[事後免税店] ロッテマート・ソデジョン(西大田)店(롯데마트 서대전점) - エリア情報 - 韓国旅行情報

[事後免税店] ロッテマート・ソデジョン(西大田)店(롯데마트 서대전점)

[事後免税店] ロッテマート・ソデジョン(西大田)店(롯데마트 서대전점)

8.3 Km    0     2024-04-24

テジョン広域市ユソン区ユソンデロ26-37

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[事後免税店] ロッテハイマート・ソデジョン(西大田)店(롯데하이마트 서대전점)

[事後免税店] ロッテハイマート・ソデジョン(西大田)店(롯데하이마트 서대전점)

8.3 Km    0     2024-04-29

テジョン広域市ユソン区ユソンデロ26-37

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儒城ユースホステル(유성 유스호스텔)

儒城ユースホステル(유성 유스호스텔)

8.8 Km    1268     2020-12-02

大田広域市 儒城区 鶴下中央路 68

鶏龍山(ケリョンサン)国立公園のストンコル(谷)の素晴らしい自然の中にある儒城(ユソン)ユースホステル。2012年にリモデリング工事を終え、快適でより安全な施設になりました。百済歴史遺跡、鶏龍山国立公園、尖端科学研究団地、エキスポ科学公園、国立中央科学館、市民展望台、儒城温泉観光特区が近くにあり、清く正しい青少年教育や文化に貢献するさまざまなプログラムを準備、優秀な指導者もおり、青少年の育成に最善を尽くすユースホステルです。

論山 連山駅給水塔(논산 연산역 급수탑)

8.8 Km    24261     2020-04-27

忠清南道 論山市 連山面 ソンビ路275番キル 31-2

湖南線(ホナムソン)開通とともに、蒸気機関車に水を供給するため、1911年12月30日に設置され、1970年代までおよそ60年間使われてきた、論山(ノンサン)連山(ヨンサン)駅給水塔。
給水塔の規模は高さ16.2m、床面積16.6平方メートル、給水塔容量は30トンを誇ります。
給水塔のそばにある井戸は幅2.8m、深さ8mで、給水塔に給水するため掘られた井戸です。
日帝強占期、全国各地に鉄道網を敷設した際、主要駅には蒸気機関車用の給水施設が建てられました。忠清南道(チュンチョンナムド)には西大田(ソテジョン)駅と江景(カンギョン)駅にも給水塔が造られましたが、現在はここ連山駅のみ残っています。
特に、連山駅の給水塔は唯一、花崗石を煉瓦のように加工し積み上げ造られ、その形態や大きさから独特な造りとなっています。
数多くある近代産業建築物の中でも給水塔はもっとも印象的な施設で、鉄道や産業開発の歴史においても重要な近代建築物となっています。

* 所有者:国土交通部
* 管理者:韓国鉄道施設公団
* 規模及び構造:高さ16.2m、床面積16.6平方メートル、給水塔容量30トン

論山 明斎古宅[韓国観光品質認証](논산 명재고택[한국관광 품질인증]/Korea Quality)

論山 明斎古宅[韓国観光品質認証](논산 명재고택[한국관광 품질인증]/Korea Quality)

9.1 Km    9692     2023-11-29

チュンチョンナムド ノンサンシ ノソンサンソンギル 50
+82-41-735-1215

「論山ミョンジェ古宅」は、朝鮮の粛宗の時の学者であるユン·ズン先生の家屋で、ソスルデムンも、高い塀もなく、村に向かって広く開かれています。母屋を中心に、蔵とサランチェを機能的に配置した昔の先祖の建築的の知恵を垣間見られます。客室は母屋の向かい側の部屋をはじめ、サランチの部屋が3ヶ所で、ヌマルを含むサランチェを丸ごと使用することもできます。藁葺き屋根の離れと音響装備とビームプロジェクターが設置されているチョヨン堂もあります。浴室及びトイレは現代風に改造されてきれいであります。国楽、茶礼、天然染色などの多様な有料体験のプログラムを運営しています。 

スッコルォン冷麺(숯골원냉면)

スッコルォン冷麺(숯골원냉면)

9.7 Km    5376     2024-02-13

テジョン広域市ユソン区ヒョンチュンウォンロ173

スッコルオン冷麺は、平壌(ピョンヤン)にルーツを持つ子孫が4代続けて営むピョンヤン冷麺の専門店で、江原道(カンウォンド)平昌(ピョンチャン)の農家から仕入れたそばの香りが格別です。熟した大根の水キムチを加えた鶏がらスープを使用しているのであっさりしており、鶏肉がトッピングされています。甘酸っぱい味付けの混ぜ冷麺は、鶏肉とシャキシャキした大根の組み合わせが絶品で、キジ肉冷麺も提供されています。

遯岩書院[ユネスコ世界遺産(文化遺産)](돈암서원 [유네스코 세계문화유산])

9.8 Km    38750     2021-07-30

忠清南道 論山市 連山面 林3キル 26-14

* 金長生を祀る書院、遯岩書院

遯岩書院(トナムソウォン)は、朝鮮時代の仁祖12(1634)年、現在建てられている場所から1.5キロメートル離れた里山に建てられました。
遯岩書院は 顕宗(ヒョンジョン)元(1660)年、王から扁額を下賜を受け、賜額書院となりました。しかし、立地している場所が低地にあり洪水になると水が庭まであふれてくることから、高宗17(1880)年、現在の場所である林里(イムニ)74番地(書院村)へ移築されました。
また遯岩書院は 高宗3(1865)年に行われた書院撤廃令の対象からも外れるほどの書院でした。3間の幅がある高柱の大門・入徳門(イットッムン)を入ると、正面に養性堂(ヤンソンダン)、左手に凝道堂(ウンドダン)があり、養性堂の裏手には祠宇(祠堂)があり、この他敷地内には蔵板閣(チャンパンガク)、静会堂(チョンフェダン)、山仰楼(サンアンヌ)の建物があります。
遯岩書院では地元の儒林らが毎年陰暦2月と8月中旬ごろの中丁の日に祭祀を執り行っています。
祠堂の建物の前面には1間分の広さを確保し建物の内部に食い込むような形で作られた玄関口のようなスペース・前退(チョンテ)があり、床材には瓦のように焼いた瓦板が使われています。祠堂の建物内部は井桁に組んだ板の間となっています。正面の柱の間には四枚で構成された引き戸がつけられており、建物両脇と後方の壁は漆喰壁となっています。
軒の端の重さを支えるため柱の上部に取り付ける木組・栱包(コンポ)は、二翼工外出目と呼ばれる木組の工法と同様の手法で組まれています。柱と梁が交わる隅の部分に取り付ける梁奉(ヤンボン)は伝統的な姿となっており、 柱の上部を左右につなげる木材・昌坊(チャンバン)の上に設けられた華盤型の草刻盤は柱の間に1つずつあります。
屋根の架構は退高柱を立て、退梁と大梁を掛けわたす木材は海老のように曲がったものを使います。大梁の上に一種の包台工を取り付け、退高柱とともに宗梁を支え、そのさらに上の宗梁に波蓮台工を置き、建物最上部にある上梁を支えます。
祠宇(サウ=祠堂)には朝鮮時代中期の思想家・金長生(キム・チャンソン)を主享とし同時期の文臣3人、金集(キム・チプ)、宋浚吉(ソン・ジュンギル)、宋時烈(ソン・シヨル) 先生の合わせて4人のみを文廟に祀る他ではあまり見受けられない昔の賢人を祀る先正書院です。
遯岩書院の碑文によれば、部屋、板の間、縁側、 行廊がある凝道堂があったといい、凝道堂の左手に居敬斎(コギョンジェ)、右手に精斎(チョンイジェ)がありましたが、建設当時の原型のままで残っておらず、当時どのような建物であったのか察することができないのが残念な点です。


* 遯岩書院の意義と評価

光山金氏は連山地域で代々暮らし、多くの人材を輩出してきた湖西(ホソ)地方の名門士族の一族です。
このような理由から遯岩書院は西人-老論系を代表する書院で、1871年書院毀撤令の際にも潰されず残され、今日に至っています。特に金長生が他界した後、弟子や文人らが作った遯岩書院冊版などさまざまな資料が残されています。
このように遯岩書院は、湖西(ホソ)地方(現在の忠清道)をはじめ畿湖(キホ)地域(現在の京畿道・黄海道南部・忠清南道北部)で尊崇される書院として、金長生を祀る書院の中で最も重みがあり影響力のある書院として知られています。
現在に至るまで良い状態で保存・管理がされ、地元の歴史を研究する郷土史料としても保存的価値が高い書院となっています。
加えて、湖西地方の人々の動向を研究する上で素晴らしい史料でもあり、また当時の実力者・金長生の影響力を知ることができるのもこの遯岩書院です。

* 所有 - 光山金氏宗中

オモニガチャリョジュシヌンシゴルバプサン(어머니가 차려주시는 시골밥상)

10.0 Km    0     2024-02-28

テジョン広域市ソ区クボンサンブクロ280ボンギル10-24

オモニガチャリョジュシヌンシゴルバプサンは、韓国料理の定食を出す家庭料理専門店です。韓国料理定食が一番人気で、韓国の一般家庭で食べるような料理を献立に盛りだくさん組み込んでいます。ナムルや炒め物、焼き魚などのおかずやチゲなどが供され、ボリュームたっぷりの食事を楽しむことができます。

国立大田顕忠院(국립대전현충원)

国立大田顕忠院(국립대전현충원)

10.2 Km    33775     2021-03-15

大田広域市 儒城区 顕忠院路 251
+82-42-718-7114

国立大田顕忠院は大田(テジョン)広域市儒城区(ユソング)甲洞(カプトン)にあり、敷地面積は322万2001平方メートルを誇ります。ソウル特別市銅雀区(トンジャクク)銅雀洞(トンジャクドン)にある国立顕忠院の埋葬スペースが限界を迎えたことから、1979年4月1日大田に第2の顕忠院を建設すべく着工、同年8月29日に国立墓地管理所大田分所として正式に発足しました。1985年の竣工後、1991年には国立墓地大田管理所に昇格、1996年6月1日には現在の国立大田顕忠院という名称になりました。
韓国の伝統美と現代美を調和させ、自然の景観は最大限活かし、これまでの国立墓地に不足していた部分を補い、護国公園化することを基本方針に造成されました。祖国守護と国家繁栄のため尊い命を国に捧げた殉国烈士や護国英霊が眠る民族の聖地として、1979年に着工、1985年に竣工しました。300万平方メートルを超える広々とした敷地に造られた墓域には愛国志士、国家功労者、将軍、将校、警察官および一般墓域があります。主な施設として参拝を行う顕忠塔や顕忠門があるほか、告別式や護国映画上映に利用される顕忠館、さまざまな護国写真と遺物を展示する護国館、戦闘装備などが展示してある野外展示場を有しています。この他にも護国噴水塔、宮殿・陵などの前に建てられる赤い木で作られたホンサル門、天馬雄飛像、護国警句碑などの造形物、自然石で韓半島の形を形作った人工池・顕忠池、亭子、各墓域近くにある休憩室など各種施設が美しい自然の中にあります。

甲寺渓谷(갑사계곡)

甲寺渓谷(갑사계곡)

10.2 Km    58634     2024-02-22

チュンチョンナム道コンジュ市ケリョン面カプサロ519

公州(コンジュ)市の鶏龍山(ケリョンサン)北西の麓に位置する甲寺(カプサ)渓谷は、夏でも気温が高くないため避暑地として適しており、秋には紅葉が美しい場所として知られています。入口には多くの文化財が残されているお寺の甲寺があり、韓国の仏教文化を窺い知ることができます。さらに渓谷には森と龍門(ヨンムン)滝などがあり、森林浴を楽しむこともできます。