観光 - 韓国旅行情報

神仏山郡立公園(신불산군립공원)

神仏山郡立公園(신불산군립공원)

2023-01-18

ウルサン広域市ウルジュ郡サンブク面、ソンナム面

「神仏山(シンブルサン)郡立公園」は蔚州郡上北面と三南面一帯に位置しており、その面積は11.66平方キロメートルにもなります。神仏山は嶺南アルプスの主峰らしく雄大な美しさがあります。頂上に立つと雄大さとはまた違った穏やかでこぢんまりした印象で、肝月山、霊鷲山間には登山コースが広がっており登山客が絶えません。頂上付近には山城があり、また神仏山頂上に広がっているススキ畑の風景は壮観です。神仏山の深い渓谷を登ると雲のかかったタンジョ峰に澄んだ水が流れ滝になっています。絶壁から流れ落ちる滝は見ている人の心をすっきり爽やかな気持ちにさせてくれます。この滝こそが神仏山の名所の一つである「虹流瀑布」です。
近くに大きな温泉地である登億温泉があり登山の後の汗を流すのにちょうど良く、また周辺に飲食店も豊富にあるので食事にも困りません。

密陽オルムコル(밀양 얼음골)

密陽オルムコル(밀양 얼음골)

2024-09-20

慶尚南道 密陽市 山内面 山内路1647

慶尚南道、密陽市に昔から枾礼氷谷と呼ばれている「オルムコル(氷の谷)」は天皇山の北側、高さ600~750メートルの谷、約29,752平方メートルの地帯をいいます。
天然記念物に指定されているオルムコルは、大地の熱がだんだん熱くなる3月初旬から始まり、暑さが過ぎ秋に差しかかる頃になると氷が溶け、岩の隙間の冷気が次第になくなります。反対に、冬にはそこから温かい風が出てくるといいます。この現象は冬の間続き、渓谷の水も凍りません。そのため密陽の4大神秘の1つになっており、特に他の観光地とは違って初夏から秋の終わりまでの時期に多くの観光客が訪れます。
韓国で夏でも氷が解けない有名な氷の谷として知られているのはここ密陽の天皇山オルムコルをはじめ、慶尚北道の義城郡にある氷穴(ピンヒョル)、氷渓渓谷、全羅北道 鎮安郡のヤンファ村にある風穴冷泉(プンヒョルネンチョン)、鬱陵島 羅里盆地のエアコン窟などがあります。

載薬山(재약산)

載薬山(재약산)

2021-04-29

慶尚南道 密陽市 丹場面 九川里
+82-55-352-1150

千年の歴史を持つ古刹「表忠寺」の後方にある「載薬山(チェヤクサン/主峰:須弥峯1119.1メートル)」は、領南アルプスの山々のひとつで、獅子平のススキ畑が見どころです。山は険しくないため、気軽に山登りできます。近くにはオルムコル(氷の谷)、ホバク沼、表忠寺、層層瀑布、錦江瀑布など、多くの名所があります。

青陽タラッコルチュルムドム聖地(청양 다락골 줄무덤 성지)

青陽タラッコルチュルムドム聖地(청양 다락골 줄무덤 성지)

2020-06-25

忠清南道 青陽郡 化城面 タラッコルキル78-6
+82-41-943-8123

忠清南道青陽郡、樓谷に位置するチュルムドム(列墓)聖地は天主教信者の無名殉教者たちの墓です。また、この村は京畿道果川で殉教した崔京換聖人と韓国2番目の司祭である崔良業神父の誕生地でもあります。1つの場所に複数の人を埋葬しているためチュルムドム(列墓)といいます。
殉教者の数と姓名、殉教経緯などは分かりませんが家族単位で埋葬され、名前の分からない殉教者たちの墓37基がここ樓谷で墓の列をつくっていて、1982年に青陽聖堂によって清められた墓地に無名の殉教者たちのための墓碑を立て史跡地として造ってから天主教信者をはじめ多くの人が訪れています。
ここチュルムドムの殉教者、聖崔京換フランシスコの遺骨の一部を1986年に切頭山 殉敎紀念館に移して祀っており現在、墓の数は総36基です。

抱川山井湖(포천 산정호수)

抱川山井湖(포천 산정호수)

2024-03-06

キョンギ道ポチョン市ヨンブク面サンジョンホスロ411ボンギル108
+82-31-532-6135

抱川(ポチョン)山井(サンジョン)湖は、鳴声山(ミョンソンサン)と観音山(クァヌムサン)で囲まれた湖です。山中に埋もれている井戸のような湖という意味で、日帝強占期に農業用水を供給する目的で築造されました。約3キロのドゥルレ道散策路と鳴声山登山路の途中にはスズキ群落地があります。ソリゲレンデ、温泉など家族で一緒に楽しめる施設も周辺にあります。周辺の観光スポットは漢灘江(ハンタンガン)、ハーブアイランド、アートバレー、国立樹木園があります。

ソウル子供大公園(서울어린이대공원)

ソウル子供大公園(서울어린이대공원)

2024-03-12

ソウル特別市クァンジン区ヌンドンロ216

ソウル子供大公園は、1973年5月に開園したテーマパークで、56,552平方メートルの敷地に緑豊かな森と緑地が広がっています。主な施設としては動物園、植物園、遊園地、公演会場などがあり、子供たちの楽園で生きた学習教育場として親しまれています。さらに、市民のための憩いの場として文化空間としての役割をも果たしています。家族皆で一緒に楽しめる施設が集まっており、誰もが楽しめるスポットです。

画岩観光地(画岩八景)(화암관광지(화암8경))

画岩観光地(画岩八景)(화암관광지(화암8경))

2022-09-20

カンウォン道チョンソン郡ファアム面ヤクスギル1328

画岩観光地には画岩湧水、画岩洞窟、コブク(亀)岩など、画岩八景と呼ばれる景勝地があり、素晴らしい景観を誇ります。画岩八景の第一景である画岩湧水は炭酸イオン成分が含まれており、炭酸水のようなシュワっとした飲み心地が特徴です。画岩湧水と同じぐらい有名なのが第四景の画岩洞窟です。1934年に金鉱の坑道を掘っているときに発見された石灰洞窟で、天然記念物に指定されています。洞窟の入り口まではモノレールに乗って移動することができます。洞窟の全長は1,803メートルで、見学には1時間30分ほどかかります。

パレソ瀑布(파래소폭포)

2022-09-20

ウルサン広域市ウルジュ郡サンブク面オクセボルギル200-78

迦智山の麓、石南寺の前から南に進み徳峴斎を過ぎるとペネ渓谷が縫うように広がっています。ペネ渓谷の西には天皇山が、東には肝月山と神仏山の峰々がそびえ立ちペネ峡谷はひっそりした深山幽谷の風景を見せています。以前は道が長く険しいため、人もめったに来ない秘境であったといわれています。肝月山と神仏山の麓がペネ渓谷に向かって傾斜が急になる所に白雲洞があります。「洞」とは山と川に囲まれた景勝地という意味で、「白雲」は滝を比喩したものだと考えられています。滝をつくっている周りの渓谷は、避暑に訪れる観光客の暑さを和らげ、森林浴もできるため、登山客に人気のコースの1つです。白くなった水の筋が池に流れ落ち、その水がペネ川を通って洛東江へ流れます。

浄巌寺(洪城)(정암사(홍성))

2021-03-08

忠清南道 洪城郡 広川邑 烏棲キル 625
+82-41-641-0488

烏棲山(オソサン)の名物といえば、秋を迎えると山腹の一面が白一色に染まる葦原。烏棲山の葦原は広範囲にわたっており、山の中腹をほとんど覆ってしまうほどで、秋にはここで葦祭りも開催されます。
烏棲山の中腹には韓国の典型的な田舎にある、こぢんまりとした浄巌寺(チョンアムサ/浄岩寺)があります。浄巌寺の創建や沿革について今に伝える史料はほとんど残っていません。寺では527(百済聖王5)年に創建されたという説を採っていますが、その根拠となる史料はいまだ見つかっていません。しかし、朝鮮時代に編纂された邑誌『輿地図書』の結城県(キョルソンヒョン)の項には、断片的ながら記録が残っており、「浄巌寺は烏棲山にある。(中略)烏棲山は鴻山(ホンサン)から白月山(ペゴォルサン)へ続き、洪州(ホンジュ)、結城(キョルソン)、保寧(ポリョン)の三つの邑と境をなす」という内容があり、このことから18世紀半ばに寺が存在したことが、かろうじて確認できます。また、18世紀後半に編纂された寺に関する書物『伽藍考』にも「結城県の東側二十八里の地点に、浄巌寺がある」という記述がありますが、これが烏棲山の浄巌寺を指しているのかはっきりしていません。
寺には金堂があったとされる跡があります。この旧・金堂址の礎石は一辺の大きさが70~80センチの四角形の自然の礎石を用いており、ところどころ欠けているところがありますが、今でも整然とその痕跡が残っています。この痕跡から推測すると金堂は真北を向いた正面5間、側面3間の規模の建物であったとみられます。今後、旧・金堂址といわれている跡地について更なる考古学的調査が行われれば、浄巌寺の歴史を紐解く上で貴重な史料となることでしょう。

泉隠寺(求礼)(천은사(구례))

2023-01-25

チョンラナム道クリェ郡クァンウィ面ノゴダンロ209
+82-61-781-4800

「泉隠寺(チョヌンサ)」は統一新羅時代に創建された古寺で、智異山の西南側に位置しており、大韓仏教曹渓宗 第19教区の本社である華厳寺の末寺として華厳寺、双磎寺とともに智異山3大寺院のひとつに選ばれています。泉隠寺は智異山の中でも特に明るく温暖な場所にあり、深い渓谷から流れ出る澄んだ水が寺の横を流れ、周りは雄大な山々に囲まれています。
泉隠寺のもともとの名前は、828年にインドの僧侶と韓国の徳雲祖師が寺を創建した当時、境内に露のように冷たく澄んだ泉が湧いていることから甘露寺と呼んでいました。この泉の水を飲むと心(精神)が洗われるといい、多くの僧侶が訪れたり、高麗の忠烈王の時には「南方第一寺院」に昇格されたりしました。ところが、壬辰倭乱で寺が燃え改築した際、大きな蛇が泉によく現れ、捕まえて殺したところ泉の水が出なくなったといいます。そこから「泉が隠れた」という意味で名前を泉隠寺に変えましたが、その後も何度も火事と災難にみまわれ、村人たちは寺を守っていた蛇を殺したせいだと恐れました。この知らせを聞いた朝鮮4大名筆の1人である李匡師が、まるで水の流れるような書体で「智異山 泉隠寺」という文字を書き、門に掛けたところ、火事が起こらなくなったといわれています。