
しかし東方朔は姿を隠すことにかけては誰にも引けをとらず、冥土の使者も、なすすべがなくなかなか探し出すことができません。
困り果てた冥土の使者は謀をめぐらしこの川の近くで歯が白くなるという理由をつけて炭をしゃぶる奇行に出ました。すると、この使者の不思議な姿を見たある通りがかりの人が 「自分が十八万年も生きているが、こんな風に炭をしゃぶっている人間は初めて見た」と使者に語ったことから、冥土の使者はその人物が十八万年生きたという東方朔であることを見破り捕まえて、閻魔様がいる冥土へと連れて行くことができました。
その時から炭の川という意味の純粋な韓国語「スンネ」あるいは同じ意味の漢字表現・炭川と呼ぶようになったということです。
12.9Km 2021-06-08
京畿道 水原市 八達区 水原川路392番キル44-6
水原城(スウォンソン)の華虹門(ファホンムン)の東側に隣接する高い崖上にある訪花随柳亭(パンファスリュジョン)は、1794(正祖18)年に水原城郭が築城される際建てられた楼閣のひとつです。正式には東北角楼(トンブッカンヌ)とう名称ですが「花を求めて柳を辿り逍遥する」という名にふさわしく、景観が素晴らしい楼閣で、それ故に訪花随柳亭という堂号が付けられたといいます。
洪水により被害を被った時期もありましたが、1848年再建にこぎつけ、以降、水原城復元事業の一環として大々的に修理を行いました。
2011年、宝物第1709号に指定された訪花随柳亭は独特な平面と屋根の形をした建造物で、見る角度により様々な姿を見せ、水原華城でもっとも独創的な建造物として高く評価されています。朝鮮時代の第22代の王・正祖(チョンジョ)が華城行幸の際にしばし休息を取ったというこの亭子からは、東の方角に錬武台(ヨンムデ)や空心墩(コンシムドン)、西の方角に長安門(チャンアンムン)や八達山(パルダルサン)が一望できます。