観光 - 韓国旅行情報

曽島 羽田海水浴場(증도 우전해수욕장)

曽島 羽田海水浴場(증도 우전해수욕장)

2021-10-23

全羅南道 新安郡 曽島面 智島曽島路 1684

曽島(チュンド)羽田(ウジョン)海水浴場は、木浦(モッポ)から49.4km、同じ郡内の全羅南道(チョルラナムド)新安郡(シンアングン)智島邑(チドウプ)からは沖に3km、北緯35度0分、東経126度1分の地点にあり、西は慈恩面(チャウンミョン)、南は岩泰面(アムテミョン)、北東には智島邑(チドウプ)、そして北西には荏子面(イムジャミョン)と接しています。
近くには韓国最大の塩の生産地である太平(テピョン)塩田があり、その塩田をさらに進むと南東側の海岸の羽田里(ウジョルリ)には羽田海水浴場があります。羽田海水浴場の砂浜は水辺までの幅が100メートル、全長4キロメートルほどで、沖には90を越える無人島が水平線に点々と浮かんで美しい光景をなしています。澄んできれいな海水や周辺の鬱蒼とした松林が涼しげで、夏の避暑にうってつけの場所です。
特にこの干潟にはゲルマニウム成分が多く含まれており、毎年夏には「ゲルマニウム干潟祭り」が開催されています。また、新安郡ではゲルマニウム成分入りの「新安マッド化粧品」を開発・販売しており、現在、有限会社新安マッドから商品を発売しています。新安マッド化粧品はゲルマニウム、ミネラル、アルギン酸が他の地域の泥より多く含まれ粒子が細かいのが特長。綺麗な海域で採取した干潟の泥を使い、皮膚を活性化させるさまざまな成分により皮膚の保湿効果や弾力性向上、毛根管理などにその効果を期待できます。
また北側の道徳島(トドクト)近くの宋・元代遺物埋蔵海域(国家指定文化財史跡)では600年以上海中で眠っていた宋・元代の陶磁器など、23,024点の遺物が発掘され、韓国国内のみならず世界から注目されています。
曽島は四方が海に囲まれているため、塩田が多くつくられており、海苔の養殖も盛んです。
2010年3月には曽島と沙玉島(サオクト)を繋ぐ曽島大橋が開通し、車で橋を渡って島に行けるようになりました。

アルペンシアオーシャン700(알펜시아 오션700)

アルペンシアオーシャン700(알펜시아 오션700)

2020-04-02

江原道 平昌郡 大関嶺面 ソルボン路325
+82-33-339-0100

世界で最も美しく、楽しいをモットーにしたリゾート「アルペンシアリゾート」は、他のリゾートにはない、ユニークなプログラムが充実していることで知られています。人体の生体リズムに最も合った標高700メートル、大関嶺の自然豊かな高原にあるファミリーウォーターパーク「オーシャン700」は、波打つ海岸をイメージして造られました。一年中くつろげるよう、屋内設備を中心に設計されており、ひと味違った休息や楽しみを味わえます。

京畿南楊州鳥安(スローシティ)(경기 남양주 조안 [슬로시티])

京畿南楊州鳥安(スローシティ)(경기 남양주 조안 [슬로시티])

2022-11-02

キョンギ道ナミャンジュ市チョアン面プカンガンロ413

鳥安(チョアン)は2010年11月に首都圏で初めてスローシティとなった場所です。八堂から楊平から大成里に続く南漢江沿いに自転車道路があります。また、雲吉山駅から馬鎮山城、水鍾寺、松村独立公園を過ぎてスローシティ文化館を見るコースがあります。鳥安面には12の村があり、有機農で栽培されたイチゴや梨、稲と萩で作られ工芸品が特産物として有名です。

舟論聖地(배론성지)

舟論聖地(배론성지)

2021-04-26

忠清北道 堤川市 鳳陽邑 舟論聖地キル296

「舟論聖地(ペロンソンジ)」は、迫害を避けて隠遁しながら甕器(オンギ)を焼いて生計を立てていたカトリック信者の村です。舟論という地名は村の位置する谷間の形が船の底ように見えることから付けられました。1801年の辛酉(シニュ)迫害のとき、ここで黄嗣永(ファン・サヨン)が当時の迫害状況や、信仰の自由と教会の再建を要請する白書を土窟の中に隠れて執筆しました。また、1855年から1866年までここに韓国初の近代式教育機関である舟論神学校がありました。1861年に逝去した韓国で2番目の司祭である崔良業(チェ・ヤンオプ)の墓や、1866年の丙寅(ピョンイン)迫害の殉教者である南鍾三(ナム・ジョンサム)の生家もあります。

太平塩生植物園(태평염생식물원)

太平塩生植物園(태평염생식물원)

2021-04-27

全羅南道 新安郡 曽島面 曽東里
+82-61-275-7541

ユネスコ生物多様性保全区域に指定され、世界的にもその名が広く知られている全羅南道(チョルラナムド)新安郡(シンアングン)曽島(チュンド)の太平(テピョン)塩田干潟湿地。ここに韓国最高の塩生植物園・太平塩田塩生植物園があります。太平塩田11ヘクタールの塩田に作られた塩生植物園には、自然の干潟に生息しているさまざまな塩生植物の群生地を観察することができ、アッケシソウ、マツナ、シチメンソウ、ハママツナなど、およそ70種がさまざまな色をつけ群生している姿や、環境汚染されている場所では育つことのないチガヤが見事にたくさん生えている様子も見ることができます。また、およそ220メートルの探訪路を歩いていくと、塩生植物だけでなく、ムツゴロウ、ヤマトオサガニ、アシハラガニ、マキガイなど、様々な干潟生物を近くで観察することができます。

水鐘寺(수종사)

水鐘寺(수종사)

2024-09-04

キョンギ道ナミャンジュ市チョアン面プクハンガンロ433ボンギル186
+82-31-576-8411

雲吉山の素晴らしい風景を感じされるところ、水鐘寺
水鐘寺(スジョンサ)は京畿道(キョンギド)南楊州市(ナミャンジュシ)鳥安面(チョアンミョン)松村里(ソンチョルリ)の雲吉山(ウンギルサン)山頂近くにある奉先寺(ポンソンサ)の末寺です。
広州山脈(クァンジュサンメク)が南西に走り、縁起のよい気運が漂う雲吉山は雄壮さはないものの奥深さがある名山です。
特に水鐘寺から眺める風景は素晴らしく、さまざまな山の頂が聳え、漢江(ハンガン)本流へと流れていくすこし手前の北漢江(プッカンガン)の水の流れがまた素晴らしい風景となっているところです。
水鐘寺の創建の年代は定かではありませんが、19世紀末に各地方の寺院の沿革などをまとめ記録した書・梵宇攷 (ポンウゴ)によると、世祖がこの寺を行幸した際、地面を掘り泉を探しあて、そして鐘も発見したということから水鐘寺という名称になったという言い伝えがあります(後述の通り、寺の命名には諸説あります)。
また、1939年、寺にある石造浮屠を重修する際、1439(世宗21)年に建立された浮屠と確認されたことから、水鐘寺は朝鮮時代初期に創建されたものと推定されています。

水鐘寺は長い歳月を経て重創を繰り返しましたが、時の経過とともに本堂に当たる大雄殿や僧侶が住む寮舎(ヨサ)チェが朽ち果て、仏像もまた惨憺なものとなってしまいました。
1890(高宗27)年になり、楓溪慧一(プンゲヘイル)和尚が朝鮮王朝第26代の王・高宗(コジョン)より内幣金8000両を賜り3月27日より重創を開始、6月28日に修復を終えました。
翌年3月にはさらに4000両を下賜され、仏像4尊と幀画3軸を新たに奉安し、大法殿・羅漢殿・御香閣、そして山王閣に韓国伝統の木造建築にさまざまな彩色・模様をつける丹青(タンチョン)を施しました。
1939年には住持(住職)であった日照泰旭が大雄殿・禅楼を、1940年には霊山殿・独聖閣・山神閣・御影閣などを重建しましたが、韓国戦争(1950~53年・休戦)の時にすべて焼失してしまいました。
1975年には僧侶・慧光によって大雄宝殿を復元し、寺の規模を拡大、1999年住持の東山が選仏場や三鼎軒を重創し、今日に至っています。
1972年には八角五層石塔が、1995年には浮屠がそれぞれ京畿道有形文化財に指定され保存されています。


水鐘寺の伝説
水鐘寺にはこんな伝説がいまに伝えられています。
朝鮮時代の王・世祖が金剛山を遊覧し帰る道すがら、龍船に乗って両水湾(現在の漢江にある両水里(ヤンスリ))で一晩を過ごしていると、真夜中に忽然とどこからか、かすかな鐘の音が聞こえてきました。
次の日、人を遣わしその音がどこから聞こえてきたのか探って見ると、そこには岩窟があり、中には十八羅漢像がありました。
鐘の音は岩窟に水滴が落ちて響く音で、清らかで澄んだ音だったといいます。
世祖は何かふしぎな因縁を感じ、その場所に土台を築き、建築を匠らを呼び寺を創建しました。そして田畑を下賜し僧侶を住まわせ、この寺を水鐘寺と命名したといいます。


朝鮮時代初期の石塔の貴重な資料、水鐘寺五層石塔
1459(世祖5)年に建立された朝鮮時代初期の代表的な石塔です。
五層石塔ですが、あまり高くなく優雅でこぢんまりとしていながらも華麗な塔身の姿が全体的に気品がある石塔です。
石塔の八角址台石の各面には眼象(象の目)が写実的に刻まれており、基壇部の各面には単辦、覆仰蓮、そして眼象が華麗な姿で彫刻されています。
五層石塔の塔身は上層へ行くにつれ少しずつ小さくなっていき、塔身の先端を保護する屋蓋石の落水面が著しく垂れ下がっており、殿閣と対称をなしています。
屋蓋石の下の面は平らになっており、水平となっていることで石塔の中心の柱となっている屋身がこれを支えています。屋蓋石の支えは3段に分かれており、屋蓋石の角のそれぞれ端には鐃鈴(ヨリョン)がぶら下がっていました。これは朝鮮時代初期、京畿道一帯で流行した形式の石塔として貴重な研究資料となっています。

水鐘寺は雲吉山の中でも最も眺めがよい場所にあり、寺からは両水大橋(ヤンステギョ)をはじめ両水里や北漢江一帯がよく見えます。
水鐘寺をめぐる逸話にはこのような話があります。
朝鮮時代の王・世祖が金剛山を訪ね、その帰途、船で戻る道中で二水頭(イスドゥ=現在の両水里)で泊まることになりました。夜景を楽しんでいると、突然鐘の音が聞こえました。不思議に思った世祖は、次の日、村人を呼び、鐘の音はどこから聞こえるのかと尋ねると村人は「近所に鐘はなく、鐘の音が鳴るところといえば雲吉山の中の古い寺の跡が一箇所あるだけ」と答えました。
世祖はすぐに調べるよう命を発し、探してみると寺跡の岩窟の中に十八羅漢像が列座し、岩の隙間から水滴が垂れ、鐘の音のような音がしていることを突き止めました。これに感動した世祖は寺を建立し、その寺に水鐘寺と名付けたといいます。
また、その発見した羅漢像を奉安するために山の中腹に建立した塔が水鐘寺五層石塔と伝えられています。

しかし、その後およそ400年の間に水鐘寺は次第に衰退し、創建当時の面影はなくなってしまいます。
ようやく朝鮮時代末期になり復興の気運が高まり、1890(高宗27)年、王より楓溪慧一和尚に対して重建するよう命が下り、下賜金8000両が与えられ、翌年さらに4000両がさらに下賜され、同時に金帛紅絲を仏前に供えることとなりました。
1962年に現在の場所に移転した際、各塔身から仏像、菩薩像など18点の遺物が発見され、現在、国立中央博物館に所蔵されています。

朴達峠(박달재)

朴達峠(박달재)

2020-12-23

忠清北道 堤川市 鳳陽邑 院朴里

忠清北道(チュンチョンプクド)堤川市(チェチョンシ)鳳陽邑(ポンヤンウプ)院朴里(ウォンパンニ)と白雲面(ペグンミョン)を隔てる険しい峠・朴達峠(パクタルジェ=朴達ジェ)。
その昔、パクタルとクムボンの悲恋の話が言い伝えられている峠で、堤川市ではこの二人の主人公をキャラクター化し、「パクタリとクムボンイ」という名前で各種キャラクター商品の開発・広報に取り組んでいます。
峠の入口には寺の入口として設けられている一柱門が建てられ、訪れる人々の格好の観光スポットになっています。
また、朴達峠の観光地化事業も同時に推進、訪れた人々の思い出に残る名勝地として整備を進めています。

平沙里平野(평사리들판)

平沙里平野(평사리들판)

2022-08-01

キョンサンナム道ハドン郡アギャン面ピョンサ里

谷間を流れ出る蟾津江が平野を作り、そこに集まった人々が集落を形成し、文化を作り上げました。広々とした平野は命を育み、米や麦などの穀物で多くの生命を繋いできました。蟾津江の川岸のうち、最も広い平野を誇る平沙里(ピョンサリ)は83万坪に及びます。

蔚山テーマ植物樹木園(울산테마식물수목원)

蔚山テーマ植物樹木園(울산테마식물수목원)

2022-09-14

ウルサン広域市トン区スェピョンギル33-1

「蔚山(ウルサン)テーマ植物樹木園」は、20年以上の歴史を持つ農園をテーマ農園に改装した植物樹木園で、様々な樹木や植物が植えられています。

貞洞展望台(정동전망대)

2022-08-17

ソウル特別市チュン区トクスグンギル15

貞洞展望台は、ソウル市庁西小門(ソソムン)庁舎13階にあります。展望台の中にはカフェがあり、くつろぎのひと時を楽しめます。カフェには貞洞(チョンドン)の昔の姿がうかがえる写真が展示されており、昔の貞洞の面影を知ることができます。見晴らしがよい貞洞展望台からは、コーヒーを飲みながら徳寿宮一帯を一望することができます。