観光 - 韓国旅行情報

ハイワンリゾート(하이원리조트)

ハイワンリゾート(하이원리조트)

2022-11-29

カンウォン道チョンソン郡コハン邑ハイワンギル424

江原道旌善郡古汗邑に位置する「ハイワンリゾート(High1 Resort)」は、スキー場やゴルフ場、カジノに宿泊施設と、さまざまな施設を備えた大規模総合レジャー施設です。「ハイワン」という名は、常に一番高い頂上であることを意味しており、ハイワンリゾートを中心に江原ランド、コンベンションホテル、江原ランドホテル、ハイワンスキー、ハイワンC.C、ハイワンホテル、バレーコンド、マウンテンコンド等で構成される文化観光レジャーリゾートとなっています。スキー場は、白雲山の裾、地蔵山の頂上(1,345メートル)から始まる4.2キロメートルの初心者用スロープをはじめ、18面のスロープと3つのゴンドラ、7つのリフトがあり、スキー場全体をクモの糸のようにつないでいます。2つのホテルに3つのコンドミニアムを保有しており、客室は全1,577室あります。このほか、18ホール規模のゴルフ場、伝統韓定食を提供する雲岩亭など、様々な施設を備えており、内外の観光客から脚光を浴びています。
ハイワンリゾートはソウルを基点に234キロメートル、嶺東高速道路4車線拡張で便利になったことでより近く感じられ、首都圏を基準にすると3時間台でアクセスが可能です。旌善レールバイク、アラリ村、アウラジ、加里旺山自然休養林、旌善五日市、ススキの美しいミンドゥン山、ラフティングで有名な東江、赤々とした紅葉が望める旌善小金剛、金剛と天然鍾乳窟からなる画岩洞窟など、周辺には豊富な観光地が隣接しています。

クドゥレ彫刻公園(구드래조각공원)

クドゥレ彫刻公園(구드래조각공원)

2020-03-18

忠清南道 扶余郡 扶余邑 ナルト路60
+82-41-830-2880

大王国の意味が込められた「クドゥレ彫刻公園(クドゥレジョガクコンウォン)」。
扶蘇山の西のふもとにあるクドゥレは白馬江と調和のとれた優れた景勝をなし、彫刻公園が整っていて、たくさんの人が訪れる安らぎの空間となっています。クドゥレナルは百済時代に都城だった泗沘城を出入りするような大きな渡船場でした。現在は白馬江を行き来する船着場となっており、その周辺は伝統料理や珍味が楽しめる食堂が数多く構えています。1985年度に国民観光団地としてクドゥレが造られ、古く百済人の彫刻技術を受け継いだ、この地域出身の有名な作家の作品30点と、1999年度国際現代彫刻シンポジウムに参加した国内外の有名な彫刻家の作品29点など、全59点の彫刻作品が展示され、昔ながらの情緒と現代的な美を兼ね備えた公園となっています。常に観光客のために解放されており、見る者の目を楽しませてくれます。また、ここは扶余の人々の憩いの場でもあり、「白馬江と水鳥がなき、一葉扁集、帆船を一人漕いでいく船頭」に始まることで広く知られる「白馬江月夜の歌碑」が建てられています。

なぜ「クドゥレ」というのか。
百済時代 、支配族はオラハ(於羅瑕)、百姓はコンギルジ(鞬吉支)と呼ばれていました。クドゥレというのは、「オラハ」の前に王称語「ク(大)」がつき、二語の間に持格促音の「ㄷ(d)」が入って「クドラハ」となり、更に縮まって「クドゥレ」に変遷されたと言われています。また、「クドゥレ」は「大王」を意味しており、日本書紀に百済を「くだら」と呼ぶ場面が多く表れるのも、大王国を意味し、高めて呼んでいたとみることができます。

社稷公園(ソウル)(사직공원(서울))

社稷公園(ソウル)(사직공원(서울))

2022-09-19

ソウル特別市チョンノ区サジクロ89

鐘路区ではタプコル公園、社稷公園、三清公園といった3つの公園が有名です。政府総合庁舎の西側、仁王山南東のふもとにある総面積188,710平方メートルの「社稷公園(サジクコンウォン)」は朝鮮の太祖、李成桂が1395年に宗廟とともに最初に造った社稷壇(史跡)を中心に造られた公園です。社稷の「社」は地の神、「稷」は五穀の神を意味しており、これらの神々を祭り、豊年を祈願したのが社稷壇です。子どもの遊び場、栗谷・李珥(ユルゴク・イイ)と申師任堂の銅像、弓場跡(黄鶴亭)、市立子ども図書館などがあり、壇君聖殿、鐘路図書館などが隣接しています。社稷公園の隣の仁王山の道に沿って5分ほど上っていくと仁王山へと通じる登山コースが見えてきます。

仏甲寺(霊光)(불갑사(영광))

仏甲寺(霊光)(불갑사(영광))

2021-11-23

全羅南道 霊光郡 仏甲面 仏甲寺路450

仏甲寺は仏甲山(516メートル)のふもとに位置しています。百済枕流王の時代(384年)にインドの僧マラナンタ尊者が百済に仏教を伝え、最初に建てた仏法道場で、寺の名前を仏陀の仏、最初という意味の甲から「仏甲寺(プルガプサ)」と呼ぶようになったといわれています。石階段を登り、最初に目に入る天王門の中には、木造の四天王像が安置されています。これは道詵国師が創建した全羅北道興徳の烟起寺にあった朝鮮中期の作品で、高宗7年に雪竇先師が仏甲寺を修復し、廃寺となった烟起寺から移したと伝えられています。

仏甲寺の境内でまず目に入るのが一柱門の周囲にある暖帯林で、空が見えないほど生い茂り、天然林を形成しています。仏甲寺の文化財のひとつである仏甲寺大雄殿(宝物)は、丹青を塗られていないため、より古風な趣を醸し出しています。特に大雄殿の軒の彫刻と蓮の花の模様が美しく彫刻されており、大雄殿の桟なども丹精を込めてつくられています。大雄殿は正面3間、側面3間の八作屋根の建物であり、正面と側面、および中央の間の片門が蓮華文、菊花文、宝相華文で飾られています。

寺には、万歳楼、冥府殿、一光堂、八相殿、七星閣、寮舎などがあり、寺の外の小道に沿って少し登っていくと、天然記念物に指定されているシロダモの木があります。シロダモはクスノキ科に属する常緑広葉樹で、10月~11月に雄花と雌花がそれぞれ違う株に咲き、翌年10月頃に実が赤く熟し、花と実を楽しむことができます。

仏甲寺シロダモ自生地
天然記念物。シロダモは常緑広葉樹で、仏甲寺が北の分布境界線です。この木は新羅法興王時代のキョンウン僧侶とインドのジンヒス姫との切ない愛の物語にも描かれています。硬い木材で、家具材として使われており、楕円形の実は数珠玉に使われています。

仏甲寺ヒガンバナ自生地
ヒガンバナは曼珠沙華とも呼ばれています。仏甲寺地域は高敞の禅雲寺、咸平の龍泉寺などとともに全国最大級の群生地で、開花期にはヒガンバナで辺り一面が真っ赤に染まります。

楊州 温陵(端敬王后)[ユネスコ世界遺産(文化遺産)](양주 온릉(단경왕후)[유네스코 세계문화유산])

楊州 温陵(端敬王后)[ユネスコ世界遺産(文化遺産)](양주 온릉(단경왕후)[유네스코 세계문화유산])

2021-07-31

京畿道 楊州市 長興面 護国路 255-41

朝鮮時代の第11代の王・中宗(チュンジョン=1488~1544年・在位1506~1544年)の王妃(正室)端敬王后(タンギョンワンフ=1487~1557年)慎氏(シンシ)の陵です。

朝鮮時代第10代の王・燕山君(ヨンサングン=1476~1506年・在位:1494~1506年)治世の時代に左議政という高い官職にあり、その燕山君の次男である慎守勤(シン・スグン)の娘として生まれた端敬王后は、1499(燕山君5)年13歳という若さで晋城大君(チンソンテグン=後の中宗)と結婚、その後起きた反正(政変=中宗反正[チュンジョンパンジョン])により燕山君から王位を奪い、晋城大君が王位に就き中宗となると王妃となりました。
しかし政変の過程で政変を主導した勢力が、退位させられた燕山君の側近で端敬王后の父・慎守勤を殺害、その娘で王妃となった端敬王后は逆賊の娘ということですぐさま王妃の位を追われました。

その後、端敬王后は1557(明宗12)年にこの世を去り、一度は慎氏の墓に埋葬されましたが、1739(英祖15)年に復位され、廟号(贈名)を端敬、陵号を温陵(オンヌン)としそれ以降、端敬王后が眠る陵を温陵と呼ぶようになりました。

陵の裏手は曲垣で囲い、石羊(ソギャン)・石虎(ソコ)をそれぞれ1対、陵の左右に陵を守る形で配置、陵の手前には供え物などを置く平たい石・床石(サンソク)と墓前に建てる石灯篭・長明灯(チャンミョンドゥン)を設け、このほか陵の周囲には墓の両脇に建てられる一対の石柱・望柱石(マンチュソク)、文官の形をした文石(ムンソク)、馬の形とした馬石(マソク)なども建てられました。
動物の形の彫刻を半分に減らしているのは、妃陵として奉られた墓の先例に従ったものです。墓の下には祭祀を行う部屋(祭室)がありましたが、1970年に行われた道路拡張工事によりなくなってしまいました。

坡州 三陵[ユネスコ世界遺産(文化遺産)](파주 삼릉[유네스코 세계문화유산])

坡州 三陵[ユネスコ世界遺産(文化遺産)](파주 삼릉[유네스코 세계문화유산])

2022-11-10

キョンギ道パジュ市チョリ邑サムヌンロ89

坡州三陵は恭陵、順陵、永陵の3つの陵で構成されています。恭陵は朝鮮第8代睿宗の太子妃である章順王后(1445-1461年)韓氏の墓ですが、章順王后が太子妃として亡くなったので簡略に作られました。一般的に立てられる望柱石(墓の前の両側にたてる一組の石柱)も省略されています。順陵は朝鮮第9代成宗の妃である恭恵王后(1456-1474年)韓氏の単陵です。全体的な陵の構成形式は恭陵と同じですが、順陵は王妃の陵であるため、恭陵に比べて、多くの石物(墓の前に置かれる石で作られたさまざまな物)が置かれています。恭恵王后は韓明澮の4番目の娘で、恭陵に埋葬された章順王后とは実の姉妹でした。 姉妹が揃って王妃となった例は、朝鮮王朝500年の歴史で前例がないことでした。永陵は英祖の長男である追尊王真宗(1719-1728年)と彼の妃である孝純王后(1715-1751年)趙氏の陵です。真宗は7歳で皇太子に冊封されましたが、1728年に夭折し(若くして亡くなり)ました。孝純王后は13歳で太子妃に冊封され、1751年に子のいないまま37歳で亡くなりました。

救仁寺(丹陽)(구인사(단양))

救仁寺(丹陽)(구인사(단양))

2024-03-15

チュンチョンブク道タニャン郡ヨンチュン面クインサギル73
+82-43-423-7100、+82-43-420-7397

1945年に創建された丹陽(タニャン)の救仁寺(クインサ)は、小白山(ソベクサン)に位置しており、全国に散らばる140余りの末寺を統轄する規模の大きなお寺です。大法堂や上月円覚大祖師(僧侶)の法語を刻んだ法語碑がとくに広く知られています。韓国仏教の歴史と文化を体験することができるテンプルステイを運営しており、日帰りまたは1泊2日で滞在しながら小白山の自然の中で心身を鍛錬することができます。

雪峯公園(설봉공원)

2021-03-11

京畿道 利川市 京忠大路2709番キル 152
+82-31-634-6770

京畿道利川市官庫洞に位置する「雪峯(ソルボン)公園」は雪峯山と雪峯湖が一体となった場所で、利川の代表的な公園施設です。湖沿いの散歩道を運動したり散歩する人が多く、世界陶磁器ビエンナーレや毎年開催される利川陶磁器祭り、利川米文化祭りの開催地でもあります。また、奇岩怪石や湧き水、雪峯山城や映月庵などの見どころがあります。

高霊池山洞古墳群(고령 지산동 고분군)

2022-09-19

キョンサンブク道コリョン郡テガヤ邑チサン里サン23-1

テガヤ(大伽倻)邑の周囲を屏風のように取り囲む山の上に大伽倻時代の山城があります。その山城から南方に延びた稜線に沿って、大伽倻が成長し始めた400年頃から滅亡した562年の間に作られた大伽倻の王陵が並んでいます。ここには韓国で初めて発掘された殉葬墓の王陵である池山洞44号墳・45号墳を始め、王族・貴族が埋葬されたと推定される704基の大小の墓が分布しています。大伽倻独特の土器や鉄器、馬具を始め、王が使用していた金銅冠や耳飾りなど、華やかな装身具が多く出土した大伽倻最大の古墳群です。

金浦 章陵(仁献王后)[ユネスコ世界遺産(文化遺産)](김포 장릉(인헌왕후)[유네스코 세계문화유산])

2022-12-16

京畿道 金浦市 長陵路79

金浦(キンポ)にある「章陵(チャンヌン)」は、仁祖の父として追尊された元宗とその妃である仁献王后・具氏の陵です。元宗は宣宗の5番目の息子で、両親への孝行心や兄弟への友愛に篤かったといいます。1615年に元宗の3番目の息子である綾昌君が誣告(事実ではないことを偽り告発すること)され、江華島への島流しにあい、自ら命を絶つと、これにショックを受けた元宗は1619年に若くして亡くなりました。章陵の周囲は恭陵のように整えられ、平穏で心地よい印象を与えています。近くには章陵の寺院である金井寺があります。