観光 - 韓国旅行情報

高敞邑城(고창읍성)

高敞邑城(고창읍성)

2024-04-07

チョンブク特別自治道 高敞郡 高敞邑 牟陽城路 1

高敞邑城(コチャンウプソン)は、朝鮮時代の端宗元(1453)年に倭侵を防ぐため、全羅道の民らがいざという時の守りを固める目的で築城した城郭です。別名・牟陽城(モヤンソン)とも呼ばれるこの城郭は、朝鮮時代の地方防衛組織で羅州(ナジュ)にあった羅州鎮管(チングァン)、笠岩山城(イバムサンソン)とともに、湖南(ホナム=全羅道のこと)内陸を守備する前哨基地として役割を担い、現在では国難護国の役割を果たした国防関連文化財として大切に保護されています。

禅雲山(全北西海岸国家地質公園)(선운산(전북 서해안 국가지질공원))

禅雲山(全北西海岸国家地質公園)(선운산(전북 서해안 국가지질공원))

2024-04-07

チョンブク特別自治道 高敞郡 雅山面 禅雲山路158-6

「禅雲山(ソヌンサン)」では、椿や桜の花、涼しげな渓谷、鬱蒼と生い茂る森、色とりどりの紅葉、荒々しい断崖絶壁、白い雪に覆われた風景など、四季を通して美しい景色が見られます。また、禅雲山には1500年の歴史を持つ禅雲寺もあります。
日没が美しいことで知られる禅雲山の落照台とチョンマ峰一帯は火山岩のひとつである流紋岩で構成されています。流紋岩は周辺の凝灰岩より固く緻密で風化に強い特性があるため流紋岩と凝灰岩間の差別的な風化作用によって主に流紋岩が垂直に近い岩石絶壁を成した美しい自然景観を観察することができます。その為、禅雲山一帯はすばらしい自然景観とともに岩石の風化作用の特徴を理解するうえで重要な場所となっています。

聖母庵(金堤)(성모암(김제))

聖母庵(金堤)(성모암(김제))

2024-04-08

チョンブク特別自治道キムジェ市マンギョン邑ファポ3ギル54-9

「聖母庵(ソンモアム)」は維仰(ユアン)山に位置する韓国仏教の曹渓宗の寺院です。チョンラブク道の有名な僧侶である震黙大師の母親の墓地があることで知られています。駐車場から境内までの道の両側に石塔がずらっと並んでいるのが印象的で、境内の左側の低い丘に震黙大師の母親の墓地があります。

望海寺(망해사)

望海寺(망해사)

2024-04-07

チョンブク特別自治道 金堤市 進鳳面 深浦10キル94
+82-63-540-3324

「望海寺(マンヘサ)」は、進鳳山の峠を越えて削られたようにそびえ立つ奇岩怪石の断崖の上で、果てしなく広がる海を見下ろせるために「望海寺」と名づけられました。ここは642年(百済時代)に浮雪居士(三国時代に金堤で活動していた僧侶)が創建し修道したのが始まりですが、そのうちに境内が崩れ海に沈んでしまいました。しかし1589年(朝鮮時代)に震默大師(朝鮮後期の金堤出身の僧侶)が望海寺の楽西殿(全羅北道文化財資料第128号)を再建しました。「ㄱ」の文字の形をした建物の前のでっぱり部分には板の間が敷かれ、その後ろには近年に作られた鐘が掛けられています。

帰信寺(金堤)(귀신사(김제))

帰信寺(金堤)(귀신사(김제))

2024-09-04

チョンブク特別自治道キムジェ市クムサン面チョンド6ギル40

帰信寺は676年に義相大師(新羅時代の僧侶)によって創建された寺で、当時は国信寺と呼ばれましたが、新羅時代末に現在の名前になりました。1592年の壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の影響で火事となり廃墟と化しましたが、1873年に再建されています。
現在残っている建物は、宝物として指定されている大寂光殿を始めとして、冥府殿、山神閣、寮舎などがあり、重要文化財として帰信寺の三層石塔、舎利塔である帰信寺浮屠、西側を見ながら横たわる獅子像などに男根石を奉った帰信寺石獣があります。

ペムサ谷(뱀사골계곡)

ペムサ谷(뱀사골계곡)

2024-04-08

チョンブク特別自治道ナムォン市サンネ面プウン里

智異山北方の麓にある「ペムサ谷(ペムサゴルゲゴク)」は、トッキ峰と三道峰(サンドボン)の間の花開(ファゲ)ジェ(峠)から南原市山内面パンソン里の集団施設地区までの12キロメートルにもおよぶ雄大な渓谷で、松林寺という寺にまつわる伝説からペムサコルと呼ばれるようになりました。般若峰やトッキ峰から南原市山内面に流れる渓谷の紅葉が美しいことで有名で、渓谷はいつ訪れても水量が豊富で、樹林が鬱蒼と茂り、代表的な夏の避暑地としても有名です。

井邑詞文化公園(정읍사문화공원)

井邑詞文化公園(정읍사문화공원)

2024-04-07

チョンブク特別自治道 井邑市 市其洞
+82-63-539-6776

「井邑詞(チョンウプサ)文化公園」は全羅北道井邑市市其洞にある公園です。井邑詞は5つの百済歌謡中で唯一現存する最高の百済歌謡で、ハングルで記録され伝えられました。現在まで伝わる歌謡中、最も古いものとなっています。公園には、井邑詞の歌詞に登場する帰らぬ夫を待ちながら石になってしまった百済女性の「望夫石」がある他、井邑詞碑、祠堂、井邑詞芸術会館、井邑詞国楽院、市立図書館、野外公演場などがあります。公園内にある「望夫像」は高さ2.5メートルの花崗岩の石像で1986年12月に建てられました。望夫像は、少し長めのチョゴリを着ており、両手を合わせて立っている百済の女性を表現しています。祠堂には夫の帰りを待ちながら望夫石になってしまった女性を称え、毎年祭礼が執り行われます。

益山 笠店里古墳(익산 입점리 고분)

益山 笠店里古墳(익산 입점리 고분)

2024-04-08

チョンブク特別自治道イクサン市ウンポ面

史跡に指定されている「笠店里古墳(イプジョムニゴブン)」は、全羅北道益山市熊浦面笠店里チルモク峠の丘陵に位置する百済時代の古墳群です。全部で8基の墓があり、1号墳は石室墳で、これ以外は破損のひどい状態で発見されました。出土品には土器類や金銅冠、金の耳飾り、ガラス玉などの装身具類、馬具、鉄器などがあり、百済時代の遺跡の中でも重要な遺物が発見されました。出土品により、5世紀ごろに作られた墓であると推定されています。金銅製の冠は日本で発見されたものと似ており、当時百済と日本の間で文化交流があったものとみられています。

文殊寺(金堤)(문수사(김제))

2024-04-08

チョンブク特別自治道キムジェ市ファンサン5ギル158

鳳凰山にある「文殊寺(ムンスサ)」は642年(新羅時代)に創建されました。しかし950年に火災で全体が消失し、957年に元の場所から約350メートルのところにある現在の場所に再建されました。その後1705年に廃墟化したこの寺を再建し、その後は継続して発展し現在に至ります。
現存する建物としては、大雄殿をはじめとして冥府殿、山神閣、寮舎などがあります。文殊寺前にあるケヤキは、1202年に植えられたものだと推定されていて、木の周囲は530センチメートル、面積は約47.6平方メートルにもなります。毎年陰暦の正月14日の夜に木祭が開かれ、寺でも山神祭がとり行なわれます。

崇林寺(益山)(숭림사(익산))

2024-04-07

チョンブク特別自治道 益山市 熊浦面 百済路495-57
+82-53-862-6394

「崇林寺(スンリムサ)」は、新羅・景徳王の時代に建てられた寺で、代表的な建物である普光殿を含め合計6つの建物を有しています。宝物第825号に指定された崇林寺の普光殿は、内部に毘盧遮那仏、阿弥陀仏、観世音菩薩といった三尊仏と、仏像を奉る上段の後ろに掛けられた仏教式の絵である後仏幀画が奉られています。
崇林寺までの道では、木々や細道にかかる小さな渓谷などもみられるほか、鳥のさえずりも聞こえます。