15.9Km 2022-09-19
カンウォン道チュンチョン市ナミソムギル1
北漢江の風景や音楽、そして焼き立てのパンやペストリーが楽しめる南怡島のスウィングカフェ&ベーカリー。屋外テラスや店内のペットフレンドリーゾーンはペットと一緒に利用することができます。南怡島の歌博物館の音楽をテーマとした展示や公演も行われています。
15.9Km 2022-09-19
カンウォン道チュンチョン市ナミソムギル1
ティーブランド「ティーハウス南怡島」のシグネチャーメニューを始め、ティーベースのドリンクやデザートなどが味わえるティー専門店です。プレミアムティー商品や茶器、各種のヴィーガン商品を販売しています。
15.9Km 2022-09-19
カンウォン道チュンチョン市ナミソムギル1
スノーマンアートショップでは南怡島の雪だるまをテーマとした雑貨やペット用品を取り扱っています。南怡島オリジナルブランドの記念品を始め、さまざまな工芸品、犬や猫のペット用品やアクセサリーを販売しています。店内にはフォトゾーンも設けられています。
16.2Km 2024-12-13
キョンギド カピョングン テボンドゥミルロ 162
+82-10-4451-9390
カピョン・カルボン山の麓に位置するブルック5は、プールビラ、キッズルーム、スタンダードなど20室の多様な客室を備えた大規模ペンションだ。 プールビラ客室は5室、室内ジャングルジムと乳児浴槽、哺乳瓶消毒器、幼児便器などがあるキッズルーム客室は2室ある。 客室ごとに炊事施設とバーベキュールームがある。 ジェットバスを設置状況は別途確認が必要だ。 大人用/幼児用四季のぬるま湯プールがあり、プールの横にカフェがあり、プールのすぐ前にはドゥミル川があって夏の水遊びを楽しむのに良い。
16.2Km 2024-12-16
カンウォン特別自治道ホンチョン郡ソ面チョンジャサンギル122
+82-10-4148-8713
16.6Km 2022-03-21
京畿道 加平郡 加平邑 北漢江辺路1024
スカイラインジップワイヤーは、加平郡、京畿観光公社、(株)南怡島が環境にやさしい観光活性化のために設置したレジャー施設です。南怡島加平船着場に設置された高さ80メートルのタワーからチャラ島方向に640メートル、南怡島方向に940メートル、ワイヤーロープを利用して無動力で滑降するアジア最大級のワイヤーライディング施設です。
16.6Km 2022-09-19
キョンギ道カピョン郡プクハンガンビョンロ1024
南怡島の雪だるまをテーマとしたデザートカフェ「スノーカフェ」では、香ばしいコーヒーや各種のドリンク、ヘルシーなジェラートなど、心を込めて作られたおいしい飲み物やデザートを味わうことができます。雪だるまをテーマにしたかわいい雑貨も販売されています。
16.8Km 2024-09-04
キョンギ道ナミャンジュ市チョアン面プクハンガンロ433ボンギル186
+82-31-576-8411
雲吉山の素晴らしい風景を感じされるところ、水鐘寺
水鐘寺(スジョンサ)は京畿道(キョンギド)南楊州市(ナミャンジュシ)鳥安面(チョアンミョン)松村里(ソンチョルリ)の雲吉山(ウンギルサン)山頂近くにある奉先寺(ポンソンサ)の末寺です。
広州山脈(クァンジュサンメク)が南西に走り、縁起のよい気運が漂う雲吉山は雄壮さはないものの奥深さがある名山です。
特に水鐘寺から眺める風景は素晴らしく、さまざまな山の頂が聳え、漢江(ハンガン)本流へと流れていくすこし手前の北漢江(プッカンガン)の水の流れがまた素晴らしい風景となっているところです。
水鐘寺の創建の年代は定かではありませんが、19世紀末に各地方の寺院の沿革などをまとめ記録した書・梵宇攷 (ポンウゴ)によると、世祖がこの寺を行幸した際、地面を掘り泉を探しあて、そして鐘も発見したということから水鐘寺という名称になったという言い伝えがあります(後述の通り、寺の命名には諸説あります)。
また、1939年、寺にある石造浮屠を重修する際、1439(世宗21)年に建立された浮屠と確認されたことから、水鐘寺は朝鮮時代初期に創建されたものと推定されています。
水鐘寺は長い歳月を経て重創を繰り返しましたが、時の経過とともに本堂に当たる大雄殿や僧侶が住む寮舎(ヨサ)チェが朽ち果て、仏像もまた惨憺なものとなってしまいました。
1890(高宗27)年になり、楓溪慧一(プンゲヘイル)和尚が朝鮮王朝第26代の王・高宗(コジョン)より内幣金8000両を賜り3月27日より重創を開始、6月28日に修復を終えました。
翌年3月にはさらに4000両を下賜され、仏像4尊と幀画3軸を新たに奉安し、大法殿・羅漢殿・御香閣、そして山王閣に韓国伝統の木造建築にさまざまな彩色・模様をつける丹青(タンチョン)を施しました。
1939年には住持(住職)であった日照泰旭が大雄殿・禅楼を、1940年には霊山殿・独聖閣・山神閣・御影閣などを重建しましたが、韓国戦争(1950~53年・休戦)の時にすべて焼失してしまいました。
1975年には僧侶・慧光によって大雄宝殿を復元し、寺の規模を拡大、1999年住持の東山が選仏場や三鼎軒を重創し、今日に至っています。
1972年には八角五層石塔が、1995年には浮屠がそれぞれ京畿道有形文化財に指定され保存されています。
水鐘寺の伝説
水鐘寺にはこんな伝説がいまに伝えられています。
朝鮮時代の王・世祖が金剛山を遊覧し帰る道すがら、龍船に乗って両水湾(現在の漢江にある両水里(ヤンスリ))で一晩を過ごしていると、真夜中に忽然とどこからか、かすかな鐘の音が聞こえてきました。
次の日、人を遣わしその音がどこから聞こえてきたのか探って見ると、そこには岩窟があり、中には十八羅漢像がありました。
鐘の音は岩窟に水滴が落ちて響く音で、清らかで澄んだ音だったといいます。
世祖は何かふしぎな因縁を感じ、その場所に土台を築き、建築を匠らを呼び寺を創建しました。そして田畑を下賜し僧侶を住まわせ、この寺を水鐘寺と命名したといいます。
朝鮮時代初期の石塔の貴重な資料、水鐘寺五層石塔
1459(世祖5)年に建立された朝鮮時代初期の代表的な石塔です。
五層石塔ですが、あまり高くなく優雅でこぢんまりとしていながらも華麗な塔身の姿が全体的に気品がある石塔です。
石塔の八角址台石の各面には眼象(象の目)が写実的に刻まれており、基壇部の各面には単辦、覆仰蓮、そして眼象が華麗な姿で彫刻されています。
五層石塔の塔身は上層へ行くにつれ少しずつ小さくなっていき、塔身の先端を保護する屋蓋石の落水面が著しく垂れ下がっており、殿閣と対称をなしています。
屋蓋石の下の面は平らになっており、水平となっていることで石塔の中心の柱となっている屋身がこれを支えています。屋蓋石の支えは3段に分かれており、屋蓋石の角のそれぞれ端には鐃鈴(ヨリョン)がぶら下がっていました。これは朝鮮時代初期、京畿道一帯で流行した形式の石塔として貴重な研究資料となっています。
水鐘寺は雲吉山の中でも最も眺めがよい場所にあり、寺からは両水大橋(ヤンステギョ)をはじめ両水里や北漢江一帯がよく見えます。
水鐘寺をめぐる逸話にはこのような話があります。
朝鮮時代の王・世祖が金剛山を訪ね、その帰途、船で戻る道中で二水頭(イスドゥ=現在の両水里)で泊まることになりました。夜景を楽しんでいると、突然鐘の音が聞こえました。不思議に思った世祖は、次の日、村人を呼び、鐘の音はどこから聞こえるのかと尋ねると村人は「近所に鐘はなく、鐘の音が鳴るところといえば雲吉山の中の古い寺の跡が一箇所あるだけ」と答えました。
世祖はすぐに調べるよう命を発し、探してみると寺跡の岩窟の中に十八羅漢像が列座し、岩の隙間から水滴が垂れ、鐘の音のような音がしていることを突き止めました。これに感動した世祖は寺を建立し、その寺に水鐘寺と名付けたといいます。
また、その発見した羅漢像を奉安するために山の中腹に建立した塔が水鐘寺五層石塔と伝えられています。
しかし、その後およそ400年の間に水鐘寺は次第に衰退し、創建当時の面影はなくなってしまいます。
ようやく朝鮮時代末期になり復興の気運が高まり、1890(高宗27)年、王より楓溪慧一和尚に対して重建するよう命が下り、下賜金8000両が与えられ、翌年さらに4000両がさらに下賜され、同時に金帛紅絲を仏前に供えることとなりました。
1962年に現在の場所に移転した際、各塔身から仏像、菩薩像など18点の遺物が発見され、現在、国立中央博物館に所蔵されています。
17.0Km 2024-10-30
カンウォン特別自治道洪川郡西面翰西路1468-55
+82-33-433-2786
カンウォンド・ホンチョンに位置するユリトリートは21世紀の亭子をモチーフに建てられた空間で、建築大賞を受賞したクァク·ヒス建築家の作品だ。 計9室の客室のみをプライベートに運営しています。 全客室にフォレストビューでスパと炊事施設を備えており、インフィニティプール、バーベキュー場、カフェなど様々なサービスも提供している。
17.1Km 2025-04-01
キョンギ道ヤンピョン郡ヨンムン面ヨンムンサンロ782
中央線「龍門駅」から東北方向に約9キロメートル離れた龍門山の中腹にある龍門寺(ヨンムンサ)は、913年に大鏡大師によって建てられました。世宗大王の時代に再建され、2体の仏像と8体の菩薩像が安置されています。韓国戦争の際に多くが破壊されましたが、現在は補修され、大雄殿や鐘楼など、3つの付属施設があります。庭にある樹齢推定1,100年、高さ42メートル、根元周囲15メートルにもなる東洋最大のイチョウの木は天然記念物に指定されています。このイチョウの木は新羅の麻衣太子が国を失ったことを悲しみながら金剛山に行く途中に植えたものであるという説と、新羅の高僧・義湘大師が使っていた杖を地面に突き刺しておいたところ根が張って成長したという説があります。龍門寺から渓谷に沿って2キロメートル登ると中腹に龍の角に似た龍閣岩があり、そこから更に1キロメートル登ると100人ほどが座って休むことができるマダン岩という大きな岩があります。