9.5Km 2024-08-01
テググァンヨクシ トング シンスンギョムギル 17
+82-53-428-9980
「ピョチュンジェ伝統韓屋」は、大邱市の記念物に指定された大邱市の東区のシン·スンギョム将軍の遺跡地内にあり、周辺の自然景観が優れて静かなところであります。客室内部にトイレと現代式のバスルームがあり、外部には共用トイレとキッチンが別途であります。ユンノリ、板跳び、弓術などの伝統遊び体験が楽しめます。大邱の国際空港から10分、桐華寺まで15分、八公山のカッバウィまで20分、大邱の中心街まで30分かかります。冬季期間は運営が制限され、事前確認が必要であります。
9.5Km 2023-11-13
テグ広域市タルソン区ソンソゴンダンロ11ギル6-4
「HOTEL crape城西店」は、大邱城西産業団地近くに位置するブティックホテルです。多様なタイプの客室を運営しており、ビジネス出張客だけでなく家族連れでの利用にも便利です。また近くにMODAアウトレットがあり、ショッピングに最適です。車で約10分のところに映画・ドラマのロケ地にもなる啓明大学の城西キャンパスがあり、キャンパス内の啓明アートセンターで公演を楽しむのにも便利な他、近くに秋の葦原名所であるテミョン遊水地があります。
9.6Km 2023-11-09
テグ広域市タルソ区ファアムロ342
+82-53-803-7270
1986年から1990年まで約74,000坪の敷地に410万トンのゴミが埋め立てられた場所で、環境問題を解決するために樹木園が造成されました。
「大邱樹木園(テグスモグォン)」には針葉樹園、広葉樹園、花木園、野生草花園、薬用植物園、染料園など21種類のさまざまな庭園があり、そこには約400種6万本の木や、1,100の花壇に約800種13万株の草花類、40種300点の盆栽、200種2,000点のサボテンなどが展示されています。また、大邱樹木園ではこどもや学生を対象とした体験教室も行われています。こども自然学校は夏休みの間に開かれ、学生のためのグリーンスクールは小中高生を対象に行われるプログラムです。この他、造園教育指導者の教育などのイベントも行われます。
9.8Km 2024-02-29
テグ広域市タルソン郡カチャン面カチャンロ891
+82-1688-8511
大邱(テグ)スパバレーは様々な水遊び施設や温泉が楽しめるオールシーズン利用可能なウォーターパークです。250メートルの流水プール、スピードスライダー、ジャングルアクア、温泉サウナ、アクアプレイなど、屋内と屋外に水遊び場があります。日帰りや1泊2日のウォーターパーク水遊び体験プログラムが用意されています。
9.9Km 2024-02-29
テグ広域市トン区オッコルロ195-5
名品(ミョンプム)オッコル1616協同組合は、大邱(テグ)で一番古いオッコル村が運営する企業です。200年以上前に建てられた韓屋で宿泊できる韓屋ステイ、解説者と一緒に巡る村ツアー、韓国伝統文化(茶食(タシク)体験、韓服体験、書堂体験、餅つき、投壺、チェギチャギ、碑石打ち)、韓屋カフェで味わう伝統飲料が体験できます。
10.0Km 2024-02-15
テグ広域市タルソ区テチョン洞816
大明(テミョン)遊水地は、洛東江(ナクトンガン)、琴湖江(クムホガン)、大明川(テミョンチョン)、辰泉川(チンチョンチョン)が合流する達成湿地(タルソンスプチ)の隣に位置しているため、ジムグリガエルの他にもヤマネコ、イタチ、チョウゲンボウ、キバノロなど多様な野生の動植物が生息する生態資源の宝庫です。一帯にはジムグリガエル棲息地、展望台、生態探訪路、フォトゾーン、ジムグリガエル生態学習場があります。デッキ散策路を中心としてススキとアシが広がっているため秋の撮影スポットとなっています。
10.0Km 2020-10-20
大邱広域市 寿城区 ユニバーシアード路180
+82-53-602-2033
「大邱(テグ)スタジアム」は、2002年のワールドカップが行われた場所です。スタジアムを覆う屋根は韓国伝統の屋根をイメージして作られたもので、美しい曲線美が特徴です。地上3階、地下3階規模のスタジアムには約6万6千席の観客席があり、万一の事故や災害の際には観客全てが7分以内に外に脱出できるという効率的な設計が為されています。
10.4Km 2022-09-20
テグ広域市タルソン郡ファウォン邑インフン3ギル16
+82-53-668-3162
南平(ナムピョン)文氏(ムンシ)の中興の祖として知られる三憂堂(サムダン)文益漸(ムン・イクチョム)の子孫が大邱(テグ)の地に移り住んだのはおよそ500年前。そしてここ、現在の大邱広域市達城郡(タルソングン)の仁興(インフン)に定住したのはその18代目にあたる仁山斎(インサンジェ)文敬鎬(ムン・ギョンホ=1812~1874年)の時でした。
文敬鎬は文氏一族だけで村を作る計画を立て、元々、高麗時代の名刹・仁興寺(インフンサ)があった場所に居を構え、今日の仁興マウルの村を新たに作り上げたと言われています。
この先祖代々からの地に最初に建てられた建物は1820年前後に造られた斎室・龍湖斎(ヨンホジェ)で、現在の広居堂(クァンゴダン)のある場所にあたります。
邸宅として使い始めたのは1800年代後半で、当初は草葺屋根の建物でしたが、以降100年の歳月を経て今日の村が形作られました。
現在、およそ70軒あまりの瓦屋根の韓屋が村の中に整然と建ち並ぶこの村は、築200年未満の建物ではありますが、伝統的な慶尚道(キョンサンド)・嶺南(ヨンナム)地方の両班の家屋の形式を踏襲しており、村の作りと周囲の景観と相まって、他では見受けられない特徴ある村と言えるでしょう。