ホン・サンニ青梅農園(홍쌍리 청매실농원) - エリア情報 - 韓国旅行情報

ホン・サンニ青梅農園(홍쌍리 청매실농원)

ホン・サンニ青梅農園(홍쌍리 청매실농원)

18.3 Km    71041     2024-01-29

チョンラナム道クァンヤン市タアプ面チマク1ギル55

標高1,217メートルの白雲山麓に広がる5万坪(約165,290平方メートル)の農園。梅博士と呼ばれるホン・サンニさんが数十年にわたって管理してきており、今では全国から花見客が訪れる梅の名所となりました。毎年3月になると、青梅農園では青軸梅や紅梅だけでなく、しだれ梅やサンシュユも咲き乱れます。農園内にはフォトスポットが設けられており、東屋の展望台が人気。展望台からは梅花村をはじめ、蟾津江や川向こうにある河東の町並みも一望できます。毎年春に梅の花が咲くと青梅農園を中心に梅祭りが開かれ、周辺には光陽梅花文化館があるので、あわせて訪れるとよいでしょう。

光陽梅花祭り(광양 매화축제)

光陽梅花祭り(광양 매화축제)

18.3 Km    9733     2024-02-16

チョンラナム道クァンヤン市タアプ面チマク1ギル55
+82-61-797-2721

「光陽梅花祭り(クァンヤンメファチュッチェ)」は、韓国最大の梅の群落地として有名な全羅南道光陽市多鴨面の梅花村一帯で開催されます。毎年3月に開催されており、祭り期間中には100万人以上の観光客が訪れます。

光陽 梅花村(광양 매화마을)

光陽 梅花村(광양 매화마을)

18.6 Km    30658     2023-10-26

チョンラナム道クァンヤン市タアプ面ソムジンガンメファロ1563-1

智異山のふもとを縫うようにくねくねと流れる蟾津江(ソムジンガン)に沿って行くと梅の木が至る所に植えられている蟾津村(ソムジンマウル)があります。この村の農家では穀物の代わりに山と畑に梅の木を植えており、毎年3月になると満開になった梅の花が壮観をなします。この地域の環境は梅の木の生育にちょうど良く、収穫量が一部落で年間100トンを超えます。
ここの梅は智異山の山の背に雪がまだところどころ残っている3月初旬頃から花が咲き始め、梅の収穫は智異山のツツジが咲き誇る6月頃から始まります。
梅は他の花が冬の眠りから覚める前に花が咲き、夏に虫達が動き始める前に収穫されるため、農薬いらずの果実です。梅の木の集団栽培を全国で一番初めに始めたチョン梅農園には、1930年頃にキム・オチョン(栗山)先生が植えた梅の木が数百本あり、梅を使った食品を作るのに使われる約2,000個の伝統甕器が農園の後方に並んでいます。
蟾津村では毎年、梅の花が咲く3月頃に梅花祭りが開かれます。

麗水国家産業団地(여수 국가산업단지)

19.2 Km    0     2024-02-20

チョンラナム道ヨス市ファチ洞サン183-1

麗水(ヨスク)国家産業団地は、1967年に整備された韓国最大規模の重化学工業団地です。韓国の経済発展をけん引した、歴史的にも意義深い場所です。巨大な機械設備に設置された数万の照明が華麗な夜景を作る観光スポットです。産業団地の凄まじい光が一目でお渡せる展望台と歩行デッキがあるので、観光に適しています。

国立楽安民俗自然休養林(국립 낙안민속자연휴양림)

国立楽安民俗自然休養林(국립 낙안민속자연휴양림)

19.4 Km    20415     2020-11-27

全羅南道 順天市 楽安面 民俗マウルキル1600
+82-61-754-4400

全羅線と慶全線が交差し南海高速道路と湖南高速道路が通る交通の重要地域で、交通の便が良く楽安邑城民俗村から約2キロメートルのところに位置しています。楽安邑城や周りの景観も美しく一休みするのに最適であるだけでなく、近くに松広寺や仙巌寺など伝統古寺と西山の夕焼けを同時に楽しめる住岩湖、上沙湖があったり数千もの葦が美しい海辺、そして楽安邑城民俗村で行われる文化祭りなど、観光名所も多く一年を通して楽しめる休養地です。
楽安民俗自然休養林は順天~楽安間の地方道沿いに位置した、小規模ながらも落ち着いた一般家庭の庭園のような雰囲気が漂う国立自然休養林で理想的な地理的条件を満たしており、左右には金錢山(667.9メートル)、五峰山(591メートル)という2つの大きな山に囲まれ、雨がたくさん降った日には金錢山の麓にある休養林の隠れた秘境であるチョニョの滝が絶壁の間を力強く流れる光景が美しい景観をつくります。
また、順天地域の民族祭である楽安民俗文化祭り(4月末~5月初め)と南道飲食祭(10月)が休養林に近い楽安邑城民俗村で毎年開かれ、近隣の麗水市ではチンダルレ祭りや亀船祭りが4月から5月の間に、そして宝城郡では茶香祭や日林山ツツジ祭りが5月にそれぞれ開かれます。

興国寺(麗水)(흥국사(여수))

19.7 Km    15381     2023-05-10

全羅南道 麗水市 興国寺キル160

「興国寺(フングクサ)」は、その名からもわかるように「国家が栄えればお寺も栄える」という言葉通り、国の繁栄を祈願するために建立されたお寺です。麗水国家産業団地の近くにある霊鷲山の深い森に1195年(高麗時代)に創建された興国寺境内には大雄殿(宝物)をはじめとし、円通殿(全羅南道有形文化財)、八相殿(全羅南道文化財資料)、虹橋(宝物)などの文化財が配置されています。興国寺大雄殿はピッサル門をつけて全部開放することができるようにしたことが特徴です。また大雄殿後仏幀、盧舎那仏掛仏幀、水月観音図、十六羅漢図、木造釈迦如来三尊像、銅鍾、木造地蔵菩薩三尊像・十王像一括および腹蔵遺物といった宝物を保有しています。興国寺は壬辰倭乱の時、境内に約300名の僧兵水軍が訓練をした場所として有名です。毎年4月初め頃から1ヶ月間は、興国寺大雄殿の後方にある海抜439メートルの霊鷲峰と510メートルの進礼峰に続く尾根全体がツツジの花で真っ赤に染まり、この時期には「霊鷲山ツヅジ祭り」が開催されます。

金銭山(금전산)

金銭山(금전산)

19.8 Km    10774     2021-07-19

全羅南道 順天市 楽安面 上松里

全羅南道順天にある金銭山(クムジョンサン)(海抜668メートル)は曹渓山から伸びた1つの山脈が南方に下りながら鼓動山を経てできている岩山です。
金銭山の昔の名前はセェ山でしたが約100年前に金銭山に変わったと言われています。漢字の意味を直訳すると金で出来たお金の山です。しかし実は仏家から由来した名前で、「仏様の優秀な弟子達である五百比丘(もしくは五百羅漢)金銭比丘から山の名前をとった」といわれています。

霊鷲山(麗水)(영취산(여수))

霊鷲山(麗水)(영취산(여수))

19.8 Km    29411     2024-02-23

チョンラナム道ヨス市サンアム洞

韓国南西部・全羅南道(チョルラナムド)麗水市(ヨスシ)三日洞(サミルドン)と上岩洞(サンアムドン)にまたがる小高い山・霊鷲山(ヨンチサン)。
霊鷲山はごくありふれた小高い山ですが、全国的にこの山が有名なのは、春になると山全体を赤く染めるチンダルレ(カラムラサキツツジ)が韓国国内で真っ先に見ることができるから。
韓国南東部・慶尚南道(キョンサンナムド)昌寧(チャンニョン)の火旺山(ファワンサン)、慶尚南道馬山(マサン)の舞鶴山(ムハクサン)とともに全国三大チンダルレ群生地のうちの1つに数えられています。30年から40年間咲き続ける数万株のチンダルレが33万平方メートルにわたり群生しており、毎年4月になるとチンダルレの花々で山全体が赤く染まります。

霊鷲山は小高い山ということもあり、いずれのコースもおよそ4時間程度で登ることができ、家族連れの方々におすすめの山です。
チンダルレが楽しめるイチオシのコースは、上岩(サンアム)初等学校から霊鷲山頂上、興国寺へと向かうコース。まずは上岩初等学校をスタートに、「450メートル峰(ボン)」を経て霊鷲山頂上に上ります。その後ポンウジェの峠へ一旦下り、チルレ峰に向かって再び登り、チルレ峰からはヘリコプター場、「439メートル峰」を経てその先にある分かれ道を右へ進み、興国寺(フングクサ)へと下っていきます。 「450メートル峰」から霊鷲山頂上までが素晴らしいチンダルレの姿を見ることができる区間ですが、険しい道のりのため、陽が落ちてからこの区間を進むのは危険なので、登山時間を十分考慮の上登ることが必要です。

霊鷲山では毎年4月になるとチンダルレ祭り(ツツジ祭り)が開催されます。お祭りの期間中には、霊鷲山山神祭、青少年文芸コンテスト、写真撮影大会、チンダルレ・アガシ(ミスツツジ)選抜大会、郷土料理関連行事などさまざまなイベントが開催され、チンダルレの花を見にやってきた観光客の皆様にお楽しみ頂けます。

霊鷲山という名前は、お釈迦様が最後に説法を説いたインドの霊鷲山からその名を取ったものと思われます。霊鷲山付近を登山地図で見ると、霊鷲山と進礼山(チルレサン)と分けて書かれている場合もあります。これは、国家地理情報院が2003年5月17日付でこの一帯で一番高い標高510mの山の名称を「霊鷲山」から「進礼山」へ変更する旨の変更告示したことが発端となっており、人々は今も標高439mの「439メートル峰」の正式名称・霊鷲山を、一番高い標高510mの山を呼ぶときにも「霊鷲山」と呼んでいます。

麗水半島の主山である霊鷲山は、古の時代より地元の人々から霊験あらたかな山として敬われ、雨乞いの儀式・祈雨祭や神々に祈りを捧げる場所でした。 伝統祈願道場であった錦城台(クムソンデ)があり、その下には兜率庵(トソルアム)が建てられ、今日までその姿を伝えています。朝鮮時代の地理書「東国輿地勝覧」や「湖南麗水邑誌」には兜率庵(トソルアム)とともに祈雨壇があり、大変霊験あらたかであると記録されており、地元の首領が祈雨祭を執り行い、祈雨詩を残すという伝統が大韓帝国時代末まで続いていたといいます。
また、霊鷲山に広々と広がる麓には興国寺(フングクサ)という寺があります。寺の名称の通り、国の隆盛を祈願するために建てられた寺院で、1195(高麗時代・明宗25)年に普照国師(ポジョククサ)が創建しました。興国寺の境内には大雄殿(宝物第369号)をはじめ、宝物第578号・大雄殿後仏幀画、円通殿、捌相殿などの文化財がいまだなお数多く残されています。また興国寺は壬辰倭乱(日本で言う「文禄・慶長の役」)当時、唯一、僧兵水軍がいたところとして知られており、興国寺境内にはおよそ300人の僧兵水軍が訓練を受けていたということでも有名なお寺です。

標高510メートルの山頂に立つと、南海(ナメ)の海原に浮かぶ大小さまざまな島々や漁船が一望でき、光陽湾(クァンヤンマン)や麗川(ヨチョン)工団(工業団地)、北東には光陽の白雲山(ペグンサン)、猫島(ミョド)がくっくり見えます。