観光 - 韓国旅行情報

全州伝統韓紙院(전주전통한지원)

全州伝統韓紙院(전주전통한지원)

2024-04-07

チョンブク特別自治道 全州市 完山区 韓紙キル 100-10

* 韓国の美が宿る全州伝統韓紙院 *

伝統韓紙(ハンジ)のありとあらゆる技法が再現されている全州(チョンジュ)伝統韓紙院は、悠久の精神が宿る純韓国製の韓紙のみを生産する場所です。
全州伝統韓紙院で生産される韓紙の8割以上が日本へ輸出され、残りの2割は韓国国内に出荷されています。
韓紙は他の紙類とは異なり、先人の匠の精神が息づく貴重な文化遺産であり、韓紙それ自体が一つの芸術作品となっています。
また、全州伝統韓紙院では韓紙漉き、模様入れ、乾燥などの韓紙制作の過程を学ぶことができます。


* 紙のふるさと・全州 *

全州韓屋村の路地には見どころがたくさんあります。韓屋村の大通りを散策しているだけでも、数多くの博物館や体験館、かわいいお店が軒を連ね、見ているだけでも楽しいものです。
そんな全州韓屋村でおすすめなのがここ、全州伝統韓紙院。
「全州」といえば、まず思い浮かぶ特産品のひとつがこの「韓紙」です。全州はおよそ千年前より高品質の韓紙生産地として名を馳せたところでした。
韓紙の消費は時代の変化とともに急速に減少してしまいましたが、今でも全州では10か所以上の韓紙を作っている工場が残っています。
ここで作られる画仙紙の生産量は韓国国内の流通量のおよそ8割を占めます。
全州伝統韓紙院では書芸(書道)、東洋画、工芸用韓紙向けの韓紙をはじめ、遠赤外線を放射する健康機能を持った黄土壁紙用韓紙、炭を漉き入れた韓紙なども展示・即売しています。
機能性以上に美しさを重視し大変きれいに染色を施した韓紙が、重ね重ねに積まれている様子を見るだけでも、どんな芸術作品よりも美しくみえます。
全州伝統韓紙院はただ単に伝統韓紙の展示・販売を行う場所というだけではなく、韓紙それぞれが相まって、ひとつのハーモニーを織りなす芸術作品のような場所のように感じされるそんな場所です。
韓国で初めて世界の名品として認められた韓紙!
全州伝統韓紙院に来て、韓紙の美しい世界に思う存分浸ってみましょう。

5・18民主広場(5.18 민주광장)

5・18民主広場(5.18 민주광장)

2021-07-19

光州広域市 東区 文化殿堂路 38

全羅南道(チョルラナムド)道庁前から伸びる錦南路(クムナムノ)は、光州(クァンジュ)の象徴。ここは血で綴られ民主主義を守り抜いた5・18光州民衆抗争の現場となった場所です。1980年5月当時、全羅南道道庁は抗争の本拠地となり、その前にある噴水台を舞台に様々な集会が開かれ、抗戦の意志を燃やしました。そして、1996年以来、この場所は5・18民主広場」と呼ばれています。同庁前にある尚武館(サンムグァン)は当時、戒厳軍の集団発砲により犠牲となった市民を臨時で安置する場所になった場所です。

五色炭酸温泉(오색탄산온천)

五色炭酸温泉(오색탄산온천)

2023-10-26

カンウォン特別自治道ヤンヤン郡ソ面テチョンボンギル34

国立公園である雪岳山寒渓嶺五色温泉・薬水地区に位置する五色グリーンヤードホテルは、約15,322坪の敷地に地下3階~地上5階の規模で建てられ、206室の客室、韓国料理店、レストラン、セミナー・宴会場、炭酸温泉浴場、松ブルガマなどの施設があります。
韓国最大の雪岳山炭酸温泉は、古代ローマ時代の休養と健康のための施設であるKARA-KARAのような温泉大浴場で2種類の温泉を楽しむことができます。特に冷泉の炭酸温泉水は様々な成人病疾患に効能があります。
五色温泉の由来は、韓国の4大温泉の中で規模がもっとも大きい中生代ジュラ紀の花崗岩層温泉で、この温泉帯は高城、元岩、束草、尺山、五色から京畿、仁川、忠清南道温陽、道高および徳山温泉を形成しています。また、五色グリーンヤードホテルで自社開発した炭酸温泉は重炭酸や二酸化炭素などの人体有効成分が多量に含まれており、この温泉地帯内では他では見ることのできない温泉です。

仰城炭酸温泉(앙성탄산온천)

仰城炭酸温泉(앙성탄산온천)

2021-05-27

忠清北道 忠州市 仰城面 加谷路1457

仰城(アンソン)炭酸温泉の温泉水は地下700メートルから湧出しており、高・低血圧、糖尿病、関節炎、神経痛、うつ病、成人病を予防し、運動不足の肥満症、肩こり、腰痛、冷え性、便秘、痔を予防するのに効果があります。また、炭酸温泉水は心身のストレスを解消し、新陳代謝促進および血のめぐりをよくし、過敏性皮膚、しみ、そばかす、水虫、湿疹、老人性色素斑などの治療にもよいとされています。
温泉水は水温が25~38度と低めなので、熱めの湯を張った浴槽も別に用意されています。健康増進はもちろん、精神的安定にも大きな効き目があるという炭酸水浴は、肌を滑らかにしてくれ、疲労回復に効果があります。また、仰城炭酸温泉はクヌギを燃料としたクヌギ薪ボイラーを使用してチムジルバンや水を温めています。

仰城炭酸温泉地区について

京畿道長湖院とつながっている忠州市仰城面敦山里と陵岩里一帯には、大規模な炭酸水温泉タウンが形成されています。仰城温泉には「忠温(チュンオン)温泉地区」「陵岩(ヌンアム)温泉地区」「敦山(トンサン)温泉地区」の3つの温泉地区があります。1989年に忠温温泉地区と陵岩温泉地区が観光地に指定され、1995年に敦山温泉地区が観光地に指定されました。

椒井湧水(초정약수)

椒井湧水(초정약수)

2022-07-20

忠清北道 清州市 清原区 内秀邑 椒井里

清州から東北に約16キロメートルの地点に位置する椒井湧水(チョジョンヤクス)は世界3大鉱泉水のひとつです。約600年前に発見され、『東国輿地勝覧』第15巻と『朝鮮王朝実録』第103巻に由来が記載されています。舌にピリッとした刺激が感じられる冷たい天然炭酸水が湧出する霊泉で、早くから全国的に知られており、また、世宗大王が60日間ここに留まり、眼病を治療したということも伝えられています。1日の湧出量は約358トンほどで、この水を利用した天然飲料水が製造・販売されており、現在この地域では2ヶ所の湧水飲料工場があります。

椒井湧水の卓越した効能は水に含まれている大量のラジウム成分のためであると推測されており、これは眼病だけでなく、皮膚病にも効果が高いといわれています。椒井湧水は世界鉱泉学会からアメリカのシャスタ、イギリスのナポリナスとともに世界3大鉱泉水の1つに選ばれています。また椒井湧水は600年以上の歴史を持つ世界的な鉱泉水(F.D.A.認定)です。

幸州山城(행주산성)

幸州山城(행주산성)

2022-11-25

キョンギ道コヤン市トギャン区ヘンジュロ15ボンギル89

徳陽山頂上に築かれた「幸州山城(ヘンジュサンソン/史跡)」は、 壬辰倭乱(文禄・慶長の役)で、日本軍と朝鮮軍がぶつかった激戦地です。

幸州(ヘンジュ)対戦祭
毎年3月14日、幸州山城では壬辰倭乱の時に日本軍を撃破し、国を危機から救って大きな功績をあげた権慄の幸州対戦を記念した行事とその他多彩な文化イベントが開催されます。多くの人達が参加する中、権慄都元帥の掛け軸が奉られている忠壮祠で行われるこの行事は高陽市長が初獻官となり、将軍の魂を呼び起こすための儀式など様々な伝統儀式が行われます。

赤壁江(全北西海岸国家地質公園)(적벽강(전북 서해안 국가지질공원))

2024-04-08

チョンブク特別自治道プアン郡ピョンサン面キョクポ里

赤壁江(チョクピョッカン)近隣は植物分布学的価値が高く天然記念物に指定されているタブノキ群落を観察することができる他、多くの観光客が訪れる彩石江や格浦海水浴場もあり、地質・生態・教育観光に最適の条件を取り揃えています。また、この地域では堆積岩である頁岩と火山岩である流紋岩の直接的な境界部分で性質が違う二種類の岩石の相互作用によって形成された独特の岩石(ペペライト)を観察することができます。

五色湧水(오색약수터)

2022-12-22

江原道 襄陽郡 西面 五色里

江原道(カンウォンド)襄陽(ヤンヤン)から西に20キロメートル、寒渓嶺(ハンゲリョン)から東南に7.5キロメートルの地点に、岩盤3ヶ所から鉄分や炭酸成分を含む湧き水が出る五色湧水(オセクヤクスト)があります。1日1,500リットルほど湧き出ており、五色湧水に行く道の景観の美しさや、雪岳山(ソラクサン)登山ルート沿いの湧水ということでよく知られるようになりました。

済州山房山炭酸温泉(제주산방산탄산온천)

2024-03-15

チェジュ特別自治道ソギポ市アンドク面サゲ里981
+82-64-792-8300

済州(チェジュ)山房山(サムバンサン)炭酸温泉は、遊離炭酸と重炭酸イオン、ナトリウムなどの成分が含まれている炭酸温泉です。高血圧と心臓に有効だと知られています。肌美容と疲労回復にも効くので済州を旅しながら溜まった疲れを解消するにも適しています。内部にガラス張りとなっている室内風呂と屋外の露天風呂もあり、山房山と済州の青い海を眺めながらお風呂を楽しむことができます。

木浦カッパウィ(목포 갓바위)

2024-05-17

チョンラナム道モクポ市ナムノンロ166-1

カッパウィは、まるで2人の僧がカッ(笠)を被っているように見えることからカッパウィ(笠岩)と呼ばれています。その言い伝えとして、悟りの境地に至った僧が栄山江を渡り羅仏島にあるタッ島へ行く途中、休憩した所に被っていた笠と持っていた杖を置いたものが岩となったとする説、月出山で修行をしていた僧が弟子の僧を連れて木浦に必要な物を調達しに栄山江を渡ろうとしたところ、弟子の僧がはぐれてしまい川を渡りきれず石となって固まってしまったという説があります。また、その他にも木浦で病を患った父親の面倒を見ていた若者が、父親の薬代を稼ぐために家を出たところ、その間に父親が死んでしまい、その若者は自分の親不孝さを謝罪するために食事も取らず笠を被り謝罪し続けていたところ、石になってしまったという説など、いくつもの言い伝えの残る場所となっています。