遯岩書院[ユネスコ世界遺産(文化遺産)](돈암서원 [유네스코 세계문화유산]) - エリア情報 - 韓国旅行情報

遯岩書院[ユネスコ世界遺産(文化遺産)](돈암서원 [유네스코 세계문화유산])

9.9 Km    38750     2021-07-30

忠清南道 論山市 連山面 林3キル 26-14

* 金長生を祀る書院、遯岩書院

遯岩書院(トナムソウォン)は、朝鮮時代の仁祖12(1634)年、現在建てられている場所から1.5キロメートル離れた里山に建てられました。
遯岩書院は 顕宗(ヒョンジョン)元(1660)年、王から扁額を下賜を受け、賜額書院となりました。しかし、立地している場所が低地にあり洪水になると水が庭まであふれてくることから、高宗17(1880)年、現在の場所である林里(イムニ)74番地(書院村)へ移築されました。
また遯岩書院は 高宗3(1865)年に行われた書院撤廃令の対象からも外れるほどの書院でした。3間の幅がある高柱の大門・入徳門(イットッムン)を入ると、正面に養性堂(ヤンソンダン)、左手に凝道堂(ウンドダン)があり、養性堂の裏手には祠宇(祠堂)があり、この他敷地内には蔵板閣(チャンパンガク)、静会堂(チョンフェダン)、山仰楼(サンアンヌ)の建物があります。
遯岩書院では地元の儒林らが毎年陰暦2月と8月中旬ごろの中丁の日に祭祀を執り行っています。
祠堂の建物の前面には1間分の広さを確保し建物の内部に食い込むような形で作られた玄関口のようなスペース・前退(チョンテ)があり、床材には瓦のように焼いた瓦板が使われています。祠堂の建物内部は井桁に組んだ板の間となっています。正面の柱の間には四枚で構成された引き戸がつけられており、建物両脇と後方の壁は漆喰壁となっています。
軒の端の重さを支えるため柱の上部に取り付ける木組・栱包(コンポ)は、二翼工外出目と呼ばれる木組の工法と同様の手法で組まれています。柱と梁が交わる隅の部分に取り付ける梁奉(ヤンボン)は伝統的な姿となっており、 柱の上部を左右につなげる木材・昌坊(チャンバン)の上に設けられた華盤型の草刻盤は柱の間に1つずつあります。
屋根の架構は退高柱を立て、退梁と大梁を掛けわたす木材は海老のように曲がったものを使います。大梁の上に一種の包台工を取り付け、退高柱とともに宗梁を支え、そのさらに上の宗梁に波蓮台工を置き、建物最上部にある上梁を支えます。
祠宇(サウ=祠堂)には朝鮮時代中期の思想家・金長生(キム・チャンソン)を主享とし同時期の文臣3人、金集(キム・チプ)、宋浚吉(ソン・ジュンギル)、宋時烈(ソン・シヨル) 先生の合わせて4人のみを文廟に祀る他ではあまり見受けられない昔の賢人を祀る先正書院です。
遯岩書院の碑文によれば、部屋、板の間、縁側、 行廊がある凝道堂があったといい、凝道堂の左手に居敬斎(コギョンジェ)、右手に精斎(チョンイジェ)がありましたが、建設当時の原型のままで残っておらず、当時どのような建物であったのか察することができないのが残念な点です。


* 遯岩書院の意義と評価

光山金氏は連山地域で代々暮らし、多くの人材を輩出してきた湖西(ホソ)地方の名門士族の一族です。
このような理由から遯岩書院は西人-老論系を代表する書院で、1871年書院毀撤令の際にも潰されず残され、今日に至っています。特に金長生が他界した後、弟子や文人らが作った遯岩書院冊版などさまざまな資料が残されています。
このように遯岩書院は、湖西(ホソ)地方(現在の忠清道)をはじめ畿湖(キホ)地域(現在の京畿道・黄海道南部・忠清南道北部)で尊崇される書院として、金長生を祀る書院の中で最も重みがあり影響力のある書院として知られています。
現在に至るまで良い状態で保存・管理がされ、地元の歴史を研究する郷土史料としても保存的価値が高い書院となっています。
加えて、湖西地方の人々の動向を研究する上で素晴らしい史料でもあり、また当時の実力者・金長生の影響力を知ることができるのもこの遯岩書院です。

* 所有 - 光山金氏宗中

スッコルォン冷麺(숯골원냉면)

スッコルォン冷麺(숯골원냉면)

10.1 Km    5376     2024-02-13

テジョン広域市ユソン区ヒョンチュンウォンロ173

スッコルオン冷麺は、平壌(ピョンヤン)にルーツを持つ子孫が4代続けて営むピョンヤン冷麺の専門店で、江原道(カンウォンド)平昌(ピョンチャン)の農家から仕入れたそばの香りが格別です。熟した大根の水キムチを加えた鶏がらスープを使用しているのであっさりしており、鶏肉がトッピングされています。甘酸っぱい味付けの混ぜ冷麺は、鶏肉とシャキシャキした大根の組み合わせが絶品で、キジ肉冷麺も提供されています。

ファンテカルグクス(황태칼국수)

10.3 Km    5     2024-02-28

テジョン広域市ソ区チョンリムロ10ボンギル15-22

ファンテカルグクスは、干しスケトウダラで様々な料理を提供する韓国料理店です。釜でじっくり煮込んだ干しスケトウダラの出し汁を使った「干しスケトウダラ入りアサリカルグクス」が人気メニューで、すっきりとした味のスープと歯ごたえのある麺が酔い覚ましに最適です。干しスケトウダラ焼き、干しスケトウダラの寄せ鍋、濃厚干しスケトウダラスープなどのメニューもあります。

国立大田顕忠院(국립대전현충원)

国立大田顕忠院(국립대전현충원)

10.5 Km    33775     2021-03-15

大田広域市 儒城区 顕忠院路 251
+82-42-718-7114

国立大田顕忠院は大田(テジョン)広域市儒城区(ユソング)甲洞(カプトン)にあり、敷地面積は322万2001平方メートルを誇ります。ソウル特別市銅雀区(トンジャクク)銅雀洞(トンジャクドン)にある国立顕忠院の埋葬スペースが限界を迎えたことから、1979年4月1日大田に第2の顕忠院を建設すべく着工、同年8月29日に国立墓地管理所大田分所として正式に発足しました。1985年の竣工後、1991年には国立墓地大田管理所に昇格、1996年6月1日には現在の国立大田顕忠院という名称になりました。
韓国の伝統美と現代美を調和させ、自然の景観は最大限活かし、これまでの国立墓地に不足していた部分を補い、護国公園化することを基本方針に造成されました。祖国守護と国家繁栄のため尊い命を国に捧げた殉国烈士や護国英霊が眠る民族の聖地として、1979年に着工、1985年に竣工しました。300万平方メートルを超える広々とした敷地に造られた墓域には愛国志士、国家功労者、将軍、将校、警察官および一般墓域があります。主な施設として参拝を行う顕忠塔や顕忠門があるほか、告別式や護国映画上映に利用される顕忠館、さまざまな護国写真と遺物を展示する護国館、戦闘装備などが展示してある野外展示場を有しています。この他にも護国噴水塔、宮殿・陵などの前に建てられる赤い木で作られたホンサル門、天馬雄飛像、護国警句碑などの造形物、自然石で韓半島の形を形作った人工池・顕忠池、亭子、各墓域近くにある休憩室など各種施設が美しい自然の中にあります。

チェガネ(최가네)

10.7 Km    22     2024-02-26

テジョン広域市チュン区テドゥンサンロ159ボンアンギル2
042-583-6997

チェガネは、やわらかい肉質の韓牛を使用するレストランです。代表メニューは韓牛の雌牛で、部位別に炭火で焼いて食べると絶品です。直火の香りがたっぷりの肉と一緒に玉ねぎの酢漬けなどを野菜で包んで食べると、より豊かな味わいを楽しめます。ユッケや牛肉の刺身も人気です。

ソウォン韓定食(서원 한정식)

ソウォン韓定食(서원 한정식)

11.0 Km    7221     2024-03-28

テジョン広域市ユソン区ユソンデロ678
042-822-1272

ソウォン韓定食は、魚焼きの専門店です。看板メニューは「麦熟成の干しイシモチ定食」で、霊光(ヨングァン)法聖浦(ヨングァン・ポプソンポ)から仕入れた麦熟成の干しイシモチを使用します。麦熟成の干しイシモチは身だけ食べると塩味が強いために冷たい緑茶にご飯を入れ、魚を乗せて食べる独特な食文化があります。

ティウル石カルビ・桃馬店(띠울석갈비 도마점)

11.0 Km    0     2024-02-28

テジョン広域市ソ区ケベクロ1353

ティウル石(ソク)カルビは、石焼きカルビを専門とする韓国料理店です。石焼きカルビとは、炭火で焼いたカルビを熱い石板の上で出す韓国料理のことをいいます。甘く味付けされた肉が焼かれた状態で供されるので、そのままでも食べることができます。豚肉と牛肉から選ぶことができ、辛い味付けにすることもできます。

論山 明斎古宅[韓国観光品質認証](논산 명재고택[한국관광 품질인증]/Korea Quality)

論山 明斎古宅[韓国観光品質認証](논산 명재고택[한국관광 품질인증]/Korea Quality)

11.2 Km    9692     2023-11-29

チュンチョンナムド ノンサンシ ノソンサンソンギル 50
+82-41-735-1215

「論山ミョンジェ古宅」は、朝鮮の粛宗の時の学者であるユン·ズン先生の家屋で、ソスルデムンも、高い塀もなく、村に向かって広く開かれています。母屋を中心に、蔵とサランチェを機能的に配置した昔の先祖の建築的の知恵を垣間見られます。客室は母屋の向かい側の部屋をはじめ、サランチの部屋が3ヶ所で、ヌマルを含むサランチェを丸ごと使用することもできます。藁葺き屋根の離れと音響装備とビームプロジェクターが設置されているチョヨン堂もあります。浴室及びトイレは現代風に改造されてきれいであります。国楽、茶礼、天然染色などの多様な有料体験のプログラムを運営しています。 

階伯将軍遺跡地(계백장군 유적지)

階伯将軍遺跡地(계백장군 유적지)

11.3 Km    37664     2020-06-18

忠清南道 論山市 夫赤面 新豊里
+82-41-746-8431

階伯(ケベク)将軍遺跡地は、百済の3忠臣といわれた階伯の遺跡地で、最後の決戦場だった黄山(ファンサン)ボル(野原)に近い場所にあります。1966年に廟を発見した当時、墳丘墓が半分以上も崩壊されていて内部が露出しており、壁の一部は破損した状態で放置されていました。支石を安置して修復後、周囲47.6メートル、直径15.1メートル、高さ6.5メートルの覆墓となりました。1976年5月19日には土を高くもって碑石を立てました。碑石には「伝百済階伯将軍之墓」と書かれています。