吾魚寺(浦項)(오어사(포항)) - エリア情報 - 韓国旅行情報

吾魚寺(浦項)(오어사(포항))

17.4Km    38520     2023-01-30

キョンサンブク道ポハン市ナム区オチョン邑オオロ1

雲梯山(ウンジェサン)吾魚寺(オオサ)は、仏陀の奥ゆかしい香りが漂い、龍に包まれているような湖と奇岩絶壁が一幅の絵画のように調和している場所で、新羅の4大祖師を輩出した聖地でもあります。新羅時代の第26代真平王のときに創建された寺院で、当初は恒沙寺と呼ばれました。元暁大師と恵空禅師がここで修行した際、二人は仏法の力で川の死んだ魚を生き返らせることを競い合いました。1匹は死んだままでしたが、もう1匹は生き返って力強く泳いだので、その魚を自分が生き返らせたと二人とも言い張ったのです。そこで自分という意味の「吾」と「魚」の字を取って吾魚寺と名付けられたそうです。大雄殿は正面3間・側面2間の入母屋造りの多包閣で、朝鮮時代の英祖17年(1741)に建て直されました。寺院の周辺は、雲梯山の雄大な自然と吾魚池が調和した景色が壮観で、奇岩絶壁の上の慈蔵庵や吾魚寺の西側には元暁庵が建っています。大雄殿(慶尚北道文化財)、宝物に指定されている銅鐘、元暁大師の笠、その他多くの遺物が保管されています。

祗林寺(기림사)

祗林寺(기림사)

17.7Km    13270     2022-09-21

キョンサンブク道キョンジュ市ヤンブク面キリムロ437-17

「祗林寺(キリムサ)」は、慶州市陽北面の含月山にある新羅時代の寺で、16棟からなり、この時代の寺としては仏国寺に次いで大きな規模です。新羅初期に、天竺国の沙門の光有聖人が創建したと伝わっています。初めは林浄寺と呼ばれ、元暁が寺を拡大し、祗林寺に改称したと言われていますが、正確な建立年はわかっていません。
祗林寺は、毘盧舍那仏のある大寂光殿をはじめ、樹齢500年以上になる大きな菩提樹や木塔跡のある区域と、聖宝博物館、観音殿などのある区域の大きく2つの区域に分かれています。新羅・善徳女王の時代に初めて建てられた後、6回にもわたり再建された大寂光殿は、端正で勇壮です。
また、祗林寺は5種類の味のする水で有名です。五種水と呼ばれており、お茶を沸かして飲めば味が最高だという甘露水、飲むと心が落ち着くという和静水、体を丈夫にする将軍水、目がよく見えるようになる明眼水、水の色が良くカラスがついばんだという烏啄水があります。日帝強占期に将軍が生まれることを恐れ、水源を絶ったという将軍水を除く4つの水は今も残っています。
その他、祇林寺に行く途中には、12の石窟でなる骨窟寺があります。もともとは祇林寺の山内の庵子(大きな寺に付属する小さな寺)でしたが、寺が独立し禅武道の本山となり、韓国全国に禅武道を広めています。

主要文化財
慶州祇林寺乾漆菩薩半跏像(宝物)
慶州祇林寺大寂光殿(宝物)
慶州祇林寺塑造毘廬遮那三仏坐像(宝物)
慶州祇林寺塑造毘廬舍那仏腹蔵典籍(宝物)

慶州良洞村[ユネスコ世界遺産(文化遺産)](경주 양동마을[유네스코 세계문화유산])

慶州良洞村[ユネスコ世界遺産(文化遺産)](경주 양동마을[유네스코 세계문화유산])

17.8Km    41353     2022-11-28

キョンサンブク キョンジュ市カンドン面ヤンドンマウルギル134

良洞(ヤンドン)民俗村は、朝鮮時代の伝統文化や自然をありのままに残す韓国で最大規模を誇る同じ氏族が集まり形成された村・集姓村で、月城(ウォルソン)孫氏(ソンシ)と驪江(ヨガン)李氏(イシ)によって形成されています。
良洞村(ヤンドンマウル)には国宝、宝物、民俗資料があり、村全体が国家民俗文化財に指定されています。村の規模や保存状態、数多くの文化財とその伝統性、美しい自然環境や昔から変わらない郷土の風情など、良洞村ならではの見どころが多く、1993年にはイギリスのチャールズ皇太子も訪れました。
その昔栄華を極めた名門一族の名残や当時の人々の暮らしぶりがうかがえる築200年を超える古い韓屋が54戸残っており、朝鮮時代中期以降の多様で特色ある伝統家屋の構造を一ヶ所で見ることができます。
訪問前に村の地図や探訪コース、文化財の位置を確認してから巡ることをおすすめします。また、良洞民俗村には住民が生活をしているため巡る際には迷惑をかけることのないように注意してください。

トルハルメ(永川)(돌할매(영천))

トルハルメ(永川)(돌할매(영천))

17.8Km    32873     2024-02-23

キョンサンブク道ヨンチョン市プガン面クァン里417番地

トルハルメ(永川(ヨンチョン))は、数百年前から村人たちにとって崇拝の対象だった、占いができる石です。両手で石を持ち上げ、石が持ち上げられると願いが叶わず、石がまったく動かないと願いが叶うと言われています。楕円形で直径25センチメートル、重さ約10キログラムで、石の周りにはトルハルメ公園と造形物があります。周辺の観光スポットとして、万仏寺(マンブルサ)、道渓(トゲ)書院があります。

香壇 (향단)

香壇 (향단)

18.1Km    46062     2024-08-05

キョンサンブクト キョンジュシ ヤンドンマウルギル 121-83
+82-10-6689-3575

慶州市の良洞村にある「ヒャンダン」は、国家宝物に指定された名品古宅で、年老いた母親のために建てたところという話が、ここをさらに美しくします。元は99間だったが、火災で焼失し、現在は60間余りが残っています。斜面をそのまま利用して家を建てたため、ヘンランチェ、母屋、サランチェなどの建物の高低が各々であります。母屋、ブソクチェ、ヘンランチェで宿泊ができ、木版·茶道·天然染色の体験及び礼儀教育などの様々な体験プログラムを楽しめます。 

慶州 骨窟庵 磨崖如来坐像(경주 골굴암 마애여래좌상)

18.4Km    20128     2022-12-09

キョンサンブク道キョンジュ市ヤンブク面キリムロ101-5

祗林寺の谷間にある骨窟庵には、高い岩壁の自然洞窟を使った12つの石窟があり、磨崖如来坐像はその中でも最上部にある磨崖仏です。朝鮮時代の画家、謙斎・鄭歚(キョムジェ・チョン・ソン:謙斎は号)が描いた骨窟石窟には木造前室も描写されましたが、現在はうっすらとその跡だけが残っています。磨崖仏頭部は常套(昔韓国の結婚した男の結い上げた髷)の形をした頭と、はっきりとした輪郭、顔には細い目、小さな口、細長い鼻などそれまで作られていた仏像の形式とは少し異なる独特な姿をみることができます。立体感が目立った顔に比べて身体は平面的に表現されていましたが、現在は首と胸の上の部分が劣化などにより一部損傷しています。服のしわは主に規則的な平行線で描かれ、脇の間には腕と体の屈曲を表示したV字型の模様があります。このような特徴は867年につくられた鷲棲寺毘盧舎那仏坐像(国宝)と類似しているため統一新羅時代後期につくられたものと推定されています。

骨窟寺(慶州)(골굴사(경주))

骨窟寺(慶州)(골굴사(경주))

18.6Km    21460     2024-02-27

キョンサンブク道キョンジュ市ヤンブク面キリムロ101-5

骨窟寺(コルグルサ)は、慶州市街と東海の間にそびえ立つ含月山(ハムォルサン)に位置している仏教寺院です。1,500年以上の歴史をもち、12の石窟に多くの仏像が保存されています。韓国仏教の 修行方法である「禅武道」の伝統を継承し、禅武道公演を観賞することができます。テンプルステイプログラムもあるので韓国のお寺文化が体験できます。

玉山書院[ユネスコ世界遺産(文化遺産)](옥산서원 [유네스코 세계문화유산])

19.3Km    22969     2022-12-26

キョンサンブク道キョンジュ市アンガン邑オクサンソウォンギル216-27

玉山書院(オクサンソウォン)は、朝鮮時代の性理学者・晦斎(フェジェ)李彦迪(イ・オンジョク)を祀るとともに儒学の後進育成のため1572(宣祖5)年に建立され、翌年には当時の王が書院の名を下賜した由緒ある書院です。この書院は、朝鮮後期、興宣大院君(フンソンデウォングン)による書院撤廃令の適用から免れた47の書院のうちのひとつで、それぞれの建造物の建築的意義は大きくありませんが、空間的な配置が特徴的で注目されています。玉山書院から北におよそ700メートル離れたところには晦斎・李彦迪が別荘兼書斎として使っていた独楽堂(トンナクタン)があります。