観光 - 韓国旅行情報

求礼 山茱萸村(구례 산수유마을)

求礼 山茱萸村(구례 산수유마을)

2022-10-12

全羅南道 求礼郡 山洞面 位安月渓キル6-12
+82-61-783-9114

山茱萸村の乳山(ユサン)は痩せた土地に農業を営むことが難しいところですが、毎年春の訪れを知らせる山茱萸(サンシュユ)の花が咲くと智異山(チリサン)を訪れる人々が数多くやってきます。
標高400メートルに位置する全羅南道求礼郡山洞面位安月渓の山茱萸村は、毎年3月になると黄色い山茱萸で満開になります。白頭山から連なる山系・白頭大幹にある万福台の水脈をいただく山洞浄水場は2010年韓国全国で最優秀の水質ということで大統領賞を受賞し、ミネラルウォーター工場、ゲルマニウムを含む智異山温泉岩盤水や最高の水質の水の里となっています。
ここで育つ山茱萸(サンシュユ)は全国の70パーセント以上を占め、9月の日差しと日照条件が韓国で最高の品質の山茱萸の実を作り出します。
山村生態村である山茱萸村は、春には山茱萸祭り、夏には水落瀑布、秋には山茱萸の実祭りがあり、冬には万福台の雪景色と、癒しをもたらす最高の観光地となっています。
また山茱萸村は山茱萸古道トレッキングや大東與地図古道歩きなど智異山のトレッキングコースである智異山トゥレキルの7つの区間に隣接する地域でもあり、サンウィからミョボンチまでの登山路、タンゴルから性三ジェ(峠)までの登山路、智異山温泉での休息を兼ねた観光など健康や癒しをもたらす様々な旅行ができるところです。

十里桜並木(십리벚꽃길)

十里桜並木(십리벚꽃길)

2023-03-29

キョンサンナム道ハドン郡ファゲ面ファゲロ142

花開(ファゲ)の桜は十里桜としてよく知られた沿道沿いの桜並木です。この道をカップルが手をつないで歩くと、一生涯一緒にいられるという言い伝えがあり「ウエディングロード」「婚礼の道」などと呼ばれています。

孟芳桜並木(맹방 벚꽃길)

孟芳桜並木(맹방 벚꽃길)

2018-03-12

江原道 三陟市 近徳面 三陟路

三陟市の孟芳(メンバン)海水浴場付近の国道7号線沿いに桜並木があり、毎年4月になると薄紅色の桜が満開に咲き乱れる様子を観ることができます。

桜並木は三陟市の南のハンチジェという峠を越えて、近徳面へ入った後、ハンチミッ村から孟芳海水浴場入口を過ぎて交柯里(キョガリ)の三陟マイスター高等学校(旧三陟電子工業高校)に至るまでの約4kmの沿道にあります。
この場所の桜は樹齢が20年程度の比較的若い木々で根元もさほど太くありませんが、一直線上にずっと伸びた街路沿いに植えられており、幻想的な桜のトンネルを形作っています。

この地域の桜は毎年4月15日前後に一斉に咲きます。しかし海岸に近いことから強い雨風が一度吹き付けると、桜の花びらが散ってしまい葉桜になってしまい、満開の桜の花見ができる期間が短くなってしまうという短所があります。

桜の桜並木から海岸の方へ少し足を伸ばすと、遠浅で砂が綺麗で「明沙十里」という別名がつくほど美しい孟芳海水浴場の海岸があります。三陟市では桜並木や孟芳海岸、愛の逸話がつまった海神堂、東洋最大の石灰岩洞窟である幻仙窟の内部の「愛の誓いエリア」、汀羅津海岸道路などを一括りにして「恋人達のテーマ紀行コース」として紹介しています。

※開花時期ー毎年4月中旬
※孟芳桜並木-三陟市近徳面上孟芳里(ハンジェミッ村)~交柯里(約4km)
※孟芳菜の花畑-三陟市近徳面上孟芳里(桜並木そば、16,529平方メートル)

延南洞(연남동)

延南洞(연남동)

2024-03-19

ソウル特別市マポ区ヨンナム洞一帯

延南(ヨンナム)洞は、ホンデイック駅の近くにあり、若い芸術家やヒップスターが集まるようになり、ソウルの人気スポットになりました。アートスペースが密集しており、路地ごとにユニークなコンセプトのカフェが建ち並び、飲食店もたくさんあります。ゲストハウス、セレクトショップ、ファッションショップが多く、京義線林道を公園に造成したヨントラルパークもあります。

旧(日本)第一銀行仁川支店(現・仁川開港博物館)(구)인천일본제일은행지점(현, 인천개항박물관))

旧(日本)第一銀行仁川支店(現・仁川開港博物館)(구)인천일본제일은행지점(현, 인천개항박물관))

2018-06-28

仁川広域市 中区 新浦路23番キル 89

日本の第一銀行仁川支店は当初釜山支店の出張所として開設、1899年に仁川支店に昇格し、1909年韓国銀行が設立されると韓国銀行仁川支店となりました。1911年朝鮮銀行に改編されたことにより、同支店も朝鮮銀行仁川支店となりました。

1899年に211.57平方メートル(64坪)の平屋の石造建築であるこの建物は砂・砂利・石灰を除く壁石・石材・セメント・木材など一切の建材を日本から持ち込み、外壁には花崗岩を使用、建物の軒の上には側面に丸い穴が開けられたパラペット欄干が設置されています。建物のデザインは後期ルネッサンス建築様式を模し単純化させたものです。
現在は仁川開港博物館としてこの建物が使われています。

天安サムゴリ公園(천안삼거리공원)

2021-03-11

忠清南道 天安市 東南区 忠節路 410
+82-41-550-2445

朝鮮時代、首都・漢陽(現在のソウル)から忠清道(チュンチョンド)・全羅道(チョルラド)・慶尚道(キョンサンド)の三地方に向かう古の街道・三南大路(サムナムデロ)の分かれ道にあたる天安(チョナン)サムゴリ(三叉路)。三南大路は漢陽から南へ進み、ここ天安の地で二手に分かれます。一つは並川(ピョンチョン)を経て、清州(チョンジュ)、聞慶(ムンギョン)セジェの山越え、尚州(サンジュ)、永同(ヨンドン)、金泉(キムチョン)、大邱(テグ)、慶州(キョンジュ)、東莱(トンネ=現在の釜山)へと続く道で、もう一つは公州(コンジュ)を経て、論山(ノンサン)、全州(チョンジュ)、光州(クァンジュ)、順天(スンチョン)、麗水(ヨス)、木浦(モッポ)へと通じる道です。
贅を尽くした行列が通ったり、しがないソンビ(学者)が長旅で痛めた脚を休ませる場所でもあった天安サムゴリは、様々な言い伝えや民謡が残されている場所でもあります。中でも民謡の天安サムゴリ興打令(フンタリョン)は陽気な民謡の代名詞で、多くの人々が興に乗じて楽しめる民謡です。
この由緒ある天安サムゴリを観光地化するため、街路樹には枝垂れ柳を植え、池の畔には朝鮮時代に天安に置かれた行宮(離宮)・華祝館(ファチュッカン)の門楼・永南楼(ヨンナムル)を移築して造られたのが天安サムゴリ公園です。この公園では毎年、興打令祭りなど数多くのさまざまな文化行事が行わています。

群山・開井面 旧日本人農場倉庫(군산 개정면 구 일본인농장 창고)

2024-09-11

チョンブク特別自治道 群山市 開井面 パルメキル 53-5

2005年国家登録文化財に指定された嶋谷金庫は日帝強占期の群山(クンサン)地域を代表する農場主であった嶋谷八十八が1920年代に建てた蔵です。
嶋谷は韓民族の文化財収集に関心を寄せ、鉢山里石塔や五重石塔をはじめとした数多くの芸術品を不法に収集した人物です。この建物は嶋谷が収集した骨董品を保管していた場所でした。
建物は3階建てのコンクリート作りで入口には鉄製の金庫の扉がついています。
窓は鉄格子と鉄板の二重構造の仕掛けとなっています。
現在、鉢山初等学校の場所に農場を持っていた嶋谷八十八は日本の山口県玖珂郡出身で、日本において酒造業で財を成し清酒の原料である廉価の米を求めこの群山に来た人物でした。
1903年12月当時7万円で鉢山里周辺の土地を買収し農地を開き始め、1909年になると臨陂(イムピ)のほか2つの面に486町歩の農地を所有する農場主となりました。
土地に対する執着がとても強かった嶋谷は韓国が解放された後、アメリカ軍政庁に韓国人になるべく帰化申請し、他の日本人が帰国した後も最後まで帰国を拒否、そのため嶋谷は群山の最後の日本人農場主という別名で呼ばれることになりましたが、結局、米軍政庁の強制的な勧告により鞄二つだけを手に釜山港から最後の帰国船に乗らなければなりませんでした。
この建物は半地下である1階部分と地上部分2階分ある総3階建て構造の一体型で作られ、内部の各階は板の間で仕切られた建物です。外部へ通じる窓には鉄格子があり、その外側へ鉄の扉がつけてあり2重の防犯となっています。
出入口にはUSAのマークが鮮明にある扉があり、第二次世界大戦以前にアメリカから輸入した輸入品であることがわかります。金庫の半地下には生地や食料品があったといわれ、2階には農場の重要書類や現金が、3階には韓国の古美術品が多数所蔵してあったといいます。


京義線ブックストリート(경의선책거리)

2024-03-19

ソウル特別市マポ区ワウンサンロ37ギル35

京義(キョンウィ)線ブックストリートは、ホンデイック駅6番出口から臥牛(ワウ)橋までの約250メートル区間で、昔の鉄道がそのまま残されています。様々なテーマの本を販売する書店と文化施設があり、独立書店、児童書店、専門書店、アートギャラリーなど様々な形態の書店が集まっている弘大を代表する文化スポットです。

襄陽 揚水発電所 広報館(양양 양수발전소 홍보관)

2021-05-18

江原道 襄陽郡 西面 サンヤッコルキル 10

ふたたび使い、貯める電気、揚水発電所
襄陽(ヤンヤン)揚水発電所は韓国国内最大規模の揚水発電所で、エネルギーワールドはその広報館です。揚水発電は発電に使った水を再利用し、下に流れた水を電力需要の少ない夜間電力を使い貯水池にくみ上げふたたび翌日その水を還流させて発電に使う方式です。この揚水発電の原理を学び、その過程を体験型展示物を通じて知ることができます。

茅島(모도)

2021-06-15

全羅南道 珍島郡 義新面 茅島キル 12-3

1929年ごろ金海金氏が済州島を訪れた際、この島がティブル(茅)で覆われていたことからティソム(茅島)と呼ばれるようになりました。茅で屋根を葺いた家が多かったことからティソムと呼ばれたという説もあり、現在では島名を漢字で表記し茅島(モド)と呼ばれています。