観光 - 韓国旅行情報

江華 徳津鎮(강화 덕진진)

江華 徳津鎮(강화 덕진진)

2020-03-16

仁川広域市 江華郡 仏恩面 徳津路34
+82-32-930-7074

仁川広域市江華郡仏恩面徳津里にある「鎮」であり、江華12鎮堡のひとつです。丙寅洋擾、辛未洋擾時に激戦地となったところで、現在は門楼、砲台、城郭、墩台が残っており、史跡第226号に指定されています。

オクトッキ宇宙センター(옥토끼우주센터)

オクトッキ宇宙センター(옥토끼우주센터)

2021-02-17

仁川広域市 江華郡 仏恩面 江華東路403

オクトッキ宇宙センターは韓国初の航空宇宙科学テーマパークです。航空宇宙関連資料の収集・所蔵を行なうとともに、子どもから大人まで航空宇宙科学に対する理解を深められるような展示や各種教育などを実施しています。特に子ども対象の体験教育に重きを置き、航空宇宙関連体験施設や体験教育プログラムを開発、運営しています。科学、芸術、探検、遊びがひとつになった複合文化スペースとして一年を通じて誰もが利用できる施設です。

江華アルミエワールド(강화 아르미애월드)

江華アルミエワールド(강화 아르미애월드)

2023-02-21

インチョン広域市カンファ郡プルン面チュンアンロ742-2

「ヨモギで美しさをつくっていく所」を意味するアルミエは江華島のヨモギをテーマとしたテーマパークです。ヨモギ体験場、草木染めなどの複合文化体験場や、子どもたちが農村の大切さを学べる農耕文化館の他、薬膳料理、郷土料理専門食堂、農特産物販売場、迷路公園、芝生広場、ローカルフード加工工場があります。

高麗宮趾(고려궁지)

高麗宮趾(고려궁지)

2021-06-01

仁川広域市 江華郡 江華邑 北門キル 42

「高麗宮趾(コリョグンジ)」は高麗が39年もの間、蒙古の侵略に粘り強く抗戦した宮闕の跡です。1232年高麗高宗は、江華島に都を移し、その2年後の1234年に宮闕と官衙の建物を完成させました。1270年に蒙古と和解をし開城に都を戻した後、宮闕と城廓は崩壞しました。
1637年、江華山城が清軍に陥落したため、高麗宮の跡地には朝鮮宮殿の建物などがあったが、1866年丙寅洋擾の時フランス軍に敗退し建物のほとんどが消失し、今は東軒と吏房庁だけが残っています。ここは1977年に補修が行われ、民族の自主精神と国難克服の歴史的教訓を実現する国民教育の場として活用されています。

甲串墩台(갑곶돈대)

甲串墩台(갑곶돈대)

2021-02-18

仁川広域市 江華郡 江華邑 海岸東路1366番キル18
+82-32-930-7077

「甲串墩台(カプコットンデ)」は1232年から1270年まで都を江華島に移し、蒙古との戦争で江華海峡を守っていた重要な要塞です。大砲8台が設置された砲台で、墩台は小さな規模の堡塁を作り、大砲を設置し守っていた所です。
甲串墩台は1232年から1270年の間に都を江華島に移した後、1644年に設置された済物鎮(甲串鎮)に所属する墩台で、1679年に造られました。1866年9月、丙寅洋擾(1866年にフランス艦隊が江華島を侵略した事件)の時フランス極東艦隊が、600名の兵力を引き連れ、江華山城、文殊山城などを占領しました。同年10月にフランス軍は梁憲洙(ヤン・ホンス)將軍の部隊に撃退されました。1977年、補修・復元が行われ、現在の墩台の中に展示されている大砲は朝鮮時代のもので、海から攻めてくる外敵の船舶を砲撃していたものです。

広城堡(광성보)

広城堡(광성보)

2022-07-05

インチョン広域市カンファ郡プルン面ヘアンドンロ466ボンギル27

1618年に高麗時代の外城を補修し1656年に「広城堡(クァンソンボ)」を設置しましたが、この堡の墩台は1679年に築造されたものです。1745年に完全な石城に改築され城門も作られました。広城堡は辛未洋擾(しんみようじょう)の当時最も激しい激戦地で、1871年4月24日にアメリカのロジャースが通商を要求し艦隊を率い1,230人の兵力で侵攻した時に、上陸部隊は草芝鎭と徳津鎭を占領した後、広城堡に到達し白兵戦を展開しました。朝鮮軍指揮官の魚在淵(オ・ジェヨン)将軍の元、全兵士が勇敢に戦い、砲弾が尽きると剣と槍で、刀と槍が折れると石と拳で最後の一人まで退かず捕虜にもならず壮烈な最後を遂げました。
広城堡には当時使用された大砲や砲台などが残っており、そこから見下ろす海の景色と墩台の曲線が印象的です。また、史跡に指定されており、毎年旧暦4月24日には魚在淵将軍をはじめとして、戦死した無名の勇士達のために広城祭が行われます。

江華 東幕海岸(강화 동막해변)

2023-01-12

仁川広域市 江華郡 華道面 海岸南路1481

江華島南方の華道面長花里から東幕里に続く海岸道路からの日没が最高であると言われています。道路沿いや近隣の飲食店の駐車場に車を停めて日没を鑑賞でき、 分五里墩台からも見ることができます。席毛島からはミンモル海岸やチャングノモ浦口が日没鑑賞スポットです。弓のように曲がった海岸は潮が引くと干潟が姿を現し、貝や蟹などの様々な生き物などを捕まえる干潟体験も楽しめます。

ミンモル海岸(민머루해변)

2023-01-13

インチョン広域市カンファ郡サムサン面オリュジョンギル212ボンギル

「ミンモル海岸」は江華島の西側の席毛島にある海岸です。約1キロメートルの白い砂浜が広がり、海水浴や西海の美しい夕日を楽しむことができる他、干潟体験もできます。潮が引くと姿を現す1キロメートルほどの干潟では、貝、蟹などの干潟に生息する生物を観察できます。近隣にはオリュジョン港やチャンゴ港などがあり、船に乗って船釣りを楽しめ、新羅時代の善徳女王の頃に建てられたといわれる普門寺や磨崖石仏があることから、一年中観光客が絶えない場所でもあります。

燕尾亭(연미정)

2022-08-30

インチョン広域市カンファ郡カンファ邑ウォルゴン里242

「燕尾亭(ヨンミジョン)」は1995年3月1日仁川広域市の有形文化財に指定されました。建てられた時期がいつなのかは不明で、壬辰倭乱、丙子胡乱、韓国戦争により破損した部分はこれまでに何度も修復が行われました。 臨津江と塩河江の形が燕の尻尾に似ているということから燕尾亭という名前が付けられ、月串墩台のてっぺんに建てられているため坡州市、金浦市、北韓の黄海道開豊郡一帯を見ることができます。
摩尼山、伝燈寺、普門寺と共に江華八景の1つであり、燕尾亭から見る月が美しいことで知られています。長い間燕尾亭は軍事保護区域に指定されており、一般の人の観覧は厳しく制限され、軍隊の許可がある人のみ出入りが可能でしたが、最近では身分証明書があれば一般の人も出入りが可能になりました。

雲住山城(운주산성)

2023-01-19

セジョン特別自治市チョンドン面チョンソン里サン90

別名・高山山城(コサンサンソン)とも呼ばれる雲住山城(ウンジュサンソン)は、百済時代の遺跡です。
世宗(セジョン)特別自治市全東面(チョンドンミョン)美谷里(ミゴンニ)・青松里(チョンソンニ)と同市全義面(チョニミョン)東校里(トンギョリ)・新井里(シンジョンニ)の境には雲住山(標高459.7メートル)が聳えており、雲住山城はこの雲住山の地形を利用して築城された山城です。
山城西側の裾野の方にはソウルと釜山を結ぶ高速鉄道の線路が通っています。雲住山城は城の周囲が3,210メートル、幅2メートル、高さ2メートルから8メートルの雄壮な百済の山城で、盆地のような形をした山やその風景は大変素晴らしいものがあります。
城壁は自然の地形を最大限生かして築城され、北壁と東壁は雲住山山頂から北西と南へと延びる稜線伝いに伸び、南壁は頂上を取り囲むように築城され、西壁は西へと延びる稜線を横切るように築城されています。
築城された場所は北側の標高が高く、南西側が低い地形となっています。 西門、南門、北門があった場所には門址が確認できますが、すでに崩れており詳細はよくわかりません。

城郭内には城門や建物跡、井戸などが残っていますが、頂上付近には雨乞いの儀式・祈雨祭(キウジェ)を行った祭壇とみられる円形の敷地が残っています。
また、城郭内では百済の土器や瓦の破片が出土しているほか、高麗時代や朝鮮時代の磁器や瓦の欠片も発見されています。
この山城には内城と外城が形成されており、古代山城研究の貴重な史料となっています。
雲住山城は、660年に百済が滅亡し百済最後の王・豊王(プンワン)や百済末期の武将・福信(プクシン)、道琛(トチム)将軍を先頭に起こった百済復興運動軍の最後の救国交戦地として知られている場所です。
雲住山の登山口に高山寺(コサンサ)という寺があり、百済が滅亡した陰暦9月8日にあわせ土曜日の日に百済滅亡期の義慈王(ウィジャワン)と復興期の豊王、そして百済復興運動の末、犠牲になった人々を慰霊するため高山祭を執り行っています。